この恋に、 ひとさじの 勇気を。


***

ノー登校デーが実現すると、最上先生は本当にお寺に行こうと誘ってくれた。家まで車で迎えに来てくれた最上先生は普段はチョークで汚れるからと同じパーカーを羽織っているのに、ジャケットなんかを着ているから、笑ってしまった。

「え。俺なんか可笑しいか?これでも、山添先生の彼氏と勘違いされても恥ずかしくないようにしてきたつもりやってんけど」

あたふたと、慌てた様子で髪をいじりだす。その姿が可愛いくて更なる笑いがこみ上げてきた。

「いえいえ。普段、パーカーで見慣れているから、ジャケット姿が新鮮で。可笑しくないですよ」
「そうか?俺、懇談週間とかもジャケット着てるで?」
「でも圧倒的にパーカーじゃないですか」
「まぁな。山添先生のワンピース姿も新鮮」

最上先生が私の服に視線を移すから、今度は私があたふたする番だ。誘われた日に箪笥の中に眠ったままだったワンピースを久しぶりに引っ張りだしたのだ。花柄ワンピースなんて仕事しているとなかなか着ること無いから、確かに新鮮だと思う。

「こういう機会でも無いと、箪笥の肥やしになってしまいますから」
「確かに。よう似合ってるやん」
「ありがとうございます。最上先生も、ジャケット姿、似合ってますよ」

それは本心だった。ジャケットを羽織っただけなのに、彼が急に大人の男性に見える。まぁ、私より3つも上の男性に大人というのは失礼かもしれないけれど。

「ありがとう」

最上先生は照れたように笑って、私を車の助手席に乗るように促してくれた。車内は整理されていて、驚く。だって、職場での彼の机上は常に雪崩警報が発令されているから。

「車内、綺麗ですね」
「あぁ。普段、買い物ぐらいしか行かんし。今まで乗せる相手とかおらんかったから」

ということは、最上先生は彼女という存在が長いこといないらしい。しかし、そのことについては敢えて触れなかった。だって、私も一緒だ。今は仕事が楽しすぎて、恋をしていなくても毎日が充実している。

車は私と最上先生を乗せてゆっくりと出発した。窓を開けると爽やかな風が私の髪をなびかせる。

ハンドルを握る彼のジャケットから覗く手首。その太さを見て、彼は男性なんだと改めて気づく。男性の運転している姿に胸がときめくという話を雑誌か何かで読んだことあるけれど、その気持ちがなんか分かる気がする。

「……こっち見られてるとなんか緊張するんやけど」
「え。あ。ごめんなさい!」
「俺に見惚れてたんか?」
「え!?そんな訳ないじゃないですか!」

図星を指されて大慌てで否定すると、最上先生はシュンという音が聞こえてきそうな程に眉を下げて、悲しそうになった。

「……そんな直ぐに否定しやんといてや。悲しなるやん」
「え。ごめんなさい」

み、見惚れて欲しかったのかな?……分からない。ただ、私をからかってるだけな気もするし。

「冗談や冗談。そんな難しい顔すんなって」
「えー!冗談なんですか?最上先生の冗談は分からないです!」

私が訴えると最上先生は大きく口を開けて笑った。彼は表情が豊かだ。その人間味の溢れる姿に、生徒は信頼を寄せるのかもしれない。

「そういや、山添先生って下の名前、真空(まそら)やっけ?」
「そうですよ?真空チルドとかの『真空』って書いて、まそらです」

最上先生が下の名前まで覚えていたことに驚きだ。同僚の名前なんて知らなくても可笑しくない。私は殆どの先生の下の名前は覚えていない。最上先生の下の名前を知らない。

「じゃぁ、俺、今日は真空って呼ぶわ」
「え。何故に!?」
「休日仕様。俺はオンとオフを切り替えたいねん。今日は先生モードオフで行くから、真空も俺のこと先生って呼ぶの禁止な」

それ、困る。何て呼んだらいいのか迷う。

「……最上……さん?」
「あかん。俺のことも下の名前で」

折角の妥協案で、先生とは呼ばず『さん』付けしたのに、即座に却下されてしまった。

「……下の名前って……」

何でしたっけ?と率直には申し訳無さすぎて聞けない。だけど彼は私が濁した言葉をきっちり拾い上げてしまったので、再び眉が下がった。

「知らないんや」
「す、すみません」
「……いつもお喋りすんのにショック……」
「ごめんなさい」

さすがに名前覚えてないって失礼すぎるよね……。嫌われちゃったかな?私……。

自分の不甲斐なさに頭を下げていく。すると、最上先生は噴き出した。

顔を上げると、最上先生は肩を揺らして笑っていた。

「さすがに俺も全員の先生の名前覚えてへんって。真空は昨日、たまたま職員名簿を見て知っただけ」

で、ですよね。全員は知らないですよね。
最上先生の表情を見るに、どうやら私はからかわれたらしい。

「また私のこと、からかいましたね?」
「真空は俺の言うことを真剣に聞きすぎや」
「真剣に聞いてしまうんです」
「そうか。そんなに俺の声が好きなんか」
「そんな訳ないでしょう!」

しみじみという最上先生の言葉に、間髪入れずに否定してしまった。あ。またほら。彼の眉が下がる。

「ひどいな、真空。俺の名前知らんかったくせに」
「……それは……すみません」
「ちなみに俺の名前は良平(りょうへい)。リピート アフターミー!りょーへー」
「……りょーへー……さん」

そうか。この人、良平って言うのか。

私はちゃんと、リピートしたのに、彼は不服そうだ。

「何で、さん付けたんや。良平でええのに」
「いや、一応曲がりなりにも年上ですし」
「曲がりなりにもって何やねん」
「そのまんまの意味です」

そんなどうでもいいような会話を続けた。1つ話せば1つ返ってくる。その会話のテンポが心地よくて、楽しいことに気づいた、初めてのお出かけだった。

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