この恋に、 ひとさじの 勇気を。
***
「おー。水着や」
「やだ。見ないでください!」
「何でやねん。減るもんないやろ」
「へ、ヘンタイ!」
8月の休みには、2人でプールに来た。
何かの拍子に水泳の話になって、私が50 mは泳げると言っても、彼は信じなかったから。
『泳げますって!私ってどんな風に見られてるんですか?』
『ドジで方向音痴で、ついでに運動音痴?』
『私、女バスやってましたんで、そこまで運動音痴じゃないと思います』
『でも、水泳はどうだか』
『だ、か、ら!』
『じゃあ、見せてや。今度の休み、プール行こうや』
『いいですよ。証明してみせましょう!』
そんな売り言葉に買い言葉でプールに行くことに決まった。彼に水着姿を披露することになると気づいたときには、後の祭りだ。慌てて、新しい水着を買いに走ったのは言うまでもない。
私が選んだのは、ブルーのグラデーションが入ったビキニ。だけど、それだけじゃ絶対に耐えられないから、白のキャミソールを着て、下はショートパンツ姿だ。
それなのに、彼はジーッと見てくる。
「可愛い水着じゃん」
「だから、見ないで!」
「プールで水着見ないで何見るねん」
「ヘンターイ!!」
そんなに見ないでほしい。仕事しかしてきていない私は腕やお腹周りがたるんでいるのだ。幾らキャミソールでも体型は隠せない。
しかし、目の前の男がなかなか引き締まった身体をしていることが解せない。いつ筋トレする暇あるの?
「何で良平さん、メタボ腹じゃないんですか!腹立つ!」
「何?見惚れた?惚れ直した?」
「見惚れてないですし、そもそも惚れてないですし!!」
もはや挨拶代わりのやりとりをひとしきり終えた後は、大人しくプールに入った。水に入ってしまって、浮き輪の中に入れば、ほとんど体型は気にならない。
「早く引っ張れー。遅い〜!」
「お前が重いせいやろ」
「ひどい!良平さん。それってセクハラ!」
「事実を言ったまでだ」
プールは色んな種類があった。流れるプールを迷惑を百も承知で逆流してみたり、25 mプールで勝負したり、スライダーに挑戦したら、2人揃ってヘロヘロになった。
「ちょっと、休憩しやんか?さすがにヘロヘロや」
「良平さん。歳ですね」
「そういうお前も息切れてるやん」
プールから上がると途端に重力を感じて、床に置かれた浮き輪の上にへたり込んだ。良平さんには軽口を叩いたけれど、私もヘロヘロだ。
「俺、何か食えるもん買ってくる。ちょっと早いけど、昼飯にしよう」
このプールでは焼きそばやフランクフルトなどを売っている売店がある。水着のまま入れる温泉もあったはずだから、午後はそこでまったりするのもいいかもしれない。
お腹空いたなぁなんて、上の空でいたから、
「ねぇ?キミ今1人?」
「よかったら、僕たちと遊ばない?」
男性2人が声をかけてきたことにとても驚いた。
うわー。これ俗に言うナンパって奴だ。わざわざこんな地味な女にまで声かけるんだぁ、ご苦労なこった。
「緊張しなくていいよ」
「向こうに温泉あるんだ。一緒に行こうよ」
どうやら、冷静に現状を分析している姿は、緊張していると受け取られたらしい。作り笑いが本当に胡散臭い。王子様スマイルとかいうのを実践しているつもりだろうか。
なんて、考えていたけれど、強引に腕を引っ張られ立たされた時にはさすがに焦った。
「……あ、あの、一緒に来ている人がいるんで!」
「今いないじゃん?」
「いいじゃん。僕たちといる方が楽しいよ?」
腕を無理矢理引っ張られる。痛くて顔をしかめた。
「痛い!やめて……」
助けて。怖い。
必死に抵抗しようともがいても、男性の力にかなうわけがない。
「いや!離して!」
「何やっとんねん!」
ドスの効いた低い声が聞こえた瞬間、腕の痛みが消えた。見ると、彼が男達の腕を捻り上げている。
「こいつに何か用あるんか!?」
職業柄よく通る声で、この地では聞きなれない関西弁を話す彼に、明らかに男性陣はビビっている。
「用がないなら、とっとと、去れ!」
男達の腕を離した良平さんは、今度は私を守るように、肩を抱き寄せた。抱きしめられて気づく。私は震えていた。
プールサイドの水音で男達が去っていったのが分かる。それでも、良平さんは私を離さず、むしろさっきよりも強く抱きしめてきた。
「……大丈夫か?」
「……はい」
胸の鼓動が早いのは、さっきの恐怖か。それとも普段感じることがないこの胸の広さか。
頭1つ分大きい良平さん。頭の上から、声が降ってくる。
「ごめんな。1人にして」
「良平さんのせいじゃないです」
「まさか、お前に声をかける物好きがおるとは思わんかった」
「……それ、若干、私に失礼です」
自分でも思ってしまったけれど、それは良平さんに言われることじゃない。私の頬が膨れると良平さんは大きく笑いながら、体を離した。
「まぁ、無事でよかった。焼きそば買って来たから食おう」
「……はい」
離れた温もりが寂しいとか。
彼の笑顔に鼓動が跳ねたとか。
……まさか、そんな訳ない。
「ナンパから助けた俺カッコよかったやろ?」
「…………まさか」
うそ。カッコよかった。
「何?今の間。やっぱり、ホンマは見惚れたやろ?」
「いや、よくそこまで自画自賛出来るなと呆れただけです」
「ひどいなぁ」
「でも、ありがとうございます」
気のせい。きっと。
よく言う"吊り橋効果"だ。
恐怖のドキドキを勘違いしているの。
そう胸の鼓動はきっと、気のせい。