フェアリーテイルによく似た
△2手 消えた光
一年前の三月。
私の彼・前郷元輝は姿を消した。
本人から聞いたわけじゃないけど、理由はわかっている。
プロ棋士になれなかったからだ。
元輝は将棋のプロ棋士を目指していた。
将棋でプロになるためには奨励会という養成機関に入り、四段に昇段しなければならない。
規定に則って昇段して三段になると、最後は三段リーグと呼ばれる地獄のリーグ戦。
そこで半年で18局戦って、上位二名だけが四段プロデビューできる。
つまり、年間でプロになれるのは四人だけ。
中学一年で奨励会入りした元輝は、躓きながらも昇段して三段にまでなった。
三段になれれば天才と言う人もいる世界だけど、四段に上がれなければただのアマチュアだ。
駒の動かし方もわからない素人も、天才である三段も、プロでなければ同じ位置。
そして年齢制限の二十六歳までにプロになれなければ、強制的に退会させられる。
元輝にとって、去年の三月は瀬戸際の戦いだった。
三段リーグでは一日に二局指すのだけど、最終日に二勝できれば本当にわずかながら昇段の可能性を残していた。
『行ってきます』
『行ってらっしゃい』
余裕なんてないはずなのに、あの朝元輝は口角をわずかに上げてこの部屋を出ていった。
階段を降りる重い足取りをドア越しに聞いて、私は窓へと駆け寄る。
通りに立ち、日差しに目を細めながら私に向かって軽く手を上げたあの姿が、元輝を見た最後だった。
あの日、やらなければならない家事さえ手につかず、私はこの部屋でひたすら元輝の帰りを待っていた。
元輝は二勝すると大喜びして、私への連絡も忘れて飲みに行ってしまう。
そして真夜中に酔っ払って、窓の外から大声で呼ぶのだ。
『千沙乃ーーっ! 千ー沙ー乃ーーっ! 勝ったよーーっ!』
その声をずっとひとりで待っていた。
もしかしたら今日は少しだけ違うかもしれない。
『千沙乃ーーっ! 四段になったー! プロになったー!』
そんな声が聞けるかもしれない。
なかなか帰って来ないのは、嬉しくて酔い過ぎて、どこかで寝ているのだろうか。
お祝いが盛り上がって帰してもらえないのかもしれない。
悪い方に向かいそうな思考を、妄想することで必死にプラスにしようとあがき続けた。
だけど本当はわかっていた。
電話が繋がらない理由も、帰ってこない理由も、決してお祝いなんかじゃないって。