フェアリーテイルによく似た
「将棋から離れようと思って、どうせなら世界の果てに行きたいと思ったんだ。それで日本と真裏にあるブラジルに行ったんだけど」
元輝はおかしそうにクツクツと笑う。
「通りに座ってたおじいちゃんたちがね、将棋指してたんだ」
ブラジルには日系移民が多いから、将棋を指せる人も多いらしい。
「ルールなんてメチャクチャなの。桂馬は横にも跳ねるし、平気で二歩(同じ筋、つまり縦のラインに歩を二枚打つこと。反則)とかするし。でもね、楽しかった」
将棋を『楽しかった』なんて元輝の口から聞いたことがあっただろうか。
ずっと狭い世界だけで生きてきた元輝に、広い世界は新たな光を見せてくれたらしい。
「俺、指導棋士(初段以上の奨励会退会者が申請できる資格)取って、将棋教える。それから連盟の仕事が決まったんだ。来月から販売部で働く」
頷くこともできずにただただ聞いている私の左手を、元輝が強く握る。
「この一年、俺から自由になるチャンスだったのに」
言葉とは裏腹に自信たっぷりな笑顔を封じ込めるように、ちゅっと一瞬口付ける。
「自由なんていらないの」
私はここに閉じこめられていたわけじゃない。
自分の意志でここにいた。
だけど、他の選択肢なんて奪って欲しい。
あなただけを待つ私でいい。
貴重品をしまっている引き出しから白い小箱を取り出して元輝の前に置いた。
「帰ってきたら渡そうと思ってたの」
元輝がいなくなった日の翌日買ってきた箱には、一対の指輪が収まっている。
私の考えた最善手。
それを確認して、元輝は驚いた。
「無職の人間にプロポーズするつもりだったの?」
元輝がどんなにひどい顔をして帰って来ても、私は笑顔で迎えようと思っていた。
どうせ何も言えないなら、思い切り的外れなことを言ってやろうって。
それなのに作った笑顔はみるみる崩れ、半分以上涙声になってしまう。
「将棋が元輝を受け入れなくても、私が受け入れる。だから……もう、どこにも行かないで」
ポタポタ涙を落とし続ける私をじっと見たあと、元輝は大きな方の指輪を自分の左手薬指にはめた。
そしてもうひとつを私の左手薬指に通す。
「いや、これからも色んなところに行く。だから千沙乃も一緒に行こう。これまで行けなかった分も」
「お金ないくせに」
「頑張って盤駒いっぱい売りつける」
「販売部って歩合制なの?」
「違うけど、意気込み?」
その笑顔はまだ弱々しいけれど、確かに本物の笑顔だった。
元輝は夢に挑戦して負けた。
だけど、挑戦した者でなければ負けることすらできない。
何も持たない私には、そんなあなたがとても眩しい。