守神様の想い人
森の奥へ向かう道のりは楽ではなかった。
しかし、送る皆は休みもせずにひたすら歩き続ける。
村を出て、半日と少し歩き通したのち、深い森の中、そこだけぽっかりと開けた、日の射し込む所へ着いた。
そこは聖地として誰も近づかない所だ。
静かに輿を下ろし、送ってきてくれた男衆が短い挨拶をかけてくれる。
最後に声をかけてくれたのは長老の息子のバルベルトだった。
「サァラ、ミア、………すまん。」
その目にはうっすら涙がうかんでいたが、私たちがうなづくとキリッとした声で叫んだ。
「聖なる森の神よ。ここに捧げ物を届けたもうた。どうか我らに恵みをもたらしたまわんことを。」
そして、皆で祈りを捧げたあと、静かに来た道を帰っていった。
私と母だけが残されたそこは、とても静かで、鳥のさえずりが時おり聞こえるだけだった。
私達は輿の中で何も話さず何かを待っていた。
今まで贄になって帰った者がいないということは、森でそのまま息絶えたと思って間違いないだろう。
飢えで死んだのか、森の獣に食われたのか………、それとも、森の守神様に召されたのか………。
そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
ザァァァーーーーッ
風の渡る音が一面に響きわたる。
私と母は手を取り合い、外の気配をうかがった。
風が止んだ森は静かで、さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声もしない。
少し心もとなくなった頃に………、聞いたこともない美しい声が響いた。
『出ておいで。』
私と母は顔を見合わせた。
『怖がらなくていい。』
そう言われて、私達は恐る恐る籠の外へ這って出た。
辺り一面に虹色の光が溢れ、見たこともない美しい光景に目を見張る。
気がつくと、目の前の樹の枝あたりにサラサラと揺れる衣が見えた。
目を凝らして見ると、そこには、なんとも表現できないほど美しい人が腰かけてこちらをうかがっていた。
透き通るような肌に輝く長い髪………、一目で私達とは違うんだとわかる。
守神様とは………、こんなにお美しい方だったんだ………。体に甘い痺れがひろがり、全ての感覚が守神様に注がれる。
『この度は一人ではないんだね?』
今度は目を見ながら話しかけられてハッと我に返った。
「し、失礼を!私は贄に選ばれましたサァラ、こちらは私の母でございます。」
必死に答えると、守神様はニコリと微笑んでフワリと私達の眼前に降り立った。
『サァラ………、そんなにかしこまらなくていい。母君も………。』
守神様が母の方へ向いて苦笑いをしているのに気付き見ると、母は地面に突っ伏して震えていた。
「お母さん………。」
私は母の肩に手を当てた。
『さぁ、ここではなんだ。ついておいで。………母君は、フフ、無理そうだね。』
守神様がスッと手のひらを反すように振ると、母の体はフワリと宙に浮いた。
そして、いつの間にか目の前には美しいお屋敷への入り口が開いていた。
「こ、ここは?」
『いつもここにあるけど、いつも見えるわけじゃないんだ。さぁどうぞ、サァラ。』
一歩中に入ると、いい薫りが鼻を抜ける。
守神様は奥にゆっくり歩いていった。
後ろをついて歩きながら気がついた………守神様は私達よりずっと背が高い。
村の男衆にも、こんなに高い人はいない。
でも、見てとれる体は人と同じ造りのようだ………、見たこともないほどの美しさを除いては。
「………。」
『心配しなくても悪いようにはしないから………。』
母はフワフワと運ばれながら気を失っているようだった。
着いたのは広く明るい部屋で、綺麗な机や柔らかそうな長椅子が置かれていた。
『さあ、座って。』
母は長椅子の一つに横たえられた。
恐る恐る椅子に座ると、目の前には温かい飲み物が見事な茶器に入れられ置かれていた。
『母君には目が覚めたら差し上げよう。サァラは先にどうぞ。』
「いただきます。」
その温かいお茶は甘く、とても良い香りがして飲むと落ち着いた。
『それで、今回も雨を降らせればいいんだよね?』
ハッとして守神様のほうを見た。
「あ、あの、守神様………、」
言いかけると、守神様が苦笑いを浮かべて首を横に振る。
『アミルと呼んで。サァラ………。』
優しい視線に思わず鼓動が高鳴って胸が苦しくなる。
「そ、そんな、あまりにも………、」
まともに守神様の方を見ていられなくなってうつむいた。
『そう………。』
守神様の声が少し寂しそうに呟いた………ように聞こえた。
「う………、サァ………ラ………。」
母が小さな声で唸ったかと思うと、長椅子の上で勢いよく起き上がった。
「お母さん、気がついたのね………。」
「サァラ!無事だったんだね………っ。」
その言葉を聞き、私達が守神様をどんな風に思っていたのか端的に表しているような気がして胸が傷んだ。
「お母さん………!」
『いいんだ………、サァラ。』
守神様を見ると、諦めたように優しく微笑んでいた。
母はわけがわからない様子で私達をみている。
そんな母に笑いかけながら守神様が小さく息を吐きながら話し出した。
『ねぇ、サァラ、それから、サァラの母君はなんて呼べばいいのかな?』
戸惑う母に代わって私がこたえる。
「ミア、です。」
守神様はニコリと笑ってうなづいた。
『ミアもどうぞ。』
見ると、母の前にもいつの間にか湯気のたつ茶器が置かれていた。
驚く母をしり目に守神様はまた話し出した。
『サァラ、ミア、とりあえず、村にはもう雨を降らせたから安心して。』
母と顔を見合わせ、守神様にお礼を言おうとしたが、先に守神様が続けた。
『でね、村から時々こうして人を寄越すけれど、雨くらいならいつでも降らせてあげるから、贄の儀式なんてやめてほしいんだ。』
そこまで聞いて、私は一つ気になることを尋ねずにはいられなかった。
「あの、………きいてもいいでしょうか?」
『なんでもどうぞ。』
守神様の視線を感じながら、ドキドキしながら尋ねる。
母はまだ状況がのみ込めないのか茫然としていた。
「ここに送られてきた贄は、誰一人、村には帰ってこなかったと聞きました。その人たちは………、」
そこまで言って、何と続ければいいのかわからなくなってしまった。
どんな風に尋ねても、守神様を傷つけてしまいそうに思ったから………。
『サァラは優しいね。………贄として来た子はここで生涯を過ごしたんだ。』
(ここで生涯………、守神様と?)
私は胸が苦しくて、どうして、そんな気持ちになるのか戸惑った。
贄に差し出されて、悲しい生を終えたのではなかったんだ………。
それは、喜ばしいことで有りこそすれ、私が苦しく思うことなんてないはずなのに………。
『でもね、贄としてここへ来るまでは、みんな辛かったはずだ。サァラも。そして、ミアもサァラを思って一緒に来たんだろう?どんな目に合うかわからないのに。』
それまで茫然と聞いていた母は、自分の思い込みで守神様にさっき失礼なことを言ってしまったことに気づいたようで、申し訳なさそうにうつむいた。
『だから………、もう終わりにしたいんだ。誰もここに寄越さないで欲しいんだ。』
それを聞いて、なぜかとても寂しい気持ちになって、思わず目頭が熱くなるのを感じたけれど我慢した。
「サァラとミアを村まで送ってあげるから、皆に話してくれるかい?」
村まで………送る………。私、帰されるんだ、村へ。私は涙を我慢しきれなくなって、溢れるままにこぼした。
「サァラ?」
母が心配そうに側に来てくれる。
『………………………。今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい。そこの部屋で眠るといいよ。ああ………、そうだ。お腹は空いてないかい?』
私は涙が止められず何も答えずにいたら、母が首を横に振って返事をした。
『そう。ここに居ると、食事や不浄や、およそ人間らしいことに縁がなくなる。でも、今までの習慣でそうしたことをしたくなるようでね。なにかあれば、いつでも呼んでくれればいいから………。』
そう言うと、守神様は私が涙を流していることには触れずに別の扉へと入っていった。
しかし、送る皆は休みもせずにひたすら歩き続ける。
村を出て、半日と少し歩き通したのち、深い森の中、そこだけぽっかりと開けた、日の射し込む所へ着いた。
そこは聖地として誰も近づかない所だ。
静かに輿を下ろし、送ってきてくれた男衆が短い挨拶をかけてくれる。
最後に声をかけてくれたのは長老の息子のバルベルトだった。
「サァラ、ミア、………すまん。」
その目にはうっすら涙がうかんでいたが、私たちがうなづくとキリッとした声で叫んだ。
「聖なる森の神よ。ここに捧げ物を届けたもうた。どうか我らに恵みをもたらしたまわんことを。」
そして、皆で祈りを捧げたあと、静かに来た道を帰っていった。
私と母だけが残されたそこは、とても静かで、鳥のさえずりが時おり聞こえるだけだった。
私達は輿の中で何も話さず何かを待っていた。
今まで贄になって帰った者がいないということは、森でそのまま息絶えたと思って間違いないだろう。
飢えで死んだのか、森の獣に食われたのか………、それとも、森の守神様に召されたのか………。
そんなことをぼんやりと考えていたときだった。
ザァァァーーーーッ
風の渡る音が一面に響きわたる。
私と母は手を取り合い、外の気配をうかがった。
風が止んだ森は静かで、さっきまで聞こえていた鳥の鳴き声もしない。
少し心もとなくなった頃に………、聞いたこともない美しい声が響いた。
『出ておいで。』
私と母は顔を見合わせた。
『怖がらなくていい。』
そう言われて、私達は恐る恐る籠の外へ這って出た。
辺り一面に虹色の光が溢れ、見たこともない美しい光景に目を見張る。
気がつくと、目の前の樹の枝あたりにサラサラと揺れる衣が見えた。
目を凝らして見ると、そこには、なんとも表現できないほど美しい人が腰かけてこちらをうかがっていた。
透き通るような肌に輝く長い髪………、一目で私達とは違うんだとわかる。
守神様とは………、こんなにお美しい方だったんだ………。体に甘い痺れがひろがり、全ての感覚が守神様に注がれる。
『この度は一人ではないんだね?』
今度は目を見ながら話しかけられてハッと我に返った。
「し、失礼を!私は贄に選ばれましたサァラ、こちらは私の母でございます。」
必死に答えると、守神様はニコリと微笑んでフワリと私達の眼前に降り立った。
『サァラ………、そんなにかしこまらなくていい。母君も………。』
守神様が母の方へ向いて苦笑いをしているのに気付き見ると、母は地面に突っ伏して震えていた。
「お母さん………。」
私は母の肩に手を当てた。
『さぁ、ここではなんだ。ついておいで。………母君は、フフ、無理そうだね。』
守神様がスッと手のひらを反すように振ると、母の体はフワリと宙に浮いた。
そして、いつの間にか目の前には美しいお屋敷への入り口が開いていた。
「こ、ここは?」
『いつもここにあるけど、いつも見えるわけじゃないんだ。さぁどうぞ、サァラ。』
一歩中に入ると、いい薫りが鼻を抜ける。
守神様は奥にゆっくり歩いていった。
後ろをついて歩きながら気がついた………守神様は私達よりずっと背が高い。
村の男衆にも、こんなに高い人はいない。
でも、見てとれる体は人と同じ造りのようだ………、見たこともないほどの美しさを除いては。
「………。」
『心配しなくても悪いようにはしないから………。』
母はフワフワと運ばれながら気を失っているようだった。
着いたのは広く明るい部屋で、綺麗な机や柔らかそうな長椅子が置かれていた。
『さあ、座って。』
母は長椅子の一つに横たえられた。
恐る恐る椅子に座ると、目の前には温かい飲み物が見事な茶器に入れられ置かれていた。
『母君には目が覚めたら差し上げよう。サァラは先にどうぞ。』
「いただきます。」
その温かいお茶は甘く、とても良い香りがして飲むと落ち着いた。
『それで、今回も雨を降らせればいいんだよね?』
ハッとして守神様のほうを見た。
「あ、あの、守神様………、」
言いかけると、守神様が苦笑いを浮かべて首を横に振る。
『アミルと呼んで。サァラ………。』
優しい視線に思わず鼓動が高鳴って胸が苦しくなる。
「そ、そんな、あまりにも………、」
まともに守神様の方を見ていられなくなってうつむいた。
『そう………。』
守神様の声が少し寂しそうに呟いた………ように聞こえた。
「う………、サァ………ラ………。」
母が小さな声で唸ったかと思うと、長椅子の上で勢いよく起き上がった。
「お母さん、気がついたのね………。」
「サァラ!無事だったんだね………っ。」
その言葉を聞き、私達が守神様をどんな風に思っていたのか端的に表しているような気がして胸が傷んだ。
「お母さん………!」
『いいんだ………、サァラ。』
守神様を見ると、諦めたように優しく微笑んでいた。
母はわけがわからない様子で私達をみている。
そんな母に笑いかけながら守神様が小さく息を吐きながら話し出した。
『ねぇ、サァラ、それから、サァラの母君はなんて呼べばいいのかな?』
戸惑う母に代わって私がこたえる。
「ミア、です。」
守神様はニコリと笑ってうなづいた。
『ミアもどうぞ。』
見ると、母の前にもいつの間にか湯気のたつ茶器が置かれていた。
驚く母をしり目に守神様はまた話し出した。
『サァラ、ミア、とりあえず、村にはもう雨を降らせたから安心して。』
母と顔を見合わせ、守神様にお礼を言おうとしたが、先に守神様が続けた。
『でね、村から時々こうして人を寄越すけれど、雨くらいならいつでも降らせてあげるから、贄の儀式なんてやめてほしいんだ。』
そこまで聞いて、私は一つ気になることを尋ねずにはいられなかった。
「あの、………きいてもいいでしょうか?」
『なんでもどうぞ。』
守神様の視線を感じながら、ドキドキしながら尋ねる。
母はまだ状況がのみ込めないのか茫然としていた。
「ここに送られてきた贄は、誰一人、村には帰ってこなかったと聞きました。その人たちは………、」
そこまで言って、何と続ければいいのかわからなくなってしまった。
どんな風に尋ねても、守神様を傷つけてしまいそうに思ったから………。
『サァラは優しいね。………贄として来た子はここで生涯を過ごしたんだ。』
(ここで生涯………、守神様と?)
私は胸が苦しくて、どうして、そんな気持ちになるのか戸惑った。
贄に差し出されて、悲しい生を終えたのではなかったんだ………。
それは、喜ばしいことで有りこそすれ、私が苦しく思うことなんてないはずなのに………。
『でもね、贄としてここへ来るまでは、みんな辛かったはずだ。サァラも。そして、ミアもサァラを思って一緒に来たんだろう?どんな目に合うかわからないのに。』
それまで茫然と聞いていた母は、自分の思い込みで守神様にさっき失礼なことを言ってしまったことに気づいたようで、申し訳なさそうにうつむいた。
『だから………、もう終わりにしたいんだ。誰もここに寄越さないで欲しいんだ。』
それを聞いて、なぜかとても寂しい気持ちになって、思わず目頭が熱くなるのを感じたけれど我慢した。
「サァラとミアを村まで送ってあげるから、皆に話してくれるかい?」
村まで………送る………。私、帰されるんだ、村へ。私は涙を我慢しきれなくなって、溢れるままにこぼした。
「サァラ?」
母が心配そうに側に来てくれる。
『………………………。今日は疲れただろう。ゆっくり休むといい。そこの部屋で眠るといいよ。ああ………、そうだ。お腹は空いてないかい?』
私は涙が止められず何も答えずにいたら、母が首を横に振って返事をした。
『そう。ここに居ると、食事や不浄や、およそ人間らしいことに縁がなくなる。でも、今までの習慣でそうしたことをしたくなるようでね。なにかあれば、いつでも呼んでくれればいいから………。』
そう言うと、守神様は私が涙を流していることには触れずに別の扉へと入っていった。