ばいばい、津崎。
津崎のお母さんと面識があるわけじゃないけれど、10年前に経験した出来事の中で印象に残っていることがある。
津崎が海に落ちてから、私以上にお母さんは憔悴していた。一向に見つかる気配のない津崎の捜索は1か月後には打ち切りとなり、手掛かりがないまま時間だけが過ぎていく毎日。
結局、事件性や事故の可能性は低いと判断され、津崎は自分で命を絶った、という答えをみんなが受け入れはじめていた。
そんなこと津崎に限ってあるはずがないと、私や美貴たちは言い続けたけれど、津崎のお母さんはただ泣くだけで押し黙ったまま。
まるで、海に飛び込む理由が少なからずあったかのように否定はしなかった。
私はどうしても信じられず、津崎のお母さんを問いただそうとしたこともある。それでも息子を失って悲しんでいる中で、傷口に塩を塗ることはどうしてもできなかったのだ。
津崎を失って、私はよく防波堤からひとりで海を見ていた。ぼんやりと何時間も何日も。
だけれど、消失感は増えるばかりで、私はいつの間にか海を遠ざけるようになり、そのまま逃げるように島を出た。
島から離れたのは、津崎の死を受け入れることができなかったことと、あともうひとつ。
津崎と馴染みのない東京に行き、忙しい日々を送れば、8月21日のことを風化できると思ったから。
津崎はただ遠くにいっただけ。簡単には会えない場所で連絡もとれないけれど、同じ空の下にいるから大丈夫って、津崎はどこかで生きていると思いたかったのだ。
そうしないと、悲しくて寂しくて、息もできないほど苦しかったから。