朝はココアを、夜にはミルクティーを


「郁、って呼んでたな……」

畳み終えた洗濯物をしまいながら、ぼそっとつぶやく。

どんな風に出会って、どのくらいの期間付き合ったのか、そんなことは知らないけど、短い会話の中でも深い信頼関係にあったということはよく分かった。


郁さんが「話がある」と言った時点で、嫌な予感がしていた。
よりを戻したいとか、そういう話だったらどうしようって。

そうしたら、彼はもうこの部屋には帰ってこないのだ。
朝の「行ってきます」と帰宅したあとの「ただいまです」は、聞けなくなるんだなあって思ったら、無性に寂しくなった。

誰も帰ってこなくたって、少し前の生活に戻るだけ。
それでも今は、その「少し前の生活に戻る」のがちょっとだけ怖かった。


壁掛け時計の隣に貼りつけた「同居するにあたっての注意事項」の紙を、ぼんやりと眺める。
いつの間にか、亘理さんとの生活は居心地のいいものになっていたのかもしれない。



その時、玄関の方から物音が聞こえ、反射的に立ち上がった。
駆け足でリビングのドアを開けると、玄関で靴を脱いだ亘理さんが私の脱ぎ捨てたブーツを直してくれているところだった。

その彼の元へ駆け寄った私は、言葉に詰まって彼を見つめるしかできない。
亘理さんは私に気づいて顔を上げ、ふわりとした笑顔を浮かべた。

「白石さん、ただいまです」

「………………おかえりなさい」

私はいま、どんな顔をしているだろう。ちゃんと笑えているかな。
返事を返すのがやっとだった。

─────この瞬間、彼の存在の大切さと向き合えたような気がした。

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