梟に捧げる愛
「な、ない……空だわ」
書斎に飛び込み、金庫の鍵を開け、中を食い入るように見つめるけれど、金庫の中身は見事に空っぽだ。昨日は確かに、金貨や銀貨の袋が入っていたのに。
「全部使ったんですか……?」
「こ、孤児院の経営が困窮して困ってたから……」
「この国は平和です。比較的、貧富の差なんてありません。国の援助でどうにかなりますよ……」
つまり、困窮した孤児院なんて見たことない。少なくとも、ここ王都では。
チヴェッタは力なく、書斎の床に座り込んだ。
エキドナは、頭が悪いわけじゃない。魔法や薬草に関する知識は絶対に忘れないし、新しいこともすぐに覚える。
それなのに、男性が関わるといつもこうだ。
「どうせ、大した会話もできないまま、はいはい言ってたんでしょう」
「そ、そんなこと……ないわ」
エキドナは相も変わらず、視線を合わせようとしない。
男を惑わす──なんて言われているけれど、実際は違う。エキドナは男性と、まともに話せないのだ。
「……どうするんですか。銀貨どころか、銅貨の一枚だって無いんですよ。これじゃあ、何にも買えません」
「それなら大丈夫よ。宰相様にお手紙を書いたら、お金を貸してくれるそうなの」
「……借金。また借金……」
思えば、宮廷魔法使いになったのも、借金が理由だ。男に散々貢いだ挙句、無一文になってしまったふたりに、幸か不幸か、噂を聞きつけた王宮の使いがやって来て、働かないか、と言ってくれたのだ。
エキドナは、男性に捨てられてばかり。
なので、捨てられるたびにその街を、あるいは国を逃げるように去っていく。
それが、ひとつの場所に長居しない理由だ。
けれども今回は、少しばかり良くない状況だった。何せ、借金の連帯保証人になってしまったのだ。借金を返すまで、国を出られない。
という事情の元、ふたりは宮廷魔法使いとなった。期限付きで。
「大丈夫よ。利子はいらないそうだから」
「そういう問題じゃないです」
エキドナは悪人じゃない。身寄りのないチヴェッタを引き取って、育ててくれたのだ。優しい人。本当に優しい人なのだ。
だからチヴェッタは、エキドナを心から愛している。母であり、姉であり、親友であり、恩人だから。
エキドナに弟子入りした多くの者は去ってしまったが、チヴェッタはずっとそばにいると誓っている。
「ねぇ、チヴェッタ。明日、一緒に王様に会ってくれる?」
「私がいないと、師匠は男性の前で話せないじゃないですか」
チヴェッタは現実を受け止め、そして飲み込むことができたようだ。床から立ち上がると、ドレスのシワを伸ばす。
そう悪い状況じゃない。
この屋敷は家賃を払わなくていいし、王宮の厨房に行けばいつでも食事ができるのだ。前向きに考えよう。
「ねぇ、チヴェッタ。気に入った国があったら、遠慮なく言っていいのよ。根無し草は、大変だし、疲れるし」
「私は宿り木のない梟。止まり木があるだけで十分です。さぁ、仕事をしましょう」
チヴェッタはドレスの裾を揺らしながら、書斎を出て行く。
「チヴェッタ……」
エキドナはいつも、チヴェッタに申し訳ないと思っていた。自分がもっと、ううん、人並みにでも男性と話せる人間だったら、きちんと嫌なことは嫌だと言えただろう。
男性を前にすると、うまく言葉が出てこないのだ。相手の顔もよく見れないし、自分に向けられる言葉が嘘なのか真実なのかも判断できない。
もう二十八にもなるのに、ちっとも成長できていない。魔法だけは、自信が揺らがないのに。
エキドナは金庫の鍵を閉め──中身が無いけれど、念の為だ。
そして、何度目かも分からない決意を胸に、書斎を出て行く。
──今度は、今度こそは、嫌なことは嫌だと言ってみせるわ。銅貨一枚だって、渡さない。約束するわ、チヴェッタ!