茜色の記憶
「っていうか、離婚されたってわかってないのかもね。だから田ノ上幸枝様って……」

一度は沸き立った郵便局の中の空気が、途端に静まり返った。
この手紙の意味というか重さに、全員が気づいてしまったのだ。
とりあえず宛先はわかった。多分、直売所のゆきさんで、間違いないだろう。

でも、今を幸せに生きるゆきさんの人生に、この手紙は影を落とすかもしれない。
本当にこの手紙を届けていいのだろうかという迷いが生まれた。

ゆきさんの今の旦那さんである坂下さんは、『山と海のマルシェ』を作った人だ。
『山と海のマルシェ』ができたおかげで、県外からもお客さんが来るようになったし、地元の農家にやる気と活気が生まれた。

みんなから感謝され、信頼されている地元のヒーローみたいな人で、その奥さんであるゆきさんは直売所のスタッフのまとめ役として慕われ、愛されている。

お子さんも二人いる。お休みの日には家族で海にいたり、スタッフや近所の人たちとバーベキューをしている姿を見かけたこともある。

絵に描いたように幸せそうな家族を持ったゆきさんに、失踪していた旦那さんからの手紙なんて渡す必要があるんだろうか。


しかも、凪の言葉を信じるなら、もう長くはないわけで……。
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