従として
軍議が終わって間もなく、三成は左近の元へやって来た。
「左近殿、如何でしたか、軍議の方は。我等ばかり話していたのでは、面白くは無かったやもしれませぬが…」
左近は、呆れたように眉を下げた。
それを機敏に感じ取ったのか、しかしさほど気にしていないような顔で、三成は首を傾げた。
「如何なされた?」
「…殿、貴方様は私のあるじですぞ」
「…?然様なことは、存じているが」
「あるじが家来の機嫌を伺ってどうするのです。貴方様は、もっと堂々と、当主然としておられれば良い」
三成は虚をつかれたような顔をしたが、すぐに持ち直し、いつもの、無表情に限りなく近い顔をした。
「いや、何も機嫌を取ったというわけではない。どうであったと、聞いておるだけのこと」
「その割には随分と、下手から申すような口調ではありませぬか」
「それは左近殿の方が年嵩(年上)であるのだから、致し方ありますまい」
「そのようなことを言ってしまえば、馬廻(=馬廻衆。ボディガードのような役職の人たちのこと)などはどうなるのです。貴方様より年嵩の者などいくらでもおるでしょうに、顎で使うておられるではないか」
「……左近殿、よいか」
三成は溜息をつくように、
「私は貴殿を尊敬しておるのだ。自ら申し出たことではあるが、私のような若造が、貴殿のような百戦錬磨の武人を召し抱えるなど厚かましいのではないかと、今でも思うておる。」
と言った。
そうなのだ。
左近は元々、三成の家来でもなければ、石田家の家臣でもない。ほんの3ヶ月前、三成が、自分の領地の半分と引き換えに、家来になってくれぬか、と言いに来たのを受け入れたに過ぎなかった。現代風の言い方をするならば、一種のスカウトのようなものだったのだ。
では三成に仕える前、左近が何をしていたかと言うと、河内国の畠山氏に仕えていたのである。しかし畠山氏が大和国の筒井氏に滅ぼされてからは、筒井家の当主・順慶に仕えることになった。筒井での左近の活躍振りは凄まじく、名将との呼び声高かったが、順慶の子とは意見が合わず、追い出されることになったのだ。
その後は秀吉の弟の秀長に仕え、豊臣政権の下に身を置いていたわけである。
そこに目をつけたのが、三成であった。
何度も左近の屋敷を訪ね、説き伏せ、己の領地の半分という破格の待遇で引き入れた。
ほとんど例外と言っていい。
それほどまでに、三成は左近の能力を高く評価していたということだろう。
だが、左近とて武士。
一度家臣になると頷いたからには、あるじを立ててやるというのが筋というものである。例え、あるじ自身がそれを望まぬとしても。
「…殿、そのお言葉、光栄至極に存じます。なれど、尊敬していようとも、家来は家来。そのように振る舞って頂かねば、他への示しがつきませぬ」
「…そうなのか」
「良いですか、殿。私は貴方様のことを殿と呼びましょう。それと同じく、私のことは、左近、と呼んでくださればそれで良いのです。それがけじめというものです」
「そういうものか…」
三成はしばらく黙考していたが、やがて、
「確かに、一理ある。今度からはそのようにしよう」
と言った。
あんまりあっさりと受け入れられたのでやや拍子抜けする思いだったが。
ーーいや、この人は元々そういう性分なのだろう。
利に適ってさえいれば、全く別の考えでも受け入れてしまうような、どこまでも現実的な方なのだろう。
ある意味では完璧な、またある意味では危うい、そういう人なのだろう。
「左近、如何した。帰るぞ」
相変わらず凛とよく通る三成の声が、左近の耳に伝わる。
今度は、従としてではない、あるじとしての声である。
左近は、口元に小さく笑みをたたえた。
「はっ、只今参ります」
「左近殿、如何でしたか、軍議の方は。我等ばかり話していたのでは、面白くは無かったやもしれませぬが…」
左近は、呆れたように眉を下げた。
それを機敏に感じ取ったのか、しかしさほど気にしていないような顔で、三成は首を傾げた。
「如何なされた?」
「…殿、貴方様は私のあるじですぞ」
「…?然様なことは、存じているが」
「あるじが家来の機嫌を伺ってどうするのです。貴方様は、もっと堂々と、当主然としておられれば良い」
三成は虚をつかれたような顔をしたが、すぐに持ち直し、いつもの、無表情に限りなく近い顔をした。
「いや、何も機嫌を取ったというわけではない。どうであったと、聞いておるだけのこと」
「その割には随分と、下手から申すような口調ではありませぬか」
「それは左近殿の方が年嵩(年上)であるのだから、致し方ありますまい」
「そのようなことを言ってしまえば、馬廻(=馬廻衆。ボディガードのような役職の人たちのこと)などはどうなるのです。貴方様より年嵩の者などいくらでもおるでしょうに、顎で使うておられるではないか」
「……左近殿、よいか」
三成は溜息をつくように、
「私は貴殿を尊敬しておるのだ。自ら申し出たことではあるが、私のような若造が、貴殿のような百戦錬磨の武人を召し抱えるなど厚かましいのではないかと、今でも思うておる。」
と言った。
そうなのだ。
左近は元々、三成の家来でもなければ、石田家の家臣でもない。ほんの3ヶ月前、三成が、自分の領地の半分と引き換えに、家来になってくれぬか、と言いに来たのを受け入れたに過ぎなかった。現代風の言い方をするならば、一種のスカウトのようなものだったのだ。
では三成に仕える前、左近が何をしていたかと言うと、河内国の畠山氏に仕えていたのである。しかし畠山氏が大和国の筒井氏に滅ぼされてからは、筒井家の当主・順慶に仕えることになった。筒井での左近の活躍振りは凄まじく、名将との呼び声高かったが、順慶の子とは意見が合わず、追い出されることになったのだ。
その後は秀吉の弟の秀長に仕え、豊臣政権の下に身を置いていたわけである。
そこに目をつけたのが、三成であった。
何度も左近の屋敷を訪ね、説き伏せ、己の領地の半分という破格の待遇で引き入れた。
ほとんど例外と言っていい。
それほどまでに、三成は左近の能力を高く評価していたということだろう。
だが、左近とて武士。
一度家臣になると頷いたからには、あるじを立ててやるというのが筋というものである。例え、あるじ自身がそれを望まぬとしても。
「…殿、そのお言葉、光栄至極に存じます。なれど、尊敬していようとも、家来は家来。そのように振る舞って頂かねば、他への示しがつきませぬ」
「…そうなのか」
「良いですか、殿。私は貴方様のことを殿と呼びましょう。それと同じく、私のことは、左近、と呼んでくださればそれで良いのです。それがけじめというものです」
「そういうものか…」
三成はしばらく黙考していたが、やがて、
「確かに、一理ある。今度からはそのようにしよう」
と言った。
あんまりあっさりと受け入れられたのでやや拍子抜けする思いだったが。
ーーいや、この人は元々そういう性分なのだろう。
利に適ってさえいれば、全く別の考えでも受け入れてしまうような、どこまでも現実的な方なのだろう。
ある意味では完璧な、またある意味では危うい、そういう人なのだろう。
「左近、如何した。帰るぞ」
相変わらず凛とよく通る三成の声が、左近の耳に伝わる。
今度は、従としてではない、あるじとしての声である。
左近は、口元に小さく笑みをたたえた。
「はっ、只今参ります」