徹生の部屋
コーヒーを、とキッチンに戻ったけれど、時計を確認すればちょうどお昼。
初日に買ったうどん玉が残っていたので、それを使って焼きうどんにした。

ちょっと胡椒が強かった昼食後のコーヒーを淹れようとして、粉のある棚へと伸ばした手が、隣に並んでいた缶のひとつを取る。
クラシカルな趣の缶には装飾文字で『アールグレイ』とあった。

白磁のカップ&ソーサーと揃いのティーポット。茶葉に熱湯を注ぐと、ベルガモットの香りがふわりと上がる。

リビングにいる徹生さんのところへ持っていったら、僅かに眉が上下したけれど、なにも言わずに飲み始めた。

「彼女の名前は、樺嶋(かばしま)寿美礼。樺嶋建設の社長令嬢で現副社長だ」

私がソファに座りカップを持ち上げると、徹生さんは前置きもなく、まさしく訊きたかったことを語り始める。
予想以上のセレブな素性に、口元まで持っていったカップをお皿に戻してしまった。

「樺嶋建設って、あのカバのマークの?」

頭の中に、安全ヘルメットを被ったピンク色のカバが鉄骨を担いでいる図が思い浮かぶ。国内でも五指に入る大手の建設会社だ。

「彼女の父親が俺の父の弟の嫁、つまり叔母の兄なんだ」

血の繋がらないいとこみたいなもの、と自分の中で解釈して頷いた。

「寿美礼の家もこの近所にあって、中学で男子部と女子部に別れるまでは同じ学校に通っていた。所謂、幼馴染みってヤツだ。この家にもよく我が家同然に出入りしていたから、あんなに態度がデカくてな」

私にも似たような幼馴染みがいるからわかる。苦笑してそういうけれど、徹生さんの表情はどこか懐かしそうだった。

「じゃあ、楢橋さんは……」

「アイツはいま、寿美礼の秘書みたいなことをしているらしい。もっともヤツは、昔から女王様の下僕みたいだったが」

今度はからかうみたいな口調に苦さが混じるのを感じた。

「楢橋さんも、この町の出身なんですか?」

「ああ。中学までは同級生だった。そういえば子供のころは、毎年三人で花火大会に出かけていたな」

私が知る由もない当時の様子が映し出されているかのように、茶褐色の水面に落としていた視線が上げられる。

「市が主催の花火大会に、当サクラグループと樺嶋建設も協賛している。なかなか盛大だぞ」

向けられた瞳はいつもみたいにイジワルなものでなく、優しく柔らかい。

「楓、一緒に花火を見に行こう」

それはまるで、恋人をデートに誘うように甘く囁かれる。

私の心臓が早くも花火の打ち上げ音が響いたみたいに、ドクンと大きく鳴った。






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