徹生の部屋
すべてを思い出したら、涙がピタリと止まった。顔も耳も、身体全体が恥ずかしさで熱くなる。


桜王寺邸での初日。泥酔し、部屋を間違えて徹生さんのベッドで寝てしまった私は、彼が戻ってきた音で一度目を覚ましていたのだ。

裸同然の私に驚きながらも、自分は別の部屋で寝るからと出ていこうとした徹生さんに、あろうことか、私からしがみついていた。

『ひとりにしないで』と。

顔をグズグズにして泣きじゃくりながら、東京へ来てからの愚痴や不安をぶちまけてしまった。

挙句の果てに、窓を閉めてエアコンを点けようとした彼を叱りつけ、祖母の教えを切々と説きながら、また故郷を思い出して涙を流し……。

それを彼は辛抱強く、呆れることもバカにすることもなく黙って聞いてくれて、宥めるように頭や背中を優しくさすり続けた。

ひとりはイヤだと子どもみたいに駄々をこねる私に、自分がいるから、と泣き疲れて眠るまで何度も言い聞かせてくれた。



わあ、もうどうしよう!?
二度と彼の顔をまともに見ることなんてできないじゃない!

羞恥でジタバタと床を転がり回りたいけれど、狭い部屋では困難だ。我慢して頭を抱える。

とんでもない迷惑女だ、私。

脳みそが沸騰してしまいそうに熱くなっていた頭が、急速に冷えた。
心配しなくても、もう二度と彼に会うことなんてないのでは、と気づいたから。

私の顧客は姫華さんであって、彼ではない。
会社同士の提携が始まるといっても、私は担当部署が違うし、御曹司である徹生さんがこまごまとした打ち合わせになど、直接顔を出すとは思えない。

偽りの恋人としてのお役目を終えた私と彼を繋げるものは、もうなくなってしまっている。

そう思い至ったら、ヘナヘナと力が抜けていった。

唐突に、ピンポーンとインターフォンがエントランスに来客があることを知らせる。
こんな時間に誰だろう。不審に思いつつモニターを覗いて固まった。

どうしてここに徹生さんが!?

不機嫌丸出しの顔が画面いっぱいに映し出され、私からの応答を待つ。
ちょっと待って、いまは無理。というか一生合わせる顔がない。

ここは居留守を決めこんだ。オートロックだし諦めるだろう。

三回くらい呼び出し音が鳴らされたけれど、耳を塞いで完全無視。
意味などないのに、十分くらい息を殺して部屋に潜んでいた。


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