花の刹那
第一章 「桜草」
「何故わたくしが、北条などにゆかねばならぬのです!!」
達海城の大広間で、栗山殿(香の母。本名・亜弥)の大音声が響き渡った。
広間に会した者たちは、揃って耳を塞いだ。
広間に面する中庭で剣の稽古をしていた子どもたちも、一斉にそちらを振り返る。
栗山殿は、一瞬ばつの悪そうな顔をしたのち、中庭に向かって、
「だ、大事ない!みな、こちらのことは良いから稽古に励みなさい!」
と言った。
中庭の子どもたちは、渋々といった体で、稽古を再開した。
栗山殿を怒らせると、実は御屋形様(=城主。香の父・頼成のこと)よりずっと怖いということを、みんな知っているのである。
栗山殿は、正面に座る、家老・桐谷宗次郎正嗣を睨みつけるようにして言った。
正嗣は、小さく溜め息をついた。
「…で、宗次郎。どういうことですか。説明なさい」
「ですから、御方様(=おかたさま。主君の正室のこと)。我らは北条に下って間もないのですから、主家に、人質を差し出さねばなりませぬ。それで女子を差し出すのは、当然のことかと」
「然様なことは分かっておりますっ!何故その役目がわたくしでなければならないのかと言うておるのですっ!!」
「それは……」
正嗣はこまったような顔をした。
すると、ずっと横で聞いていた頼成が、口を開いた。
「亜弥、あまり我が儘を申すな。人質にならねばならぬというのは、武家のおなごなら覚悟しておるはずであろう?宗次郎を困らせてやるな」
「だ、旦那様までわたくしをいじめるのですね!?ひどうございますっ」
「えっ、いっいや、いじめておるわけでは…ないと思うぞ…?」
「ならば何故、そのようなことを仰るのですっ!亜弥に、人質に行けと申しておるのでしょう!?」
「なっ…然様なこと!思うておるはずがなかろう!出来ることなら、四六時中側に置いておきたい程じゃ!!」
「旦那様っ…! なれば、人質に行けなどとはもう仰いませんね?」
「ああ、勿論だ!!……ん?…あっ」
頼成は、「しまった」という顔をした。
「ほうれ、聞いたな?宗次郎。旦那様もこう仰っておられる。わたくしは、絶っっ対に人質などには行きませぬ!」
栗山殿は、得意げに腕を組むと、高々と宣言した。
その隣では、頼成が申し訳なさそうに小さくなっている。
正嗣は、再び、はあ、と溜め息をついた。
「御方様…屁理屈ばかり申されないで頂きたい」
「屁理屈などではない、旦那様のお言葉であるぞ!」
「御屋形様…」
「すっすまん宗次郎…儂に亜弥を止めるのは無理じゃ…」
宗次郎が3度目の溜め息をつこうとしたその時、1人の女子が、中庭から広間に上がってきた。
「ひ、姫様」
「姫様っ、軍議の最中ですぞ!」
一同が口々に制するが、そんなことはお構いなしというように、少女はずかずかと歩み、広間の真ん中に胡座をかいた。
「これ、香!」
頼成が厳しい声で呼ばわった。
この少女こそ、頼成の長女にして、のちの義宗である。
「何故わたくしが、北条などにゆかねばならぬのです!!」
達海城の大広間で、栗山殿(香の母。本名・亜弥)の大音声が響き渡った。
広間に会した者たちは、揃って耳を塞いだ。
広間に面する中庭で剣の稽古をしていた子どもたちも、一斉にそちらを振り返る。
栗山殿は、一瞬ばつの悪そうな顔をしたのち、中庭に向かって、
「だ、大事ない!みな、こちらのことは良いから稽古に励みなさい!」
と言った。
中庭の子どもたちは、渋々といった体で、稽古を再開した。
栗山殿を怒らせると、実は御屋形様(=城主。香の父・頼成のこと)よりずっと怖いということを、みんな知っているのである。
栗山殿は、正面に座る、家老・桐谷宗次郎正嗣を睨みつけるようにして言った。
正嗣は、小さく溜め息をついた。
「…で、宗次郎。どういうことですか。説明なさい」
「ですから、御方様(=おかたさま。主君の正室のこと)。我らは北条に下って間もないのですから、主家に、人質を差し出さねばなりませぬ。それで女子を差し出すのは、当然のことかと」
「然様なことは分かっておりますっ!何故その役目がわたくしでなければならないのかと言うておるのですっ!!」
「それは……」
正嗣はこまったような顔をした。
すると、ずっと横で聞いていた頼成が、口を開いた。
「亜弥、あまり我が儘を申すな。人質にならねばならぬというのは、武家のおなごなら覚悟しておるはずであろう?宗次郎を困らせてやるな」
「だ、旦那様までわたくしをいじめるのですね!?ひどうございますっ」
「えっ、いっいや、いじめておるわけでは…ないと思うぞ…?」
「ならば何故、そのようなことを仰るのですっ!亜弥に、人質に行けと申しておるのでしょう!?」
「なっ…然様なこと!思うておるはずがなかろう!出来ることなら、四六時中側に置いておきたい程じゃ!!」
「旦那様っ…! なれば、人質に行けなどとはもう仰いませんね?」
「ああ、勿論だ!!……ん?…あっ」
頼成は、「しまった」という顔をした。
「ほうれ、聞いたな?宗次郎。旦那様もこう仰っておられる。わたくしは、絶っっ対に人質などには行きませぬ!」
栗山殿は、得意げに腕を組むと、高々と宣言した。
その隣では、頼成が申し訳なさそうに小さくなっている。
正嗣は、再び、はあ、と溜め息をついた。
「御方様…屁理屈ばかり申されないで頂きたい」
「屁理屈などではない、旦那様のお言葉であるぞ!」
「御屋形様…」
「すっすまん宗次郎…儂に亜弥を止めるのは無理じゃ…」
宗次郎が3度目の溜め息をつこうとしたその時、1人の女子が、中庭から広間に上がってきた。
「ひ、姫様」
「姫様っ、軍議の最中ですぞ!」
一同が口々に制するが、そんなことはお構いなしというように、少女はずかずかと歩み、広間の真ん中に胡座をかいた。
「これ、香!」
頼成が厳しい声で呼ばわった。
この少女こそ、頼成の長女にして、のちの義宗である。