晴れのち曇り ときどき溺愛
 普段の下坂さんなら絶対にあんなことはしない。仕事で疲れていて、誰かと間違えたとしか思えなかった。

 誰にも見られてない。きっと微睡の中の下坂さんも覚えてない。私さえ何もなかったと忘れてしまえればそれでいいはず。窓ガラスに浮かぶ自分の姿をみて、自分の唇に震える指先で触れてみた。

 熱い吐息、耳の奥に残る掠れた男の人の声。

『好きだ…ずっと、好きだった』

 私の心臓は意思とは逆に鼓動を早くする。

 顔はガラス越しでも分かるくらいに真っ赤になっていて、平静を取り戻すにはまだ時間が掛かりそうだった。そして、次第に平静を取り戻すと今度は鼓動が痛みを感じさせる。好きという気持ちは私を縛りつけ、記憶の抹消をしてくれなかった。


 きっと…今日のことは忘れられない。


 この報われない思いを抱いていく覚悟はまだ出来てない。自分の中の弱さはそれだけ私は下坂さんを思っているということ。そう自分を慰めた。

 もうすぐ始業時間になる。
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