魅惑への助走
 「な……!」


 経験がないわけではないけれど。


 ここでムキになって否定しても、余計恥をかきそうな気がして黙っていた。


 「男と付き合ったことないだろ? だからあんな現実離れしたシナリオになるんだな」


 男に体を許したことは無数にあるものの。


 付き合った相手の数は……?


 あの初めての相手すら、「付き合った」とは定義付けが難しいのが現状。


 もしかして私、過去の彼氏数ゼロ!?


 「……じゃ、そろそろ戻りますので」


 これ以上ここで片桐と立ち話をしていても、ろくなことにはならなそうな気がした。


 自分の痛いところを突かれるだけで。


 片桐の脇をそっと通り抜けた途端、冷や汗かもしれないけれど汗がどっと出た。


 汗が出て暑さを感じたため、羽織っていた薄手の上着を脱いで個室に戻ろうとした時だった。


 「おい、お前」


 「はい?」


 呼び止められたので、振り返った。


 「もしかして俺を誘ってる?」


 「は?」


 意味が分からなかった。
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