魅惑への助走
 ……。


 想定外に重ね合った体と体、強引に奪われたような感じだったため、片桐の忌まわしい感触を完全に消し去ることができた。


 「帰らなくていいのに」


 シャワーを浴びて、鏡の前でメイクをしている私の背中越しに、上杉くんが告げてくる。


 上杉くんは裸のまま、タオルケットだけを身にまとい、私のほうを見ている。


 「そうはいかないでしょ。今日は納車の日なんだし」


 先日契約した新車を、今日ようやく手にできる。


 納車後すぐに運転して、再びここまで迎えに来て、それからドライブの約束をしているのに。


 少しでも離れるのが名残惜しいようで、帰ろうとする私を上杉くんは掴まえようとする。


 私もこんな土曜日は、このままずっといちゃいちゃしていたいけれど。


 先方との約束もあるし、念願の車がようやく届くので行かなければならない。


 「あと数時間で車で迎えに来るのに。駄々をこねないで」


 再び私をベッドに連れ込もうとするその手をようやく引き剥がし、やっとのことで帰路につくことができた。
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