魅惑への助走
 「明美ちゃんは、彼氏にはこの仕事のことをまだ伝えてないんだっけ?」


 「はい……」


 レストランを出て、SWEET LOVEのオフィスへと戻る帰り道。


 不意に榊原先輩に尋ねられた。


 「付き合って何ヶ月にもなるんでしょ?」


 「ちゃんと付き合い始めてからは、まだ一ヶ月くらいです」


 「一番ラブラブな頃じゃない」


 一般的に付き合い始めた直後は、退屈とか馴れ合いとかが侵食してこないくらいに、相手に夢中でいられる。


 「彼は明美ちゃんがどこで働いているのかとか、何の仕事をしているのかって、尋ねてこないの?」


 「はい。向こうはまだ働いてないから。私の仕事に関して無頓着みたいで」


 「司法試験浪人だったもんね。……でも、ずっと隠してはいられないよね」


 「折を見て打ち明けなければ、と思っているのですが」


 それは十分に分かっていても。


 なかなかそのような機会もなく、必要も生じず。


 このまま波風立てずにいられるのなら、あえて何も言わずに毎日を過ごしていたいって願ってしまう。
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