魅惑への助走
 ……撮影は順調に進んでいった。


 ベテランで、演技力には定評があるりらさん。


 経験の浅い佐藤剣身を巧みにリードして……。


 いや、デビュー間もない佐藤剣身はすでに、落ち着いた演技を披露している。


 不安や戸惑いを感じることすらないのだろうかと思わせるくらいに、役柄に成り切っている。


 しかもヴァンパイアという、絶対に体験や経験することのない架空の存在に。


 ……。


 終盤。


 人間の女に心を奪われ、ヴァンパイアとしての掟を忘れてしまった彼は。


 愛し合うことに夢中になるあまり、窓から差し込む朝の光に身を焦がし。


 その肉体は塵のように朽ち果ててしまう……。


 「どうして消えてしまったの。もう人間の男となんかじゃ……無理なのに」


 この世のものではない存在である男と、蕩けるようなセックスを知ってしまった女は。


 これから何度人間の男に抱かれても、決して肉体的に満足できないことを悟っている。


 ヴァンパイアが残した灰をその手のひらに集め、灰は指の隙間からさらさらと舞い散る。


 そして窓からは、無情なる朝の光が差し込むのみ……。


 「えっ、これで終わりなんですか!?」


 撮影用カメラが全てオフになった瞬間、私は思わず口にしてしまった。
< 646 / 679 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop