魅惑への助走
 「今さらどうこうなるなんて、有り得ません。あの人は私を憎みに憎み抜いています」


 「愛憎は紙一重だよ」


 葛城さんはそっと私の頬にキスをした。


 「あいつ、明美へのあてつけのためにAV男優になったんだ。しかも元カノの職場をわざわざ選んで。普通じゃない」


 「私への仕返し目的だけで、勤まる仕事ではありません。AV男優という職業は……」


 「あいつの本気とやらがどれほどのものか、見届けてやる必要があるかもな。限界を察したら、さっさと元の世界に送り返してやるのも明美の役目かも」


 「葛城さん」


 「ま、明美とあいつがよりを戻さない限り、俺は明美とこうしていられる」


 「だから私は、世界がひっくり返っても佐藤剣身とは」


 よりを戻すなんてあり得ないと信じていた。


 「もしもそうなったら、隠さなくてもいいから」


 ゆっくりと体を重ねる。


 いつものように互いの全てを求め合い、感じ合う。


 その間は夢中になっていて、ふと忘れてしまっていたけれど。


 ……夫婦として抱き合うのは、この夜が最後になるのだった。
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