魅惑への助走
***


 「よかったよ、明美」


 私の中で力尽きた男に対し、労をねぎらう意味を込め、両足でその体をそっと包み込んであげた。


 しばらくの間、私の上で覆い被さったまま、動けずにいる。


 ……そんなに体力を要するものなんだ。


 「そろそろ時間だな」


 やることだけやり終えたら、男はベッドを降り。


 脱ぎ捨てたまま散らばっていた服をかき集め、再び身にまとう。


 「これ、預かっておくよ。悪いようにはしないから」


 原稿の入った袋を手に、男はそっと笑う。


 「はい。吉報をお待ちしております」


 私はそのままベッドに残り、帰っていく男を見送る。


 背中が見えなくなり、ドアの閉まる音が響き、そして廊下を歩き去っていく音がする。


 男がエレベーターに乗った頃合を見計らい、私は枕元のバッグを開き、煙草とライターを取り出す。


 手に届く範囲に灰皿があるのを確認して、煙草に火をつけた。
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