無意確認生命体
――いつも叫んでいた誰かの声。母をいつも罵っていた……「アイツ」――。
――嘘……でしょ……?
おばぁが居間と廊下を隔てていた襖を引く。
その向こうに……いた。
おじぃと向かい合って、テーブルの向こう側に……、嘘でも夢でも幻でもなく……「アイツ」が……座っていた……。
……その姿は私が知るより、いくらか老いている様子だったけれど……。
当時と変わらない、聞くだけで叫んで逃げ出したくなる……、私がこの世でもっとも嫌悪する、あの音を……目の前のソイツは、その口から吐き出していたのだった。
それを私の耳は、律儀に拾い続ける。
「……雌舞希……か?」
その音が……私の名を発する。
私は背中に冷たい張り付くような汗をかきながら、今朝のマラソン直後なんかより、よっぽどたちの悪い息苦しさに包まれた肺と、ソイツが目に飛び込んできた途端に一瞬にして乾いてしまったノドを、何とか動かして、目の前の男に向けて、どうにかして言葉を紡ぎ出す。
「……おと……う……さん……?」
耳は目の前の男をとっくの昔に認めていて、それに続けて、目が、脳が、全身が、それが誰だか理解してしまっていたのに……、この期に及んで口だけはそれを認めたくないらしく……、申しわけのように、言葉尻に疑問符を付け足した……。
「……ああ。……久しぶりだ……。……大きくなったな……」
しかし私の父、近江宗八《おうみそうはち》は、私のそんな拒否など気にも留めず、いともあっさりと、自らを認めてしまうのだった――。