月が綺麗だと、僕は君に伝えたかったんだ。
 いつもより遠回りだったからか、朝からうるさい奴に出会ってしまったからかは分からないけれど、教室までの道のりだけでいつもの倍疲れた気がする。

「疲れた…。」

げっそりとした表情で教室に入ってきた俺を見て、教室がガヤガヤし始める。

「おい春樹、どうしたんだよ?珍しくげっそりした顔しちゃって」

「ちょっと春樹ぃー、大丈夫なのぉー?」

「お前、顔やばいぞ!!」

正直、受け答えすらも面倒だったから放っておいてくれ、と言いたかったが、その本心を飲み込み、
俺はいつも通りの笑顔を浮かべて

「あー、わりぃっ!今日の朝練ちょっとキツくて疲れてたてただけ!!全然大丈夫、もう治った!!」 

別に朝練のメニューがいつもと違った訳ではないけれど、我ながら完璧な誤魔化し様だったと思う。
原因が部活だと聞いて皆納得したのか、

「あー、バレー部おつです。」

「なーんだ、失恋とかで昨日寝れなかったとかじゃ無いのかぁー」

「何言ってんだよ、春樹が失恋なんかするわけ無いだろ?な、春樹!」

「いやいや…俺は別に…」

ここでは苦笑いで答える。
内心、お前らになんか失恋とか関係ねぇだろ、と思っていたけれど。

そんなやり取りをしていたら、8時40分の本鈴が鳴り、担任が教室の前のドアから入ってきた。皆がだらだらとばらけてそれぞれの席に座る。
俺も窓際一番後ろの自分の席に座った。

「出席取るぞー。相川ー…」

こうして、またいつもと変わらない1日が始まる。ホームルームが終わり、黒板の右横の掲示物スペースに貼ってある時間割表を見るのが面倒だったので、

「柳川ー、一時間目何だっけー?」

適当にクラスの奴を指名して聞く。
こう言う時には、人気者という立ち位置は誰とでも話せるという点で使えるから便利だと思う。

「えっと、現文かな」

「おけ、さんきゅ」

気持ちが篭っていないと俺だけが分かるだろうという空っぽな礼を言って、
教室すぐ後ろのロッカーに教科書とノートを取りに行った。

『♪~…』

一時間目始業のチャイムが鳴る。
皆が先程とはガラリ変わって慌てて着席しているのは、現代文の小野先生は物凄く怖いからだ。
幸い、今日は先生が出張らしく、代わりの若い女の先生が自習監督をしにきた。ほっとした雰囲気が流れる教室。
各自で自習を始めたり、本を読み始めたり、小野先生の悪口を言ったり…。

俺も自習を初め、シャーペンを持ったが、周りがガヤガヤうるさくて集中が出来ない。
ついイライラが指先のシャーペンを無意識で回し始める。

集中、集中しろ。落ち着け。

「キャハハハ!!うけるー!」

「まじで小野ってうざいよな!ちょっと喋っただけで『君たちは敬意という言葉を知っているか?』とか言い出しちゃってさぁ!」

「あー、あったねそれ!!まじうざかった!」


……いい加減にしてくれ。そう思いながらも、そんなことは言わない。

違う、言わないんじゃない。
俺には言えないんだ。

もうあの時みたいな事はごめんなんだ────、
そう耳を塞ぎ込んだ刹那、

「うるさい。黙れ。」

それは静かであったけれど、確かな己の意志を持つ堂々とした声だった。

その突然の言動に、静まり返り、凍ったような冷たさの教室。
そして右隣の岩崎夏希に集まる視線。
その本人は、何事も無かったかの様に机に向き直して自分の作業に移っている。
それでもなお彼女に集まる冷たい視線に、
もし俺が彼女の立場だったらと考えたら苦しくて痛くて耐えきれなくて、

「…ほら皆ー、勉強しろ勉強!お前ら次のテスト余裕なのかぁ?」

そう言うと、皆の視線が俺に向けられた。

「な、よ、余裕なわけあるかぁっ!」

「何に威張ってんのよアンタは!」

さっきとはまるで違う暖かい雰囲気になったのを確認し、

「だろ?じゃあ勉強しろー勉強!」

そう促すと、

「はぁーい」

皆がそう言って前を向き始める。

「はぁ…」

俺にしか聞こえないだろうというため息を漏らしたその瞬間、


「…ル、…りがと…」

ふと右から声が聞こえた気がした。
ハル、と呼ばれた気がした。

俺のことをハルと呼ぶのは今はアキぐらいだ。
でもアキはこの教室には居ないから有り得ない。
かと言って右隣の夏希も相変わらず下を向いて作業をしているから、気のせいか。

と一言で済ませて、また俺も机に向き直した。
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