「先生、愛してる」
当時はいじめられていた恐怖からか、自然と周りを遠ざけて過ごしていた。加えて他人と接する余裕すらなかったため、その時のクラスメイトのことなどほとんど覚えていない。しかし、それほど強く他人と関わりを持っていなかったというのに、一体この岸田は私のなにが良かったのだろうか。
「いや、こちらこそ。じゃあそういうわけだから、さよなら」
気になることは残るが、それでいいと思った。それよりも、いち早く立ち去ることを優先したかった。この気まずい場所から離れてしまいたかったということと、何よりも、自分たちのすぐ横の扉の先には先生がいるのだ。こんなところ、絶対に見られたくなどない。
しかし。
「待って柏木さん!」
秋奈の希望とは裏腹に、岸田は秋奈の腕を掴んで引き留める。
「良かったら、友達からでも」
変な関係は築きたくない。友達としての接し方すらわからない自分に、“友達”などという新たな人間を追加しないでほしい。
「だめかな」
岸田が私の顔を直視する。
「い、いや…」
その顔を見ていると、はやりどうしても、断ることが出来なくて、秋奈は曖昧な返事を呟く。
「じゃあ決まり。よろしくね」
そういうと、岸田はにこにことした表情を浮かべて帰って行った。
自然と、深いため息が出た。あそこまで言われて断れるほど、私も残酷な人間ではなかった。人に好かれる、というのはこんなにも心苦しく、気疲れしてしまうものなのかと少し辛い気持ちになった。
十分に気分も沈んだところで、ようやく一歩を踏み出す。
図書室の扉を開けると、先生が「やぁ」と笑顔で手を振った。
「遅かったですね。今日はもう来ないかもと思いました」
「いえ、ちょっと用があって」
そう言うと、本棚の奥にある読書スペースに向かう。周りを見渡せば、それもまたいつもと変わらないメンバーが点々と椅子に腰掛けていた。私も椅子に座ると、鞄から最近持ち歩いている『月光』を取り出した。
前回しおりを挟んだところから本を開く。
しかし、何文か文字を追ったところで、私は珍しく本を閉じた。
岸田のことが気になって、本に集中することができない。恋愛感情が芽生えたというわけではないが、ただ、日常の中での新しい人物の登場に戸惑っている。
今日は嫌な夢も見た。
岸田と夢と、母に関してはいつもの事なので置いておくとしても、妙に騒がしい一日だ。
先程からため息ばかり吐いてしまうのは、きっとそのせいだろう。