「先生、愛してる」
一つの塊を人差し指で拭い、乗せる。
白い線を描いて、液体が指の上から垂れ落ちていった。そうして再びソファを汚す白を、無言で見つめていた。
こんなものが、男女の愛の証なのだ。母とあの愛人に愛があるのかと言われれば首を傾げる他ないが、たとえ僅かだったとしても、証はこうしてつくられている。
頭の中で、無意識に先生と体を重ねる自分を想像してみた。先生の大きな体に対して、自身の小さな体が面白いほど不自然だ。先生がいつもの意地悪な笑みで、体を撫でる。頭、頬、肩、胸、腹、太もも。上から下へなぞるように手のひらを這わせ、最後には陰部へと指が侵入するのだ。荒い息遣いで、二人の吐息が交じる。身をよじらせる自分と、弄ぶ先生。
想像の中の先生が「秋奈」と呼んだところで目が覚めた。
まるで悲鳴のように、息が内から外へ吐き出された。心臓がどくどくと脈打っている。頬が熱い。自身が高揚してしまっていることに気づいた。
「馬鹿馬鹿しい…」
突然、こんな不埒な妄想を浮かべる自分が恥ずかしくなった。
早くこの家から出なければ。そう思った。ここにいる限り、きっと母のように淫乱な人間になってしまう。
気づいたら、走り出していた。靴を履いて勢いよく家を出る。手元の『月光』をもともと持っていた鞄にしまい、私は少し暗くなった外を駆ける。
しばらく走り抜けたところでスピードを緩めた。深呼吸をして、荒くなった息を落ち着ける。そうすることで、次第に物事を冷静に分析できるようになってくる。部屋を見る限り、母は未だにあの男との関係を保っているようだ。しばらく家を空けている娘の心配など微塵もせず、自らの私利私欲のため情事にふける。
なんだか、ほっとした。正直なところ、心のどこかで叱られるかもしれないと思っていた。そんな心配など初めからしなくても良かったのかもしれない。
例えば岸田とこの家の前まで来たあの時も、母が帰ってきて鉢合わせてしまったとしても、恐らく何事も無かったかのように「あれ、いたんだ」と言うだろう。そして「早く男を作ればいいのに」とまた性行為を勧めてくるだろう。
母にとって自分の存在など、きっとこの家に住むただの同居人程度だ。娘などではなく、ただの人。そう思うと自然と笑みが零れた。