「先生、愛してる」
「岸田君が私に向けて言う"好き"なんて、一枚の紙切れのように薄っぺらで、要らなくなったらすぐに捨てられちゃうような書類と変わらない程度のものかと思ってた」
ふわりと微笑んで、私は続ける。
「そんなに私のことを好いていてくれたなら、いいよ。付き合ってあげても。そこまで言うならあなたのものになってあげる」
朦朧とする意識と激痛の中で、私は岸田の頬に手を伸ばした。岸田の包丁を握る手から、力が抜けていったのがわかる。
片手で首の方まで手を回して、岸田の顔をぐっと自身に引き付けた。自然と包丁も近づくが、岸田が私の顔元から瞬時に引き離した。
これを見て確信する。岸田には、まだ情が残っている。
目と鼻の先まで岸田を引き寄せると、私は何の躊躇いもなく彼の唇に自身の唇を重ね合わせた。舌も交え、あの日岸田がしたように口内で絡め合わせる。
岸田が驚いたように目を見開く。
それもそのはず、私は岸田に交際を断り、拒絶したはずだったのだから。
岸田が包丁を手放した。アスファルトと金属がぶつかって、劈くような痛い音が耳元で鳴り響く。唇を引き離すと、私は言った。
「殺すなら、殺してもいいよ」
しかし、岸田は首を横に振った。
「い、いやだ…」
岸田の言葉に、思わず微笑む。そう言ってくれると、確信していた。
「そう。良かった…」
私は岸田の落とした包丁を手に取った。
近づいた岸田の体を片手で押し上げ、上半身を起き上がらせた。
「でも残念、全部嘘」
私は岸田の左胸へと包丁を突き刺す。痛みからか、岸田が今までにに見たこともないほど顔を歪めた。岸田が横に崩れ落ちる。それによって、私の身も自由になった。
ヒュウヒュウと息をこぼす岸田を横目に、私は傷ついた左足を引きずるようにして岸田から離れた。
太ももに触れると、血がべったりと手に付いた。
幸い、スカートに大体の血液が染み込んだようで、アスファルトに血痕を残さずに済んだと胸を撫で下ろす。傷も、特別深く刺されたというわけでもなさそうだった。
激痛で頭が痛い。ぼうっとする意識を懸命に保とうとする。
倒れてはいけない。何が何でも、私は先生の待つ家に帰らなければならない。いつまでもこんな所に留まっているわけにはいかないのだ。
「かし、わぎさ…ん」
隣で呟く岸田に答えもせず、私は立ち上がった。片足の自由が聞かないため、すぐにぐらりと体勢を崩すが、無理やりにでも留まった。一歩、一歩とゆっくり歩みを進める。岸田の真横まで来ると、胸に突き刺した包丁を引き抜いて、持っていた学生鞄の中に押し込んだ。
これを見た先生は一体どんな反応をするだろう。痛みや殺人に対する恐怖よりも、今の頭の中はそんなことばかりで埋め尽くされていた。