「先生、愛してる」
「あの物語は、本当に物語と呼んでもいいのでしょうか?」
先生は目を見開いた。
「読んでいて、私たちにどことなく似ているものがあると感じていました。でも、似ているのは先生と生徒という関係性だけで、その他は全く逆。何にも邪魔されない、ただただ幸せな日常だけが描かれていた」
静かな空間で、私の声だけが響く。私の手に触れる先生の指が温かい。話しながら、私は彼の心地良さにも身を委ねていた。
「そうだね、確かにあの本は試練も何も無い。ただの文が美しすぎるだけの綺麗な物語だ」
先生も私に続けて言った。
『月光』の中の二人は、お互いに触れられる。そして誰にも邪魔されない、幸せな世界だ。物語の最後には、ただただ生徒を想う女教師の思いが痛いほど綴られていた。
そう、この本は言うなれば"理想郷"。許されない恋をする者たち全ての、理想を描いたものだ。物足りないのは、そこに現実味がないから。理想はただの理想でしかない。常に現実とはかけ離れているのだ。
「本を書いたご友人は、どんな人だったのですか?」
私は先生に問うた。すると先生は窓の外に目を向けて、遠い過去を手繰り寄せるようにして言った。
「馬鹿で、脆くて複雑で、けれど美しい。そんな人だったよ」
その瞳はとても寂しげで、今は亡き友人を思う彼の気持ちが痛いほど私の胸を突いた。先生にここまでの表情をさせる人物。こんな時でも、私はいつかその人に会うことができれば、と思っていた。