「先生、愛してる」
「私は、この家を出ます」
この一言を発した時、私は隠れるように心の中で笑い声を上げた。
自分は殺人を犯してしまったわけだが、刑務所に入ることも死刑になることもない。年齢から見て少年院に入ることになるだろう。だからしばらくは、先生に会うことは叶わない。けれどそう、それでいい。そうすれば、そのもどかしさにいつか先生は耐えられなくなる。
先生はいつまでも、いつ帰ってくるかもわからない柏木秋奈という生徒を思い浮かべて、日々心を乱し、眠れない夜を過ごせばいい。自分という存在を頭に焼き付けて、一生忘れることなどないように。そうして、いつか帰ってきた自分の姿を見て発狂し涙するのだ。ああ、なんて素晴らしい。なんて甘美なことだろう。
しかし、私に反して先生は肯定的ではないようだった。立ち上がり、勢いよく両肩を掴んだ。
「なぜ、なぜだ。僕では不満か?共に罪を分かち合う相手が僕では」
先生の手が震えているのがわかる。それでも、意思は変わらなかった。分かち合うでは、成立しない。先生はそれを分かっていないのだ。肩を掴む先生の手を払い除け、私は玄関扉の方へ足を進めた。
しかし彼は、今度は腕を掴んだ。
「絶対に君を外に出しはしない」
「先生…」
私は困った。このままでは、思い浮かべた結末が手に入らなくなる。賢い先生は、きっとどんな手を使ってでも私が外へ出ることを阻止するだろう。そうして、いづれ警察がこの家を訪れたとしても、巧みな話術で言いくるめ、この家の敷居を決して跨がせはしない。
先生の言う通りにすれば、本当に彼らに見つからずに済むかもしれない。そんな思いが、私の中で芽生え始めてきた。
だが、それでは意味がない。
先生には、常に心を乱していてもらう必要がある。そのために、こうして自首を決意しているというのに。
「…わかりました。外には出ません」
先生の勢いに負け、仕方なく言った。先生の掴む手が緩む。
その隙に、私は先生のことを片手で強く押し返した。痛む片足に歯を食いしばりながら、急いでキッチンまで進む。水場の下の戸を開けて包丁を取り出すと、自身の首元に当てがった。
「そんなに言うなら、ここで死にます」
「秋奈!」
先生が急いで近くへ駆け寄った。それを見て私は叫ぶ。
「来ないで!あなたが少しでも動こうものなら、私はすぐに、この首に決して目も当てられない程の深い傷を付ける」
すると、先生はいかにも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、私から一メートル半ほど離れたところで静止した。