「先生、愛してる」
重ねるだけの、舐らない触れ合いは久しぶりだった。しかし、今の彼女にはこれで十分だ。触れることで、きっと彼女に嫌悪の意思が無いことを伝えられるだろうと思う。
少しして唇を離すと、彼女は案の定唖然とした表情をこちらに向けていた。
「少し、落ち着いた?」
先生は黙っている。しかし先程のような悲観的な様子は消え去っていた。
ほっとして、先生の両頬から手を離す。先生に対して向かいの椅子に腰掛けると、間に机を挟むようにして向き合った。それから五分程度の沈黙が続いたが、気持ちが落ち着いたのか先生の方から口を開いた。
「きっと、舞い上がっていたの」
「え?」
先生の言葉に、思わず聞き返す。
「私、三年前に夫と離婚したって話したでしょ。あれから、ずっと寂しかったの。こんな家に一人きりで、本当に心細かった」
先生はぽつりぽつりと語り始めた。僕は一言も発することなく、彼女の目を見つめてただその声に耳を傾けていた。
「そんな時に、倉本君に出会ったの。生徒を好きになることなんて絶対にないと思ってた。ううん、思うだなんて行為すらないほど、そういう認識が自分の中にあったの。なのに、どこで崩れてしまったのか、いつの間にか倉本君を生徒じゃなく、一人の男の子として意識するようになっていた」
倉本君との恋は学生の頃に戻ったみたいで本当に楽しかった。と先生は言った。そして、周りが見えなくなってしまうほど、浮かれてしまっていたことも事実だと付け加えた。
上手くやろう、という意思は僕にもあった。しかし実際は、どこからか漏れてしまうほど注意不足になってしまっていたことも否めない。一年という付き合いの月日を重ねれば、余裕が現れてくる頃だったのかもしれなかった。そんなことだから、隙を突かれたのだと思う。
だからそう、先生だけが悩む必要も謝ることもない。責任があるとすれば、それはどちらも同じなのだ。先生と生徒、それはプライベートを持ち込んではならない立場同士で、それをほとんどの人間は理解している。だからこそ、禁忌に触れる行為は常識人には特に忌々しく映るのだろう。
けれどそんなこと、わざわざ奴らに言われなくてもわかっている。わかっている。わかっていても、自分はこの目の前にいる木原紗和という一人の女を愛している。
まだ不完全で隙間だらけのこの手の平では、どれだけ強く抱きしめても彼女の全てを守ってやることなど出来やしない。しかしそれでも、例えそうだとしても、無責任ながらに愛しているのだ。堪らなく、どうしようもなく、彼女のことを心から愛している。