ベツレヘムの星の下
「英司さ、今朝、唯の顔むくんでて見せられないから、俺を家に呼ぶなっていったのか?」
「何度も復唱しないでよ。そうだけど…?」
「それってさ、唯に俺を会わせたくなかったってことだよな?」
大真面目に唯に問いかける勇介。さっきまでの甘いムードを壊す剣幕な雰囲気に、唯は目を見開いて勇介を見た。いまひとつ、状況が飲み込めないのだ。
そんな様子の唯に気づき、勇介は呼吸を整え、硬い表情を解いた。
「ごめん。ちょっと英司の様子が気になってたから、つい…」
「英ちゃんの様子?」
唯は聞き返した。全く見に覚えがないようだった。
「最近、俺に対して素っ気ないんだよ。っていうかさ、直登さんが言うには、唯を俺にとられたって思って機嫌悪いだけだって言われたんだけど……やっぱり、俺と唯が付き合ってるの、あいつはよく思ってないのかなって」
「ああ、そういうこと」
唯はひとり納得しベッドから離れると、部屋の一部となっているコルクボードから写真を一枚持ってくると、ヒラリと勇介の膝に落とした。勇介は今日はよく写真を見せられる日だなと思いながらそれを受け取り、一瞥した。
「小雪じゃねぇか。この写真ならうちにも似たよーなの貼ってあるぜ」
『小雪』とは、御木家の愛犬の名前だ。名づけ親は慎司と英司で、小雪がやってきたその前日、雪が降ったことから由来している。小雪は雑種だが見事に真っ白な毛並みで、どこかの家で飼われていた可能性が高かった。でも慎司と英司が見つけたとき小雪は手足に怪我を負っていたし、弱っていた。そんな状態の仔犬を放っておくことができず、小雪は御木家にやってきた。最初は飼い主が見つかるまでという条件付きだったのだが、飼い主も見つからないし、何より、笑顔の安売りをしない英司が小雪を満面の笑みで可愛がるものだから、両親も『教育上動物を飼うのもいいかもしれない』と、小雪を正式に御木家の家族に迎え入れた。
唯はその日風邪で一日中眠っていたので、そのエピソードに加わっていない。熱が下がって目を覚ますと、目の前に仔犬がいて驚いたと、唯は言っていた。
「この小雪の写真、誰が撮ってると思う?」
「え、唯か慎司さんだろ。ふたりのどっちかが写ってることもあるし」
「それがね、実は違うの」
「は?」
今度は一冊のアルバムを持ってきて、唯はパラパラとアルバムのページをめくって見せた。中身は全て、小雪の写真だった。
「これ全部、英ちゃんの作品なの。英ちゃんが小雪の散歩のときに必ず撮って帰って来て、家のアルバムやあたしの部屋、お兄ちゃんの部屋に置いてくのよ。勇介の部屋に置いてったのも、英ちゃんでしょ?」
「ああ、そういえばそうかも…」
「まぁこれで、英ちゃんが小雪をめちゃくちゃ愛してることは伝わったと思うけど…」
「あいつが愛犬の写真を、ねぇ…」
勇介は驚きと同時に、少し気味の悪さを感じた。英司が小雪の散歩を日課としサボったことがないのは知っていたが、ここまで溺愛しているとはと、勇介は冷や汗が出た。
「あいつのキャラからじゃあ想像できねぇな」
思ったことを素直に述べた勇介の感想に、唯も『でしょ?』と同意した。
「だからね、英ちゃんは昔から極端なの。好きなものは大好きで、嫌いなものは大嫌いで近づきもしない。でもあの性格と顔だから『好き』の方はわかりにくくて、伝わりにくいのよ」
唯はアルバムを片付けると、またコルクボードに戻り一枚の写真を持ってきた。またそれを慎司の膝に落とすと、キレイに整えられた爪で写真に写る英司の顔を指差した。
「英ちゃんが笑ってる奇跡的な写真なんだけど、本当に嬉しそうに笑ってるでしょ?」
「………ああ、初めて見た」
写真は、小雪に戯られている英司のワンショットだった。英司は実に楽しそうな顔で、小雪とじゃれあっていた。
「とにかく、英ちゃんは好きなものに対する執着とか執念とか、好きなものが少ないから凄いのよ。自惚れるようで恥ずかしいけど、英ちゃんは家族、特にあたしとかお兄ちゃんは大好きだったはずだから、それをとられるって感じたら……ちょっと不機嫌にはなるんじゃないかな」
「支配欲強そうだしなぁ、あいつ」
「お兄ちゃんも英ちゃんもそういうとこあるんだよね。いや、あたしもそうなんだけど…うちって、独占欲とか凄いのよ。知ってると思うけど、お父さんもあたしに対して厳しいし、英ちゃんもね、浅海とお揃いのストラップしてるでしょ。あれ、実はお兄ちゃんも元カノさんとかとしてて…」
「慎司さんも?!」
意外な事実に、勇介は声をあげた。隣で唯が『シッ』と、中指を口の前に立てた。
慎司と唯は相思相愛で、唯以外の女の子相手に執着してこなかったと、勇介思っていた。慎司は近所では有名人だったので、女遊びも派手だったとよく聞いた。不特定多数の異性交流はあったと予想はしていたが、揃いのストラップを付け合う相手がいたことは驚きだった。
「勇介がこのピアスをくれたとき、お兄ちゃんはもしかしたらあたしのことを本当に思ってくれてたのかなって思えたけど、実際はね、お兄ちゃんはあたしを大事にしてくれたけど、異性として扱ってくれたことはなかったの」
唯は今も慎司にもらった『S』の文字のピアスをしている。もちろん、勇介も納得済みだ。最早このピアスは唯にとってお守りのようなもので、欠かせないものとなっていた。その深さを知ってるからこそ、勇介はそのピアスを外せとは言えず黙認していた。何せ、唯の父親にこのピアスを付けさせてあげて下さいとお願いしたのも、勇介なのだ。勇介も複雑だった。
唯はそのピアスを指で確認すると、静かに唇を持ち上げた。表情は少し寂しそうだった。
「あたしは必死にお兄ちゃんに女の子として見てもらえるよう、努力した。お小遣いを貯めてあたしのイニシャルの入ったジッポを贈ったりね。でもいつもお兄ちゃんは女の人の匂いをつけて帰ってきて、隠してるつもりだったのかもしれないけど、彼女が変わる度にストラップが変わってた。いつも趣味が違ったから、彼女のタイプなのかなって……気づいたのは、お兄ちゃんが亡くなる直前だけど」
「訊いてもいいか?………なんで気づいたんだ?」
唯は勇介を一瞥するとまぶたを下げて、悲しい顔をした。
「鈴」
「鈴?」
「お兄ちゃんは鈴のあの音が煩くて好きじゃなかったの。なくすといけないからって自転車の鍵とかに付けるひともいるでしょ?あたしも結構なくす方だったから親が鈴でも付けなさいって言ったとき、お兄ちゃんが猛反対したの。鈴一個でなんであんなに反対するんだろうって思って、お兄ちゃんに訊いたの。そしたら、実は絶対音感持ってるんだって教えてくれたの」
「絶対音っ?!」
勇介がまた大きな声を出してしまいそうになったところで、唯が勇介の口を押さえた。勇介は『ごめん』と謝り、唯はまた話し始めた。
「さすがに親は知ってたけど、英ちゃんは知らなかった。自分から話したのはあたしが初めてだって言ってた」
「なんで秘密にしてたんだ?」
「これ以上、元々の才能で出来るって思われるのが嫌だったのよ。水泳も天才って言われてたけど、練習も人一倍してたじゃない。そういうの全部ないしされて『才能だから当然だ』って片付けられるのが嫌だったんだって。だから、多分、直登さんも知らないと思うし、歴代の彼女さんも知らないと思う」
「でも、その秘密を唯には話してくれたんだろ?じゃあやっぱりお前は特別なんじゃ…」
勇介の言葉に、唯は首を横に振った。違うのと、か細い声で。
「その絶対音感で鈴の音が余計によく聞こえて、お兄ちゃんは嫌いだった。なのに、お兄ちゃんは携帯に鈴のストラップを付けてたの」
「それって…」
「嫌いな鈴を自分の携帯に自らはしないでしょ?そういうのってやっぱり、特別なひとに貰ったとかお揃いとか、そういうことでしょ?」
勇介は何も言えなかった。ただ、寂しげな唯の表情に、勇介の胸も締め付けられそうになっていた。
「だからね、今までお兄ちゃんはたくさん恋愛してきたのよ。それがストラップであたしに知られてるとは知らずにね。どっちにしろ、あたしたち兄弟はちょっと独占欲が強い上に、抜けてるの。英ちゃんが勇介に冷たくなっちゃうのも未熟な証拠。でも、本当に嫌いな相手だったら口も利かないから、もうちょっと慣れるまで我慢して?ごめんね、うちの兄が」
「唯…」
唯の痛々しいまでの強がりの演技が、勇介にもわかった。唯にとって慎司という存在がどれほど大きく、自分と付き合っていても消えることはないのだと、勇介は改めて痛感した。
でもそれは勇介も想定内で、慎司を好きな唯も含めて唯を好きだと気持ちを伝えた。そう言った以上、唯がこうして慎司を思い悲しくなっても、その感情は否定できなかった。
「唯」
勇介は隣に座る唯に手招きをして、唯の顔を自分の方へ近づかせた。唯はきょとんとした顔を勇介に向けた。
「俺の初恋は唯なんだ。唯以外、好きになったひとはいない」
「ゆ…」
唯が『勇介』と名前を呼ぼうとしたその瞬間、勇介は唯の腕を自身の方へ引っ張った。唯はバランスを崩し勇介の方に倒れこむと、勇介は唯の肩を抱きしめた。
「初恋は実らないって英司に散々言われたけど、唯が初恋でよかったと思ったよ。たったひとつ、慎司さんに勝てたとこがある」
「………なに?」
また唯はきょとんとした顔で勇介を見上げた。勇介は唯の顔に落ちた髪を掴むと、優しく微笑んだ。
「俺には唯しかいないって誓えること」
「え?」
「慎司さんは唯を大事にしてたと思う。本当に、妹の域を超えて溺愛してたよ。でも、同時に他の女の人と色々あったから…なんていうか、唯だけって誓えねぇじゃん。心にはひとりだけって言うならまぁ言えるけど、証明しにくいし」
唯の髪を遊びながら、勇介は続けた。
「俺はお前以外好きになったこともないし、好きにならない。絶対、言い切れる」
赤面した唯は、顔を隠すように勇介の胸に顔をうずくませた。
「わかんないよ、この先は。だって勇介、あたししか知らないんだし…」
「なんでだよ。俺が何年かけてお前を落としたと思ってんだよ。今更、他に目がいくかっての」
「じゃなくて……これから出会ったり、恋はいつ起きるかわかんないんだし…」
「だとしても、今現在、俺はお前しかいない。それは誓ってもいいだろ」
「………勇介…」
唯の頭を抱きしめながら勇介は『ま、慎司さんほどモテないだけだけどなー』と、自分の言葉の恥ずかしさを誤魔化すように言った。
勇介の胸の中で、唯の顔も真っ赤になっていた。
「何度も復唱しないでよ。そうだけど…?」
「それってさ、唯に俺を会わせたくなかったってことだよな?」
大真面目に唯に問いかける勇介。さっきまでの甘いムードを壊す剣幕な雰囲気に、唯は目を見開いて勇介を見た。いまひとつ、状況が飲み込めないのだ。
そんな様子の唯に気づき、勇介は呼吸を整え、硬い表情を解いた。
「ごめん。ちょっと英司の様子が気になってたから、つい…」
「英ちゃんの様子?」
唯は聞き返した。全く見に覚えがないようだった。
「最近、俺に対して素っ気ないんだよ。っていうかさ、直登さんが言うには、唯を俺にとられたって思って機嫌悪いだけだって言われたんだけど……やっぱり、俺と唯が付き合ってるの、あいつはよく思ってないのかなって」
「ああ、そういうこと」
唯はひとり納得しベッドから離れると、部屋の一部となっているコルクボードから写真を一枚持ってくると、ヒラリと勇介の膝に落とした。勇介は今日はよく写真を見せられる日だなと思いながらそれを受け取り、一瞥した。
「小雪じゃねぇか。この写真ならうちにも似たよーなの貼ってあるぜ」
『小雪』とは、御木家の愛犬の名前だ。名づけ親は慎司と英司で、小雪がやってきたその前日、雪が降ったことから由来している。小雪は雑種だが見事に真っ白な毛並みで、どこかの家で飼われていた可能性が高かった。でも慎司と英司が見つけたとき小雪は手足に怪我を負っていたし、弱っていた。そんな状態の仔犬を放っておくことができず、小雪は御木家にやってきた。最初は飼い主が見つかるまでという条件付きだったのだが、飼い主も見つからないし、何より、笑顔の安売りをしない英司が小雪を満面の笑みで可愛がるものだから、両親も『教育上動物を飼うのもいいかもしれない』と、小雪を正式に御木家の家族に迎え入れた。
唯はその日風邪で一日中眠っていたので、そのエピソードに加わっていない。熱が下がって目を覚ますと、目の前に仔犬がいて驚いたと、唯は言っていた。
「この小雪の写真、誰が撮ってると思う?」
「え、唯か慎司さんだろ。ふたりのどっちかが写ってることもあるし」
「それがね、実は違うの」
「は?」
今度は一冊のアルバムを持ってきて、唯はパラパラとアルバムのページをめくって見せた。中身は全て、小雪の写真だった。
「これ全部、英ちゃんの作品なの。英ちゃんが小雪の散歩のときに必ず撮って帰って来て、家のアルバムやあたしの部屋、お兄ちゃんの部屋に置いてくのよ。勇介の部屋に置いてったのも、英ちゃんでしょ?」
「ああ、そういえばそうかも…」
「まぁこれで、英ちゃんが小雪をめちゃくちゃ愛してることは伝わったと思うけど…」
「あいつが愛犬の写真を、ねぇ…」
勇介は驚きと同時に、少し気味の悪さを感じた。英司が小雪の散歩を日課としサボったことがないのは知っていたが、ここまで溺愛しているとはと、勇介は冷や汗が出た。
「あいつのキャラからじゃあ想像できねぇな」
思ったことを素直に述べた勇介の感想に、唯も『でしょ?』と同意した。
「だからね、英ちゃんは昔から極端なの。好きなものは大好きで、嫌いなものは大嫌いで近づきもしない。でもあの性格と顔だから『好き』の方はわかりにくくて、伝わりにくいのよ」
唯はアルバムを片付けると、またコルクボードに戻り一枚の写真を持ってきた。またそれを慎司の膝に落とすと、キレイに整えられた爪で写真に写る英司の顔を指差した。
「英ちゃんが笑ってる奇跡的な写真なんだけど、本当に嬉しそうに笑ってるでしょ?」
「………ああ、初めて見た」
写真は、小雪に戯られている英司のワンショットだった。英司は実に楽しそうな顔で、小雪とじゃれあっていた。
「とにかく、英ちゃんは好きなものに対する執着とか執念とか、好きなものが少ないから凄いのよ。自惚れるようで恥ずかしいけど、英ちゃんは家族、特にあたしとかお兄ちゃんは大好きだったはずだから、それをとられるって感じたら……ちょっと不機嫌にはなるんじゃないかな」
「支配欲強そうだしなぁ、あいつ」
「お兄ちゃんも英ちゃんもそういうとこあるんだよね。いや、あたしもそうなんだけど…うちって、独占欲とか凄いのよ。知ってると思うけど、お父さんもあたしに対して厳しいし、英ちゃんもね、浅海とお揃いのストラップしてるでしょ。あれ、実はお兄ちゃんも元カノさんとかとしてて…」
「慎司さんも?!」
意外な事実に、勇介は声をあげた。隣で唯が『シッ』と、中指を口の前に立てた。
慎司と唯は相思相愛で、唯以外の女の子相手に執着してこなかったと、勇介思っていた。慎司は近所では有名人だったので、女遊びも派手だったとよく聞いた。不特定多数の異性交流はあったと予想はしていたが、揃いのストラップを付け合う相手がいたことは驚きだった。
「勇介がこのピアスをくれたとき、お兄ちゃんはもしかしたらあたしのことを本当に思ってくれてたのかなって思えたけど、実際はね、お兄ちゃんはあたしを大事にしてくれたけど、異性として扱ってくれたことはなかったの」
唯は今も慎司にもらった『S』の文字のピアスをしている。もちろん、勇介も納得済みだ。最早このピアスは唯にとってお守りのようなもので、欠かせないものとなっていた。その深さを知ってるからこそ、勇介はそのピアスを外せとは言えず黙認していた。何せ、唯の父親にこのピアスを付けさせてあげて下さいとお願いしたのも、勇介なのだ。勇介も複雑だった。
唯はそのピアスを指で確認すると、静かに唇を持ち上げた。表情は少し寂しそうだった。
「あたしは必死にお兄ちゃんに女の子として見てもらえるよう、努力した。お小遣いを貯めてあたしのイニシャルの入ったジッポを贈ったりね。でもいつもお兄ちゃんは女の人の匂いをつけて帰ってきて、隠してるつもりだったのかもしれないけど、彼女が変わる度にストラップが変わってた。いつも趣味が違ったから、彼女のタイプなのかなって……気づいたのは、お兄ちゃんが亡くなる直前だけど」
「訊いてもいいか?………なんで気づいたんだ?」
唯は勇介を一瞥するとまぶたを下げて、悲しい顔をした。
「鈴」
「鈴?」
「お兄ちゃんは鈴のあの音が煩くて好きじゃなかったの。なくすといけないからって自転車の鍵とかに付けるひともいるでしょ?あたしも結構なくす方だったから親が鈴でも付けなさいって言ったとき、お兄ちゃんが猛反対したの。鈴一個でなんであんなに反対するんだろうって思って、お兄ちゃんに訊いたの。そしたら、実は絶対音感持ってるんだって教えてくれたの」
「絶対音っ?!」
勇介がまた大きな声を出してしまいそうになったところで、唯が勇介の口を押さえた。勇介は『ごめん』と謝り、唯はまた話し始めた。
「さすがに親は知ってたけど、英ちゃんは知らなかった。自分から話したのはあたしが初めてだって言ってた」
「なんで秘密にしてたんだ?」
「これ以上、元々の才能で出来るって思われるのが嫌だったのよ。水泳も天才って言われてたけど、練習も人一倍してたじゃない。そういうの全部ないしされて『才能だから当然だ』って片付けられるのが嫌だったんだって。だから、多分、直登さんも知らないと思うし、歴代の彼女さんも知らないと思う」
「でも、その秘密を唯には話してくれたんだろ?じゃあやっぱりお前は特別なんじゃ…」
勇介の言葉に、唯は首を横に振った。違うのと、か細い声で。
「その絶対音感で鈴の音が余計によく聞こえて、お兄ちゃんは嫌いだった。なのに、お兄ちゃんは携帯に鈴のストラップを付けてたの」
「それって…」
「嫌いな鈴を自分の携帯に自らはしないでしょ?そういうのってやっぱり、特別なひとに貰ったとかお揃いとか、そういうことでしょ?」
勇介は何も言えなかった。ただ、寂しげな唯の表情に、勇介の胸も締め付けられそうになっていた。
「だからね、今までお兄ちゃんはたくさん恋愛してきたのよ。それがストラップであたしに知られてるとは知らずにね。どっちにしろ、あたしたち兄弟はちょっと独占欲が強い上に、抜けてるの。英ちゃんが勇介に冷たくなっちゃうのも未熟な証拠。でも、本当に嫌いな相手だったら口も利かないから、もうちょっと慣れるまで我慢して?ごめんね、うちの兄が」
「唯…」
唯の痛々しいまでの強がりの演技が、勇介にもわかった。唯にとって慎司という存在がどれほど大きく、自分と付き合っていても消えることはないのだと、勇介は改めて痛感した。
でもそれは勇介も想定内で、慎司を好きな唯も含めて唯を好きだと気持ちを伝えた。そう言った以上、唯がこうして慎司を思い悲しくなっても、その感情は否定できなかった。
「唯」
勇介は隣に座る唯に手招きをして、唯の顔を自分の方へ近づかせた。唯はきょとんとした顔を勇介に向けた。
「俺の初恋は唯なんだ。唯以外、好きになったひとはいない」
「ゆ…」
唯が『勇介』と名前を呼ぼうとしたその瞬間、勇介は唯の腕を自身の方へ引っ張った。唯はバランスを崩し勇介の方に倒れこむと、勇介は唯の肩を抱きしめた。
「初恋は実らないって英司に散々言われたけど、唯が初恋でよかったと思ったよ。たったひとつ、慎司さんに勝てたとこがある」
「………なに?」
また唯はきょとんとした顔で勇介を見上げた。勇介は唯の顔に落ちた髪を掴むと、優しく微笑んだ。
「俺には唯しかいないって誓えること」
「え?」
「慎司さんは唯を大事にしてたと思う。本当に、妹の域を超えて溺愛してたよ。でも、同時に他の女の人と色々あったから…なんていうか、唯だけって誓えねぇじゃん。心にはひとりだけって言うならまぁ言えるけど、証明しにくいし」
唯の髪を遊びながら、勇介は続けた。
「俺はお前以外好きになったこともないし、好きにならない。絶対、言い切れる」
赤面した唯は、顔を隠すように勇介の胸に顔をうずくませた。
「わかんないよ、この先は。だって勇介、あたししか知らないんだし…」
「なんでだよ。俺が何年かけてお前を落としたと思ってんだよ。今更、他に目がいくかっての」
「じゃなくて……これから出会ったり、恋はいつ起きるかわかんないんだし…」
「だとしても、今現在、俺はお前しかいない。それは誓ってもいいだろ」
「………勇介…」
唯の頭を抱きしめながら勇介は『ま、慎司さんほどモテないだけだけどなー』と、自分の言葉の恥ずかしさを誤魔化すように言った。
勇介の胸の中で、唯の顔も真っ赤になっていた。