ベツレヘムの星の下
慎司がこの世を去って丁度一年が経った夏、親族だけで静かに慎司の一回忌が行われた。
英司と唯は中学2年生になっていて、慎司のいない季節をひとつずつ乗り越えたばかりだった。一回忌には慎司の親戚と、直登と勇介が呼ばれていた。その席に直登と勇介が出席することに違和感を感じたのは勇介だけで、直登は慎司の両親や祖母と既に親しい付き合いをし溶け込んでいた。
それでも勇介はひとりだけがアウェーでも、この式には参加したかった。
慎司を慕っていたのももちろんそうだったが、それと同時に、唯の存在が気になったのだ。
昨年の夏、直登に発破をかけられたとはいえ、勇介は、慎司の代わりに唯を守ると誓った。でも実際唯を守るといっても、付き合っているわけでも元々仲が良かったわけでもないので、最初はどうしていいのか戸惑った。まずは何から初めていいのか、唯をただ眺める日が続いたのだ。
そんなとき、意外な人物が突破口を開いてくれたのだ。
「英司、どこ行くんだ?」
慎司の一回忌の為に借りた葬儀場は結婚式場のホールの様に広く、親族だけの式のはずが大きな規模で行われた。慎司自身が派手好きだったという理由もあるが、マスコミに情報が漏れないように場所を探すのは至難の業で、結局この場所しか借りられなかったらしい。
その会場で携帯を片手にドアの方へ向かっている英司を見かけた勇介は、気になって声をかけた。すると、英司は折りたたみの携帯をパチンと戻しそれをポケットにしまうと、勇介と向き合った。
「外に浅海が来てるっていうから、ちょっと行ってくる」
「坂本が?」
「直登さんに話は聞いてたと思うんだけど、今回は親族だけでやることにしてて…直登さんとお前は特別ってことだから浅海は呼ばれてないんだけど…」
「ああ、なんか結構慎司さんに懐いてらしいな。いいんじゃねぇの?一回、手だけ拝ませてやれば」
「いや、そうじゃなくて…」
「何?」
英司は珍しく少し照れた顔をして、もごもごとはっきりとしない口調になった。
「俺が、心配だって……メールで、今…」
「………にゃるほど」
「だから…平気だって言いにちょっと席外す。もし親とか唯がなんか訊いてきたらトイレとか適当に誤魔化して」
「りょーっかい」
「悪ぃな」
英司はそーっと周囲の様子を伺いながら外へ出て行った。
英司と浅海という意外な組み合わせが成立してから、もうすぐ一年になる。交際スタート当時は素っ気なかった英司も、一年近く一緒にいれば情というのが沸くのか本当に浅海を好きになったのか、最近では仲むつまじいふたりの姿をよく見かけた。
まさに、浅海の努力の成果だった。
そしてそれが勇介を奮起させ、唯への行動を起こさせた。―――そう、突破口を開いてくれたのは、浅海だった。
「唯」
唯は勇介の声に一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその表情を解き、微笑んだ。
「来てくれたんだ」
「ああ、英司とおばさんに呼ばれて。って、お前なんで知らないの?」
「だってあたし、こーいうの一切関わってないんだもん。っていうか、英ちゃんとパパとママでコソコソやってて、あたしに気を使ってるみたい」
「それはしょーがねぇだろ。家族の愛情だ、ありがたく受け取っとけ」
「言われなくてもわかってるけど…もう大丈夫なのに」
「そんなことねぇだろ。まだ一年だし、色々泣きたい場面はあったはずだ。無理すんなよ」
勇介は唯の頭をポンポンと軽く叩いた。唯は「いたーい」と言いながら、表情は明るかった。以前はこうしたスキンシップができる関係ではなかったのだが、ほぼ無視に近い状態の英司にめげずに話しかける浅海を見てきて、勇介は自分も負けてられないと、唯になんとか笑ってもらおうと努力した。最初は唯も警戒していたが、葬儀のときの言葉は唯の胸にも残っていたらしく、勇介の一方的な行動に少しずつ対応してくれた。
唯もここまで元気になれたのは勇介のおかげだと、直登や英司などの近しい人間には零していた。
元々末っ子で妹気質の唯は、構ってもらうのに慣れていて嫌いではない。勇介の明るいキャラクターは、大好きだった兄、慎司を思い出し唯も居心地が良かった。
そんな唯の耳には、「S」の文字のピアスが光っている。
「………それ、良かったな、親も教師も許してくれて」
「うん、勇介や英ちゃんが説得してくれたおかげだよ。男の子ならともかくってうちのパパ、絶対に許してくれなさそーだったのに」
「慎司さんや英司があーいうナリだから、御木家は放任主義なのかと思ってた」
「実はあたしも……まさか説得に1年かかるなんて思わなかった」
「一回忌に間に合ってよかったな」
唯は『うん』と、目を細め笑顔で頷いた。
唯は透明感のある白い肌と黒目勝ちな瞳を持つ美少女で、勇介らが通う中学だけではなく他校からも『可愛い子がいる』と噂されるほど有名だった。元々兄の慎司が有名人だったせいもあるが、慎司が亡き今もその美少女っぷりは健在で、幾多の男が唯に挑んだかわからない。それこそ、今まではずっと慎司の存在があったので唯に近づく男はほとんどいなかったのだが、慎司が亡くなったことでチャンス到来とばかりに唯に群がる男が増加した。
そんな唯をどこぞの馬の骨にあげるわけにはいかないと、躍起になっていたのが、唯の父親だった。といっても、唯は母親の連れ子なので父親とは血はつながっていないのだが、目に入れても痛くないほどの可愛がりっぷりは尋常ではなく、慎司と同じ匂いを感じさせた。
慎司や英司には門限もないし服装や身なりも自由にさせてきた父親も、唯を同じように扱うことはなかった。
「あーあ、でもまだ納得でないないなぁー。なんで英ちゃんは髪染めてよくて、あたしは駄目なんだろ。ね、勇介のそれ『地』でしょ?もっかい水泳はじめよーかな。やっぱ塩素で自然と茶色にするのがベストだよねー」
「中学の間はって約束になったじゃねぇか。まずはピアスで我慢しろよ」
「だってもっとお洒落したいし…」
「お前が派手になればなるほど親父さん厳しくなるだけだって。いいんだよ、お前はそれで」
「んー」
不満げに口を尖らせる唯は、自身の髪を指で絡めて遊んだ。そこからチラチラ見える『S』の文字に、勇介は目がいった。
唯がこうしてピアスを許されたのも、英司や勇介の働きが大きかった。というより、唯の父親は最初、唯が耳に穴を空けることに大反対した。中学生を持つ親なら当然といえば当然で常識的なのだが、上ふたりの兄は既にピアスの穴が数箇所空いていて、しかも制服も自由に崩している。今までそれを黙認してきた父親が、まさか唯だけにピアスの穴を空けることに反対するとは…と、唯も英司も、そして勇介も驚いた。
それでもそのピアスは慎司が唯に残した最後の贈り物で、特別な意味も持っていた。
唯を守ると誓った勇介も、唯を誰よりも可愛がっていた英司も、ピアスをすることで唯がまた笑顔になってくれるならと、なんとか父親を説得しその耳に『S』の文字のピアスを飾りたかった。
説得は一年近くに及び、結局娘が可愛わいく根負けした父親が、唯のピアスを許したのは今年の春、中学2年生になってからだった。
保護者が『こういう理由で許しました』とピアスを認めれば、今の教師は何もいえない。
こうして唯は、中学生には少し目立つ輝かしいピアスを付けて、日常を送れるようになった。
そしてそれは、初めて勇介が唯にしてあげられたことが、形になったものだった。
「ねぇ勇介」
唯のピアスを眺めていた勇介は、唯の声に驚いた。唯は意識的なのか無意識なのか自分の耳たぶを触りながら、また、勇介に笑顔を向けた。
「勇介が去年言ってくれたこと、今でもあたし覚えてるんだ。勇介は忘れちゃったかもしれないけど、お兄ちゃん以外であんな風に言ってくれたひといなかったから、凄く感動したの」
唯は懐っこい犬のような笑顔で続けた。
「あれからも一生懸命あたしを元気にしようとしてくれたり……あたし、これでも勇介にはすっごく感謝してるんだよ。お兄ちゃん以外のひとをちゃんと見たの、勇介が初めてだったし…」
思わずツバを飲み込んだ勇介に、唯はまた、犬のような懐っこい笑顔を見せた。
そして、整えられたその唇が大きく動いた。
「勇介が幼馴染で良かった。ずっと仲良くしよーね」
そう言って、唯は『おじさんとかに挨拶いってくるね』と勇介から離れていった。
残された勇介は、そのとき初めて『片思い』という単語を実感したのだった。
中学2年の夏、勇介14歳、唯13歳。
勇介の初恋は走り出していたのだが、当時、唯はまだ勇介を『幼馴染』以上には見ていなかった。
英司と唯は中学2年生になっていて、慎司のいない季節をひとつずつ乗り越えたばかりだった。一回忌には慎司の親戚と、直登と勇介が呼ばれていた。その席に直登と勇介が出席することに違和感を感じたのは勇介だけで、直登は慎司の両親や祖母と既に親しい付き合いをし溶け込んでいた。
それでも勇介はひとりだけがアウェーでも、この式には参加したかった。
慎司を慕っていたのももちろんそうだったが、それと同時に、唯の存在が気になったのだ。
昨年の夏、直登に発破をかけられたとはいえ、勇介は、慎司の代わりに唯を守ると誓った。でも実際唯を守るといっても、付き合っているわけでも元々仲が良かったわけでもないので、最初はどうしていいのか戸惑った。まずは何から初めていいのか、唯をただ眺める日が続いたのだ。
そんなとき、意外な人物が突破口を開いてくれたのだ。
「英司、どこ行くんだ?」
慎司の一回忌の為に借りた葬儀場は結婚式場のホールの様に広く、親族だけの式のはずが大きな規模で行われた。慎司自身が派手好きだったという理由もあるが、マスコミに情報が漏れないように場所を探すのは至難の業で、結局この場所しか借りられなかったらしい。
その会場で携帯を片手にドアの方へ向かっている英司を見かけた勇介は、気になって声をかけた。すると、英司は折りたたみの携帯をパチンと戻しそれをポケットにしまうと、勇介と向き合った。
「外に浅海が来てるっていうから、ちょっと行ってくる」
「坂本が?」
「直登さんに話は聞いてたと思うんだけど、今回は親族だけでやることにしてて…直登さんとお前は特別ってことだから浅海は呼ばれてないんだけど…」
「ああ、なんか結構慎司さんに懐いてらしいな。いいんじゃねぇの?一回、手だけ拝ませてやれば」
「いや、そうじゃなくて…」
「何?」
英司は珍しく少し照れた顔をして、もごもごとはっきりとしない口調になった。
「俺が、心配だって……メールで、今…」
「………にゃるほど」
「だから…平気だって言いにちょっと席外す。もし親とか唯がなんか訊いてきたらトイレとか適当に誤魔化して」
「りょーっかい」
「悪ぃな」
英司はそーっと周囲の様子を伺いながら外へ出て行った。
英司と浅海という意外な組み合わせが成立してから、もうすぐ一年になる。交際スタート当時は素っ気なかった英司も、一年近く一緒にいれば情というのが沸くのか本当に浅海を好きになったのか、最近では仲むつまじいふたりの姿をよく見かけた。
まさに、浅海の努力の成果だった。
そしてそれが勇介を奮起させ、唯への行動を起こさせた。―――そう、突破口を開いてくれたのは、浅海だった。
「唯」
唯は勇介の声に一瞬驚いた顔をしたが、すぐにその表情を解き、微笑んだ。
「来てくれたんだ」
「ああ、英司とおばさんに呼ばれて。って、お前なんで知らないの?」
「だってあたし、こーいうの一切関わってないんだもん。っていうか、英ちゃんとパパとママでコソコソやってて、あたしに気を使ってるみたい」
「それはしょーがねぇだろ。家族の愛情だ、ありがたく受け取っとけ」
「言われなくてもわかってるけど…もう大丈夫なのに」
「そんなことねぇだろ。まだ一年だし、色々泣きたい場面はあったはずだ。無理すんなよ」
勇介は唯の頭をポンポンと軽く叩いた。唯は「いたーい」と言いながら、表情は明るかった。以前はこうしたスキンシップができる関係ではなかったのだが、ほぼ無視に近い状態の英司にめげずに話しかける浅海を見てきて、勇介は自分も負けてられないと、唯になんとか笑ってもらおうと努力した。最初は唯も警戒していたが、葬儀のときの言葉は唯の胸にも残っていたらしく、勇介の一方的な行動に少しずつ対応してくれた。
唯もここまで元気になれたのは勇介のおかげだと、直登や英司などの近しい人間には零していた。
元々末っ子で妹気質の唯は、構ってもらうのに慣れていて嫌いではない。勇介の明るいキャラクターは、大好きだった兄、慎司を思い出し唯も居心地が良かった。
そんな唯の耳には、「S」の文字のピアスが光っている。
「………それ、良かったな、親も教師も許してくれて」
「うん、勇介や英ちゃんが説得してくれたおかげだよ。男の子ならともかくってうちのパパ、絶対に許してくれなさそーだったのに」
「慎司さんや英司があーいうナリだから、御木家は放任主義なのかと思ってた」
「実はあたしも……まさか説得に1年かかるなんて思わなかった」
「一回忌に間に合ってよかったな」
唯は『うん』と、目を細め笑顔で頷いた。
唯は透明感のある白い肌と黒目勝ちな瞳を持つ美少女で、勇介らが通う中学だけではなく他校からも『可愛い子がいる』と噂されるほど有名だった。元々兄の慎司が有名人だったせいもあるが、慎司が亡き今もその美少女っぷりは健在で、幾多の男が唯に挑んだかわからない。それこそ、今まではずっと慎司の存在があったので唯に近づく男はほとんどいなかったのだが、慎司が亡くなったことでチャンス到来とばかりに唯に群がる男が増加した。
そんな唯をどこぞの馬の骨にあげるわけにはいかないと、躍起になっていたのが、唯の父親だった。といっても、唯は母親の連れ子なので父親とは血はつながっていないのだが、目に入れても痛くないほどの可愛がりっぷりは尋常ではなく、慎司と同じ匂いを感じさせた。
慎司や英司には門限もないし服装や身なりも自由にさせてきた父親も、唯を同じように扱うことはなかった。
「あーあ、でもまだ納得でないないなぁー。なんで英ちゃんは髪染めてよくて、あたしは駄目なんだろ。ね、勇介のそれ『地』でしょ?もっかい水泳はじめよーかな。やっぱ塩素で自然と茶色にするのがベストだよねー」
「中学の間はって約束になったじゃねぇか。まずはピアスで我慢しろよ」
「だってもっとお洒落したいし…」
「お前が派手になればなるほど親父さん厳しくなるだけだって。いいんだよ、お前はそれで」
「んー」
不満げに口を尖らせる唯は、自身の髪を指で絡めて遊んだ。そこからチラチラ見える『S』の文字に、勇介は目がいった。
唯がこうしてピアスを許されたのも、英司や勇介の働きが大きかった。というより、唯の父親は最初、唯が耳に穴を空けることに大反対した。中学生を持つ親なら当然といえば当然で常識的なのだが、上ふたりの兄は既にピアスの穴が数箇所空いていて、しかも制服も自由に崩している。今までそれを黙認してきた父親が、まさか唯だけにピアスの穴を空けることに反対するとは…と、唯も英司も、そして勇介も驚いた。
それでもそのピアスは慎司が唯に残した最後の贈り物で、特別な意味も持っていた。
唯を守ると誓った勇介も、唯を誰よりも可愛がっていた英司も、ピアスをすることで唯がまた笑顔になってくれるならと、なんとか父親を説得しその耳に『S』の文字のピアスを飾りたかった。
説得は一年近くに及び、結局娘が可愛わいく根負けした父親が、唯のピアスを許したのは今年の春、中学2年生になってからだった。
保護者が『こういう理由で許しました』とピアスを認めれば、今の教師は何もいえない。
こうして唯は、中学生には少し目立つ輝かしいピアスを付けて、日常を送れるようになった。
そしてそれは、初めて勇介が唯にしてあげられたことが、形になったものだった。
「ねぇ勇介」
唯のピアスを眺めていた勇介は、唯の声に驚いた。唯は意識的なのか無意識なのか自分の耳たぶを触りながら、また、勇介に笑顔を向けた。
「勇介が去年言ってくれたこと、今でもあたし覚えてるんだ。勇介は忘れちゃったかもしれないけど、お兄ちゃん以外であんな風に言ってくれたひといなかったから、凄く感動したの」
唯は懐っこい犬のような笑顔で続けた。
「あれからも一生懸命あたしを元気にしようとしてくれたり……あたし、これでも勇介にはすっごく感謝してるんだよ。お兄ちゃん以外のひとをちゃんと見たの、勇介が初めてだったし…」
思わずツバを飲み込んだ勇介に、唯はまた、犬のような懐っこい笑顔を見せた。
そして、整えられたその唇が大きく動いた。
「勇介が幼馴染で良かった。ずっと仲良くしよーね」
そう言って、唯は『おじさんとかに挨拶いってくるね』と勇介から離れていった。
残された勇介は、そのとき初めて『片思い』という単語を実感したのだった。
中学2年の夏、勇介14歳、唯13歳。
勇介の初恋は走り出していたのだが、当時、唯はまだ勇介を『幼馴染』以上には見ていなかった。