ベツレヘムの星の下
 直登は高校を卒業してすぐ、一人暮らしを始めていた。
 その場所は勇介や英司、唯や浅海の通う高校の近くで、勇介が泳いでいるスイミングスクールの側にあった。ちょっとしたマンションの最上階。株で儲けたお金で直登が借りたその部屋は、直登の仲間や英司、勇介のたまり場になっていた。同時に、妹の浅海も実家には帰らずこの部屋で過ごすことが多かった。
 直登の家の部屋のチャイムを鳴らすと、いかにも『迷惑』と言った顔の浅海が、勇介を出迎えた。
「なんでまたアンタの顔みないといけないのよ」
「そんな嫌ーな顔しないで中入れてよ。直登さんに相談あるんだって」
「水泳は?時間はいいの?」
「練習まで1時間ちょっとあるし、こっからプール激近だから大丈夫。いいから、ちょっと上がらせて」
「………30分だけね」
 ふいっとその場を離れた浅海は、奥の部屋にいる直登を起こしにいった。どうやら寝ていたようで、寝室から『お兄ちゃん勇介来たよー』と声がした。勇介は間の悪いときに来てしまったかと、玄関で靴が脱げずにいた。
 するとそこに、Tシャツとスウェット姿の直登が眠そうにやってきた。
「なんだよ、勇介。勝手にあがってくればいいのに」
「や、寝てたとは知らなくて……昨日遅かったンすか?」
「んー…大丈夫、女ン所で寝てきたから。今日は夜出かけるから先に仮眠とってただけー。っつっても、もう5時間は寝てたみたいだし丁度いいよ」
 気にすんなと言いながら勇介をリビングに通すと、直登は冷蔵庫からペットボトルを取り出した。
「うちはコーラ党なのに、お前が飲まないからポカリも買っといたんだぜ。ちゃんと消化しに来てくんねぇと」
「ありがとうございます。相変わらず、マメっすね」
「無駄に記憶力がいいのよ。困っちゃうこともあるんだぜ?誕生日とかさ、一回でも俺に教えてみろよ、絶対忘れらんないの」
「え、じゃあ俺は?!直登さん覚えてる?」
「もーちろん。お前が5月で、英司が4月、唯ちゃんが3月。ここがつながってるんだよねー。日にちも言えるけど、そこまで言えちゃう自分が気持ち悪ぃから勘弁な」
「すげぇな、相変わらず。やっぱ頭いいンすね」
「慎司ほどじゃあねぇけどねー。まぁ要領はどっこいだったかな」
 慎司や直登の母校にギリギリで入学できた勇介は、ふたりのことを教師から聞かされていた。見た目も派手で進学校では模範になるような生徒ではなかったのに、成績だけは常にトップ10位内で文句の付けようがなかったと、どの教師も口を揃えてそう語っていた。
 特に直登は慎司の死後、学年1位を死守しきったと伝説になっている。
「で、どした?お前ひとりってのも珍しいし、今日お前スクールだろ?こんな合間にまで俺ン所きたってことは、なんか相談でもあるんだろ?」
 直登は自分もペットボトルのコーラを乾いた喉に注ぐと、勇介の目の前に座った。それにつられて、勇介もその場に座った。
「相談っていうか、ちょっと訊きたいことがあって…」
「訊きたいこと?」
「英司なんですけど…」
 と言いかけたとき、着替えを終えた浅海が、思い切り勇介の肩を掴んだ。
「まだ言ってるの?だからさっき言ったじゃない、あの子が今日風邪でピリピリしてるだけだって」
「だから、今日だけじゃなくて最近ずっとそーなんだって!」
「でも彼女のあたしが知らないんだから、お兄ちゃんが知ってるわけないでしょ。わざわざそれを訊きにきたの?なら帰ってよ。英司が冷たくなった理由なんて、ただアンタがウザくなっただけじゃない?
!」
 勢いよく言い放った浅海の言葉に、さすがにその場の空気も止まった。
 直登は頭をかいて困った顔をすると、立ち上がり、浅海の腕を掴んだ。
「浅海、ちょっと席外してくれないか。勇介と話がしたい」
「お兄ちゃん!」
「お前より英司を知ってる自信はないけど、年上としてアドバイスはできるかもしれないだろ?せっかくこうして俺に頼ってくれてる勇介に悪いだろ」
 浅海はむくれて直登を睨んだ。
「………チーズと、生クリームが切れてるんだ。買ってきてくれないか?」
「嫌よ、だって今…」
「帰ってきたらティラミスでも作ってやるよ。お前も最近ちょっとイライラしすぎ。今日は夜、どこも行かないから、デザートと……今晩食べたい物の材料、買ってきて」
 直登はスっと財布から一万円札を取り出すと、それを浅海に渡した。浅海は一瞬不服そうな表情を浮かべたが、悲しげにまぶたを下ろすと玄関の方へ走っていった。
 直登は浅海を追いかけ玄関先で何かやりとりをすると、すぐに戻ってきて勇介の前に座った。
「悪ぃな。キツイ妹で」
「正直、驚きました。あそこまでキツイ言い方されたことなかったし、浅海、ここ近年はよく話してたし、漸く慣れたかなって思ってたんで…」
「いや、あそこまで性格のキツイやつじゃないんだけど、今ちょっと機嫌悪くて…」
「そういえば、今日、夜予定あったんじゃ……いいンすか?浅海とあんな約束して…」
「そっちは謝ればわかってくれる相手だから。浅海の不機嫌な原因のひとつが、これだからさ。今回はしょうがない、昨日もほっぽって出ちゃったし」
「不機嫌な理由って……直登さんに恋人できたせいですか?」
「恋人ってわけじゃないけど、お金もらって寝てる女がちょっといてさ。その中でひとり、その辺の女と違って芯が強いっていうか根性あるっていうか……少し気に入った子がいてね、その子のとこに通う回数が増えたんだ。そのせいで最近、夜、帰ってなかったからさ。ちょっと怒らせてる」
「………ひとりにしぼるとか、そういうのはないんですか?」
「半分仕事だしなぁ。でもまぁ、本気の相手でも見つかれば辞めるよ」
「………」
 直登の悪い癖というか、昔から変わらない性分として、女の子をひとりにしぼることができず、誰にも本気になれないのだ。慎司と共に女の子には不自由したことがない直登。最近では生活の為にお金も貰っているというから驚きだ。顔も頭もいい頼れる兄貴分の直登の、唯一苦手な一面だった。
「で、話もどすけど、英司がなんだって?」
 絶句してしまった勇介に、直登から口を開く。勇介はそれに答えるように続けた。
「あ、はい。ちょっと気になるっていうか…あいつ、最近俺に冷たくて………って、いうか、変なんです。微妙に慎司さんが亡くなったときより荒れてるっていうか、イラついてる感じがするんです。でも、昔はあいつ俺にはそういうの話てくれたのに、最近はスルーされて…」
「ああ、それは間違いないだろーな」
「え、英司なんか言ってました?」
「言ってねぇけど、浅海の不機嫌も英司からきてるから、なんかあったかなぁとは思ってた」
「あのふたり、上手くいってないんですか?」
「いや、上手くいってないとかそういうんじゃなくてさ、昔から英司のイライラが浅海に伝染してたから、兄貴としてはちょっと心配になったわけ。英司ひとりでキレてんのはまぁいいけど、浅海まであんな状態じゃ困るじゃん?」
「直登さんって……浅海のこと、結構大事にしてますよね。仲もいいし」
「そりゃあ兄貴ですから?」
 直登は立ち上がると、パソコン横にあるラックに飾ってあった写真を持ってきて、それを勇介に手渡した。写真は、直登と浅海が仲良く肩を寄せ合っている写真だった。
「あいつだって可哀相なんだよ。やっと俺以外に好きなひとができたのに、そいつは最愛の妹が未だに一番大切なんだ。それを思い知る度に泣いて帰ってきて……でも英司の前では絶対泣き顔は見せないで、くっ付いていくんだ。あいつは、愛情をどう表現していいかわからないからな」
「でも、直登さんが教えてるんでしょ?だってこの写真だって…小学生の頃だけど、ちゃんと仲良く笑ってるし…」
「だからさ、俺はいいんだ。どんなあいつでも妹だから、絶対に裏切らない。でも、他人とは深く付き合ったことないからさ、どこからどこまでがアウトの線かもわかんねぇんだ。だからってさっきのあの態度はないから、後で怒っておくけど…」
「俺、兄弟いないからわかんないんですけど……そんなに妹って可愛いもんなんですか?」
「他は知らねぇけど、100人が唯ちゃんの方が可愛いって言っても、俺だけは浅海が一番可愛いよ。何があっても俺だけは、あいつの味方だよ。俺にとって浅海はそんな存在」
「英司にとって、唯もそういう存在なんですか?」
 勇介は渡された写真を直登に返すと、目を細めた。
「浅海が言ってました。唯を俺にとられたって思って、英司、機嫌悪いんだって……最初はあいつがただ言ってるだけだと思ったけど、直登さんの話聞いてて、あながち間違ってもないのかなって…」
「そうだとしたら、お前はどう思う?」
 直登の鋭い眼光に、勇介はドキッとした。思わず目を逸らし、まだまとまらない自分の思いを口にした。
「俺は…どこかであの兄弟愛が羨ましかったんです。慎司さんと英司が唯を守っている姿がかっこよくて、子供心に俺も妹がほしいなぁって思ってました。……だから、あいつが、その…ずっと守ってきた唯を俺にとられたって思ってるなら…」
「自分もその輪に加わりたいって?」
「!」
 直登の的を射た発言に、勇介は顔を赤くした。まさに図星だったからだ。
「ま、あそこはちょっと特殊だけどねー。勇介の言いたいことはわかったよ」
「………俺は、英司に認められたいんです」
 ポツリと零した勇介の言葉に、直登は笑顔になった。シュンっとしてしまった勇介の頭を撫でながら、直登は唇を持ち上げた。
「認めてるよ。だからお前に大事な妹をやったんじゃないか。ただきっと、予想してたよりもつらくなっちゃったんだろーな。英司のやつ、お前らが付き合ってるんだって実感しちゃってヤキモチやいてんだよ」
「実感、ですか?」
「この前、唯ちゃんの誕生日だっただろ。唯ちゃん、今まではずっと家族と誕生日を過ごしてたけど、お前と一日デートしてたんだって?」
「え、あ、はい…遅くなる前には帰しましたけど…」
「その日、英司はココに来たよ」
「え、直登さんン家に?!」
「いつもの倍のタバコと酒で気を紛らわせて、最後はシャワー浴びて帰っていった。多分、唯ちゃんが家に帰るっつってた時間になったんだろ」
「で、何もないって顔で唯を祝ったわけですか」
「ま、そんなところだろ。しょうがないだろ、こればっかりは。英司の様子が変になったのも、唯の誕生日くらいからだろ?」
「………そう、ですね」
 勇介は脳裏で過去の映像を巡らせ、コクンと頷いた。
「応援はしてたし認めてはいたものの、意外と腹が立ったんだろ。それはもちろん唯の彼氏であるお前が対象で、お前にあたるしかない。ま、そういうところだ。どうだ、納得したか?」
 直登は勇介に顔を近づけ微笑むと、『ちょっとそっとしといてやれ』とアドバイスをした。勇介は心のモヤが晴れたようだった。大きな口で笑顔をつくると、直登にありがとうございましたっとお礼を言った。
< 8 / 13 >

この作品をシェア

pagetop