God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
〝⑤〟
「分かってんのか。おまえ重森にケンカ売ったんだぞ」
右川はリュックから空のペットボトルを取り出し、いつかのように水道の水を汲み始めた。
俺は、生徒会室を出ていった右川を追いかけ、水場の辺りで追いつき、さっそく詰め寄った所が、「え?あいつ怒ってた?」
当の本人は平気な態度で、まるでこっちがバカを見る。
「どうみても怒ってんだろ」
「てゆうか、泣いてたじゃん」
ウヒヒ♪と笑う右川に釣られて、こっちも笑いそうになったけど、さすがにそういう訳にも。
「慰めてあげなよ。いつかの、あんたと同じでしょ」と、過去を蒸し返されて、さすがにムッとくる。
「重森だけじゃないだろ」
ちゃんと聞けとばかりに、俺は水を止めた。
「3年の部長まで話が行ったら、下手すると吹奏楽みんなを敵に回して……ストレートに、おまえが標的になったらどうすんだ」
バスケ部と吹奏楽部。永田バカと重森。あちこちで起こる確執。
そして浅枝が、今も疑われて探られているという現状。
まるでいつかの松下先輩のように、俺は右川に訥々と語ってやった。俺が言い聞かせている間中、右川は再び蛇口をひねり、取り出した布類をジャブジャブと洗い、洗い終わる側から畳んでビニールの袋に入れて、それを手際よくリュックに詰める。「ふーん。ふんふん」と、右川はたまに頷くので、ちゃんと聞いているようにも見えるが、その間も水音、洗う音はずっと続いた。
誰に向けてか、「こないださ、ここに干しといたハンドタオル、いつの間にか誰かに盗られちゃってさ」と、唐突に愚痴ってくる。
「おまえ、人の話聞いてる?タオルどころじゃない話なんだけど」
すっかり洗い終わったと、右川は蛇口をキュッとひねって水を留めた。
やっと落ち着いて話が出来る。「あとさ、いつかの阿木の事だけど」
不意に思い出した。今は聞けるチャンスと見込んで。
ところが、
「沢村ごめん。悪いんだけどさ、あたし今ちょっと急がなきゃなんだよね」
少なからず動揺した。こっちの話を全く聞いてないという事もさることながら〝ごめん〟と、ちゃんと感情の込もったそれを、右川の口から初めて聞いた気がする。そして、俺に対してまともに謝ってしまうほど、こんな事情は、右川にとってどうでもいい事なんだと……言葉を無くしてしまった。
右川はタオルで濡れた両腕を拭き、額の汗も拭った。
「じゃ、帰るね」
ペットボトル水入り3本をリュックに詰めて担いだ。急な重さに耐えきれないのか、身体が揺らいで倒れそうになって、「うあっ」と声を上げる。思わず俺は、その身体を支えた。
どちらかというとガリガリで胸なんか影も形も無いのは相変わらずの幼児体型だが、そこは腐っても女子というのか、肩のあたりは普通に柔らかい感触がある。
右川は態勢を整えて、ひょいと俺を振り返り、「%&$#♪」と、いつだか懐かしい宇宙語を繰り出した。それこそ、まともに、素直に〝ありがとう〟って言えばいいのに。相変わらず可愛気が無い。
「なんで、こんな大荷物。水とか……これ、ひょっとして店で使ってんのか」
「ううん。これは家用」
「と聞いて、そんならいいか、とはいかないだろ。常識で考えて」
「心配しなくても、店はお客さん用の美味しい水を使ってるからさ」
これまた、そんならいいか、とはいかないだろう。常識で考えて。
「先生に見つかるとヤバいから、程々にしとけよ」と、釘は刺した。
そんならいいか、である。
その時、リュックの口からペットボトルが1本飛び出して、地面に落ちて転がった。それを拾って、渡してやろうとした所で、ふと目に留まる。
〝⑤〟
このナンバーに、油性ペンに、この文字に、著しく見覚えがあった。
「おまえ……」
右川が急に表情を強張らせる。ペットボトルを俺の手からもぎ取り、それをギュッと胸に抱いた。
そこから、くるりと身を翻し、背を向けて、「じゃ、帰るねっ!」 速攻走りだす。
「待て!」
逃がすかとばかりに、リュックを後ろからグイッと掴んだ。右川はバランスを失って背中から地面に倒れる。その勢い、残りの2本がリュックの外に飛び出て転がった。
〝②〟〝①〟発見。
「おまえか!」
襟首の後ろを掴んで右川を強引に立たせると、胸に抱いた⑤が地面に転がった。
捕まって、もう逃げられないと覚悟した途端に、右川は調子づいてきて、「それは、ちょっとだけっていうか。うっかりっていうか。何ていうか」と、ちょいちょい笑いながら、さっそく誤魔化し始める。
ごにょごにょ言いながら、落としたペットボトルに、こっそり手を伸ばした。そうは行くか!
俺は、右川のもじゃもじゃ頭を上から鷲掴み。
「何本盗った?正確に言え」
俺に睨まれ、抑えつけられた右川は、もう笑ってはいない。どこか怯えながら、「さ、3本……」と指を立てる。何故か目線は横に流れた。
「嘘ついても分かるぞ!」
ひ!と悲鳴を上げて、右川は観念したように、「ご、5本」
「5本も……!」
頭の中で、1本が198円、それかけ5本で990円、それを少ないと取るか、多いと取るか。足蹴り、ゲンコツ、そこまで喰らわす程の罪でもない気がする。中途半端な値に怒りのボルテージが次第に冷やされていくのを感じた。そんな訳にいくか!とばかりに、俺は右川を掴んだまま、とりあえず……睨んだ。何も言わないとは言え、こっちは何を許した訳でもないのに、右川の方はもうヘラヘラと、「トイレットペーパーは、もう盗んでないよ。そこはやっぱ学校に悪いしね」と、にっこり。
「当たり前だろ!この、泥棒常習犯!」
一喝入れて、笑うチビを撃沈。
「おまえのせいで、周りを疑ったじゃないか」
俺は人間性を疑われて、自分の評価をドン底に落とす所だったんだぞ!
(松下先輩に確かめる前に気付いてよかった&バカを疑う前で命拾いした)
「常習犯って、そこまでヤリ込んでないよ。言っとくけど、あの倉庫からは取ってないからね」
「やってない事を威張るな!」
ピンと来て、「おまえ、もしかして倉庫からも取ろうとした……?」
右川は手をバリアに立てて怯えながら、「カ、カギが掛かってたから」とかって、もう許せない。
「おまえは、はっきり常習なんだよ!」
右川は咄嗟に耳を塞いだ。
「もー、弁償すりゃいんでしょー!」と、面倒くさそうに吐き捨てる。
「簡単に言うな!金出しゃいいって問題じゃないだろ」
「んじゃ、どうすりゃいいのっ」
そんなの決まってるだろとばかりに、「まず、謝れ」と、右川を威嚇した。
「常識だろ」
右川は1度溜め息をついて、「はいはい。あたしが悪かった。ごめぇーん。すまんのぅ。さーせん。謝るからさ。機嫌なおそ。弁償するし」
さっそくペットボトル⑤を何事も無かったようにリュックに詰め込み始める。
俺がその手をグイと掴むと、ペットボトルが滑り落ちて、また地面を転がった。
「フザけんな!謝るなら、ちゃんと謝れ」
右川は、俺の手をウザったそうに振り払い、
「なにそれ。土下座しろって言ってんの?」
俺は何も答えなかった。
おまえがそう思うなら、それをやってみせろとばかりに、思わせぶりに腕組みしてみる。
しばらくの不気味な沈黙の後、右川の方も、これみよがしに腕組みしやがった。目を細めて、下から俺を睨んでいる。まるで宣戦布告のようだと感じた。
「何だその態度。人の物盗んでおいて謝りもしないのか」
右川は、ふん!と、鼻で笑った。
「ね、アクエリアスってさ、どこでも買えるよね。もう、そっこら辺、どこでもさ」
……何が言いたい。
「弁償すれば、元に戻る訳でしょ?5本まとめて。なんなら1本オマケで6本1箱でもいいけどさ」
「謝る気が無いって事か。決定か?ファイナルアンサー」
右川はそこで空を見上げて、「あんたは、謝ってくれたっけ~♪」と、ワザとらしく歌った。
またか。
「あんたは取り返しつかないよ。弁償は無理。あたし一生許さないからね」
「ほんとしつこい」
つい口走ると、「そうだよね?いつまでもいつまでも過ぎた事を言うのってしつこいよね?見苦しいよね?」 まるで圧力を掛けるように、一歩づつ俺に迫って来た。
「ドリンク7本ぐらいで、がたがた言うなっつーの!」
右川は足元の①を掴んで俺に投げた。その勢いでフタが外れて、水が飛び散る。それが俺の足元を濡らした。〝7本〟それが正確な盗みの数なのか。
もう我慢できない。
「おまえ!全然、悪いと思ってねーだろ!」
俺はすぐ側の②を拾い上げ、右川の足元に投げ付けた。1度バウンドしたペットボトルは飛び跳ねた勢いで右川のふくらはぎを打つ。
「最後まで誤魔化しやがって!」
「お互いさまだよ!」
右川は、俺が投げ付けた②を拾い上げ、今度は両手持ち全力でぶつけてきた。何故だ?右川の投げるそれだけが、都合良くフタが外れて俺を濡らす。結果、俺は全身ズブ濡れ。身体中、まんべんなく濡れて、棒立ちになった。多分スマホもパーになる。(2度目だ)
右川は再び腕を組むと、仁王立ちで、
「あれは黙っといてやるから、あんたも、これは黙っときな。これでお終い。じゃ、帰るから」
地面に転がったまま、今も俺の足元で水を垂れ流すペットボトルを無情に眺めながら、俺は震える拳を握り締めた。……お終い?帰る?ふざけんな。
「……わかった」
俺は低く、呻いた。
「いつかのあれ。俺は絶対に謝らない。もう誰でもいいからバラ撒けよ」
急に変わった俺の態度にさすがに驚いたのか、右川は目を見張る。
「こっちの事情は直接、山下さんに話す。弁償はそこから、もらう事にする」
山下さんとは、定食屋で働く右川の従兄弟。
右川が唯一、目の色を変える存在。
卑怯は100も承知で、切り札とばかりに、俺はその弱みにつけ込んだのだ。
「……わかった」
右川は何かを覚悟するように腕組みを解く。
俺は、この先何が向かって来るかと、少なからず恐れて、心では構えた。
突然、右川は転がっていたペットボトル⑤のフタを外し、頭上に高く掲げて、水を頭から被った。
これは拍子抜けというレベルじゃない。ド肝を抜くに近い。
俺はあんまり驚いて、一歩踏み出した途端、そこに転がっていたペットボトルを蹴っ飛ばしてしまう。「ごめん。謝る。アキちゃんは関係ない。あたしが弁償します。これでいいでしょ」
右川はズブ濡れのまま、軽くなったリュックを静かに持ち上げて、その場を後にした。
俺は、右川を本気で怒らせたと感じた。
またしても卑怯な手を使って、右川を追い詰めて。
一体、どこから間違ったのだろう。
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