God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
今期最高、深い後悔の中に居た。
試験1日目が終わったその日の午後。
これからまっすぐ家に帰り、今度は明日の試験準備だと荷物を整えていたら、
「沢村くん、さっきの問題。問4って〝アニミズム〟でいいんだっけ?」
前の女子、進藤ヨリコに訊ねられた。
「俺はそう書いたよ」
いけないと思いつつ、つい眺めてしまうな。
右川のヤツが、ブラ線がどうとか余計な事を言うから、今まで気にも留めなかった進藤の背中が急に気になり始めて、もう席替えを待つ以外に抜け出す術が無い。
進藤と言う女子は、どちらかというと穏やかで明るくて……とは言っても、右川のようにズケズケと入り込んでくるような図々しい女子ではなかった。必要以上に親しくなる事は想像できないが、クラスメートという枠なら自然に口を利くことができる女子である。
進藤の隣の男子が頭を抱えて、
「ヤバい。僕〝アミニズム〟って書いちゃったかもしんない」
すると進藤も、「え……それを聞いたら、何か不安になってきた」
「って、こっちまで不安にさせないでくれよ」
「あはは。何言ってんの。沢村くんは大丈夫でしょ」
邪気のない瞳で、進藤は笑った。「ああいうのを記号問題にしてくれない所が、罠って感じだよね」と、進藤は愚痴る。
「先生も見間違えてくれりゃいいのにな」と、俺が言うと、男子が「ホントだよ」としみじみ頷いて、「見逃してくれよぉ~」と、天に向かって祈り始めた。
「こうなったら先生のメガネ、盗んじゃおっか?」
進藤が無邪気に笑う。泥棒の友達は、泥棒か。盗みが集団化する日も近い。最後は3人仲良く(?)とにかく過ぎ去った事は忘れよう、という結論に至った。
明日の数学。選択授業。正規の授業より範囲が広い。とにかくやれるだけの事はやっておく。
右川、あいつは、いつも通り余裕なんだろうか。
あの時、泣いてはいなかったと思う。水を被って佇むあの姿。それが今も脳裏に焼き付いて離れない。従兄弟を引き合いに出された途端、右川はすぐに俺に謝った。何の躊躇も無く水を被った。弁償するとまで言った……ふと気になって、進藤にそれとなく右川の試験事情を訊いてみると、
「カズミちゃんは、数学以外、いつも厳しいんだよね」と、進藤の方が厳しい顔になる。
「あいつ、何であんなに数学だけ出来るんだろな」と、隣の男子も入って来た。
「何か、数学だけはお兄さんに教わってるとか言ってたけど」
いつだったか偶然目にした、複雑に絡んだグラフと図と矢印の数々を思い出した。あの、(元)イカ東の兄貴か。それが事実なら、優秀な(ブッ飛んだ)兄貴を持って幸せな事この上ない。
さすが東大生(元)。どうせなら他の教科も教わりゃいいのにと考えた所で、そういや俺にも弟が1匹いたな……と、不意に浮かぶ。弟から勉強を教えてくれと言われた事はただの1度も無かった。頼まれたからと言って、教えてやる気は毛頭無い。お互いにキレて勉強にならない気がする。
想像の域を出ないが、右川も弟と同じようなものかもしれない。
俺は進藤と男子に軽く合図して、教室を出た。廊下を行くと、その目先に、重森を見る。廊下の窓から外を眺めていた。俺に気付いて、「おう」と、声を掛けてくる。
「悪いんだけどさ、これからウチの部室に来てくれよ」
やけに遠慮がち。それでも有無を言わさない圧力を感じた。
「部長が呼んでる」と聞けば、尚の事。
こないだの惨劇は重森の中で、どう消化されたのだろう。
「ちょっとぐらい時間あんだろが。それとも30分ぐらいのロスで明日の試験がボロボロになる感じ?授業テストぐらいでおたおたすんなよ。今さら何やったって何が変わる訳でもないんだし。悪あがきなんか」
いつまでもダラダラと続きそうなので、諦めて、重森に付いて行く。
クラブ棟の1番端っこが、吹奏楽部の部室だ。音を出すので、迷惑の掛からない場所が宛がわれている。この場合、吹奏楽部の出す音の迷惑を言っているのではない。軽音、合唱、アニソンといった音関係の部活と愛好会が発する音が迷惑だと……彼等は、吹奏楽から遥か遠く離れた狭い場所に追いやられているというのが実情なのだ。
自転車置き場を横切った時、突然、トランペットの音が聞こえてきた。
「試験中なのに、部活やってんの?」
「1時間だけ。ちょっとはやらないと鈍るから」
俺に……というか、重森に気付いて、次々と部員が一礼した。制服の感じからして1年生だろう。後輩の礼儀正しさはピカイチである。こういう辺りは、バレー部にも見習わせたい所だな。
すぐ側を物凄い音で電車が通過した。それに向かって、部員はトランペットをひたすら吹いている。
確かに、ここなら誰にも、うるせー!と文句は言われないだろう。よく考えたら、部室と言っても部屋は1つしかない。全体で音合わせする以外、それぞれのパートが個別練習をするにも、またそれぞれの場所を必要とする。場所の確保は吹奏楽にとっては要のようだ。
そう言えばいつだったか、「美術室で何かやってなかった?」と、聞くと、「あぁ、暇な時、たまに」
聞けば、美術部の要望に沿って腕のいいフルート奏者が馳せ参じ、優雅な調べを聞きながら絵画に勤しんで……と、そんな事もあるんだと教えられた。
「そしたら、あのバカ!」
急に重森の語気が荒くなる。曰く、「そんなら体育館でもやってくれよぉ!会いたかった~♪シューッ!」と、永田にボールを投げ込まれて、邪魔された事があったらしい。
俺は思わずため息を付いた。あいつの鬱陶しさは文化系にまで及んでいる。
「兄貴に叱られても全く反省してない。また何かやるかもしれないよ」
「オンナに腑抜けて、調子に乗ってんだよ。あのバカは1度締め上げろ」
「俺はやらないよ。たぶんヤラれるから」
「チカラでやろうとする必要ねーじゃん。頭使って、どうにかしろよ」
「頭使うのは重森に任せる。てゆうか、明日の試験ってどう?自信満々?」
「ある程度はね。塾でも対策立ててやってきたし」
「それじゃ余裕だな」
おかしな話だが、重森とこうして普通に会話していると、それほど嫌な奴にも思えない。思えば、大なり小なり永田バカの迷惑を被っているという境遇からして、お互い同じ立場なのだ。
俺は、右川が言った失礼の数々、ここで思い切って詫びてみた。
(なぜ俺が?とは思うけど)
「全然、気にしてねーよ。あんな、どチビ」
そういう顔には見えないが、幾分、重森が穏やかにも感じられて、そこは少なからずホッとする。
部室の前に来ると、予定のチャリティ・コンサートのポスターと、吹奏楽部が取り上げられている地方新聞の1部が貼り出されていた。
重森に促されて部屋に入り、予め用意されていた椅子を勧められて、それに座る。
俺は……今期最高に深い後悔の中に居た。
部屋の中には部長だけじゃない。先輩&同輩の面々が勢ぞろいしている。女子は1人も居なかった。それぞれが楽器を持って、妙なる調べを奏でていた所、俺が入った途端に音がピタッと止む。まるで鎖を巻かれたような気分になった。
俺に対峙して中央に座っているのは、2月の選挙で永田さんに負けた吹奏楽部3年の部長である。吹奏楽というより、柔道がピッタリという雰囲気の、顔つきのイカつい先輩だった。
「なぁ、沢村。松下の奴がさ、今度のチャリティに補助金が出せないっていうんだけど。マジで余った金とか無いの?」
直球で来たぁぁぁ。
「それは本当です。本当に余裕が無くて」
マジで、本当。
俺の答えにブーイングを発するように、あちこちからフルートやらクラリネットやら何やらの音が、不規則にタラタラと流れてくる。「うるさい」と、部長が一括して、一瞬で収まった。
何なんだろう、これは。
急に言いようのない不安に襲われてきた。
「別にさ、準備金くれって言ってんじゃないんだよ」
部長は、傍らに立てかけていたトロンボーンを手に取って眺めながら、
「双浜高生徒会として、少しでも寄付しようって考えは無いのかなって。今の会長は」
そう言う事か。
建前を用意してまで、生徒会から搾取したいのか。
金に困っている訳でもないのに。
チャリティの意義は別として、吹奏楽に言われてヤラされるというのは、永田会長にとっては屈辱だろう。出したお金は真っ直ぐチャリティになるのか、吹奏楽の懐に入るのか、そんな辺りも疑わしい。
こういう場合、松下先輩だったら、どう答えるだろうか。
「生徒会としては……」
そこまで言って、俺は少し考えて、
「そういう事は、個人的に考えると思います」
ひゅぅーッ♪と、涼しい口笛が鳴った。
「沢村先輩、絶対に来てねぇぇぇ~」と、誰だか男子がフザけた声を上げると、それに合わせて、誰かが楽器を、ピョロロローと鳴らす。クスクスと忍び笑いが、それに続く。
「誤解すんなって。寄付を強制してる訳じゃないんだから」と、部長は薄笑いを浮かべた。
嫌な感じだった。
仲間内にすっかり根回しされて、俺の事は軽くあしらうように話はついているといったような。この不安の正体は、ずばり〝違和感〟だと感じた。他の団体を扱う時とは、全く違う感覚である。
他所は、あれが欲しい&あれが足りないと、とにかく自分の都合が先に来る。だが吹奏楽部は、表だって自身の都合は強く主張せず、おまえが悪い&おまえが分かっていないと、こっちの落ち度ばかりを殊更に主張するのだ。バスケ部のようにガチで直球ぶつかってくる訳ではなく、遠回しに〝音〟と言う名の矢を飛ばして。こうやって、まずはこっちの弱みをエグる。要求は後からやってくる。思った以上に、永田会長の周囲は大変だと感じた。松下先輩は、よくやってるな。
「ところでさ」
急に空気が変わった。
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