God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
「来期、おまえって出るの?」
周囲の雑音がピタリと止んで。薄気味悪いほど、静かで。
「来期、おまえって出るの?」
つまりそれが、本題か。
「おまえが、永田の推薦を背負うのか」と、群れの中の1人が遠慮なくブッ込んでくる。こっちが部長の質問に答えている暇もない。「そしたら生徒会総出で後援って事か?」と、またしても誰かが矢継ぎ早に訊いてくる。
重森を横目で睨んだ。自分では埒が明かないと、仲間に泣きついたか。
「俺は出るつもりはありません」
沈黙を待って、俺はきっぱりと言った。
もうそれだけは、ここで確実にしておきたい。
「てことは、あの背後霊が出るの?」
部長が、最初誰の事を言っているのか分からなかったが、よく考えたら……永田会長に張り付いている阿木の事だろう。そうと分かったからといって、「あいつ、背後霊のエリートだからな」と、誰かに煽られてクスクスと笑い始めた周囲と一緒になって笑えもしない。それだけ〝背後霊〟という言い方に、素通りできない悪意が感じられた。何か言っておかないと、今度は阿木の周辺に探りが入るかもしれない。
「阿木がどうするか、俺は何も聞いてません。見た所、控えめな性格で、立候補という感じとは思えませんが」
阿木を庇った事を、重森は意外に感じたのかもしれない。
「おまえ、まさか阿木とデキてるとか言わねーよな」
は?
声には出さなかったが、それと同様の不信を沈黙に込めた。
「それじゃ、あの1年とは何でも無いのか」
またか!しつこい。
右川の言う通りだ。重森は、他人の恋愛事情をやけに気にする。
まさか、浅枝が1年で立候補するとでも思っているのだろうか。
「俺は誰とも付き合ってない。誰かと付き合う予定もない。あっても断る」
そこまで言っておかないと、また別の誰かを引き合いに出されて、同じ事が繰り返される。何だか、余計な事ばかりに気を使っている気がする。先輩の目ばかり気にする工藤と同じだ。
「えぇぇ~ん、あたくしでも駄目ですかぁぁぁ~」と、さっきと同じ野郎の、フザけた声が飛んだ。
周囲がドッと湧く。部長と重森は、1度顔を見合わせた。
「おまえにその気が無い事は、よく分かったよ」
部長だけが笑いを堪えて、それだけを言った。重森は沈黙を守っている。
単に、部長の目の前で確認をしたかった、それだけなのか。
そこで、また誰かが、「立候補しないと言っても、誰かの応援に出られたら困りますよ」と、声を上げた。テニス部の彼女を持つ、あのホルン奏者。俺のクラスメート。しょせん、それだけの繋がりの同輩。
こないだの重森の様子から見て薄々感じていたが、この所、吹奏楽内部でも変化が起きているのだろう。部員が次から次へと、まるで先を争って俺を追及し、手柄を立てて部長に取り入ろうとしているように思える。ヤジを飛ばしたり、楽器を鳴らしたり、質問をブッ込んだり……みんな、やる気満々だな。重森が焦るのも、頷ける。
「応援したとして、俺なんかにそれほどの影響力は無いです」
「だけど、それに永田会長の威光が加われば別だろ」
だーかーらー、と、また出そうだ。
「俺は選挙には関わりません。今のところ、応援を頼まれるような仲間もいませんから」
永田弟の顔が浮かんだが、バレー部の仲間に睨まれてまで応援はしない。
ていうか、冗談じゃない。阿木を応援してくれと永田会長に頼まれたら……渋々ではあるが引き受ける覚悟はあった。
所詮、裏方。率先して応援に立つ訳ではない。どちらに至っても消極的だ。
これ以上の長居は無意味だと、俺は自分から立ち上がった。部長も重森も何も言わなかったので、そのまま部屋を出る。2人に見張られながら、出入口で見送られる際、何故か話題が、右川の事になった。
「あいつの兄貴を知ってるよ。奴はケダモノだ。まともじゃない。その妹ってどんな感じ?」
訊かれた俺ではなく重森が、「チビです。でも生意気で、勢いだけはあるんですよ」と答える。
ここまで来たか〝右川の会〟。俺の意向に反して、どんどんグローバルになっていく。重森のヤツ、右川に言い返せなくて泣きが入ったクセに。部長にその辺もちゃんと報告したのか。
聞いてると、この3年部長も右川の兄貴を知っているようだが、恐らく、振り回された側なのだろう。今もしつこく、くすぶっているように感じた。
チビで、生意気で、礼儀知らずで、怠け者……重森がズラズラと右川の罵詈雑言を並べ立てるが、それを聞いても、俺は部長と一緒になってやっぱり笑えなかったし、いい気味だとも思えなかった。いかに泥棒常習犯の右川と言えども、うっかり標的になったら。
「最近、よく生徒会をうろちょろしてるんだって?」
案の定、部長から探りが入った。「何の用で生徒会に出入りしてんの」と、重森が畳み掛ける。
おまえとデキてんのか、と言わないだけ良しとしよう。盗みが目的です、とも言えず、「阿木と部活が一緒なので、待ち合わせというか」と、淡々と。
「それだけかな」
吹奏楽部までが、どういう期待の掛けようなのか。
「それだけですよ。重森は意外に思うかもしれませんが、右川と阿木は凄く仲良いんです」
少々、盛り過ぎた。良しとしよう。阿木だって俺らを〝仲良し〟と、大ボラを吹いてくれたのだから。
俺はその〝仲良し〟に物を盗まれ、そしてその〝仲良し〟を脅して謝らせた。〝仲良し〟は必死で弁償してくるだろう。敬愛する従兄弟にチクられたくないばっかりに。
昨日から今日に掛けて、やけに罪悪感が襲う。右川を脅しても庇っても、どっちも後味が悪い。
2人の視線を背後に感じながら、俺はその場を後にした。廊下をトボトボと歩きながらスマホ(新しいやつ)を開くと、重森に言われた通り、ちょうど30分が経っている。震えた。恐っそろしく正確だ。
通りがかった視聴覚室の部屋の中から、淡い楽器の音が聞こえてきた。ここも練習に使っているらしい。その扉が開いて女子が1人出てくると、俺を見て、握っていたフルートらしき楽器を何故か隠すような素振りをした。自然に通り過ぎた所で、「先輩」と呼ばれたような気がして、振り返る。
その女子が1年だとは分かった。右川と張り合っても勝てそうな位に背が低くて、ちまっとしている。斜め後ろに束ねた髪の毛が、肩から前胸にかけて、まとまって流れていた。
「あの……私、いつもアユに写真をもらっていて」
アユ?
「あ、浅枝か」
そろそろ俺の頭の中に名簿領域が必須だと思い知った。
「あの、いつも、頑張ってください」
いつもごくろうさまです。いつもお疲れ様です。いつも見ています?
そんなあたりと激励がくっついたらしい。それほど緊張しているんだろう。もう分かり過ぎる位に、女子は顔を真っ赤にしていた。俺は咄嗟に辺りを見回して、誰も居ない事を確認すると、
「うん、確かにいつも頑張ってるよ」
目が合うと、女子はますます真っ赤になった。両手で顔を塞ごうとしたら、握っていたフルートが邪魔して、女子の額をカチンと鳴らしてしまう。「あたっ」
自然に出た反応からして、浅枝と似たような無邪気な後輩だろう、と推察。
こういう場合。
妙な期待で自分がどうにかなりそうと言うより、後輩がこれ以上恥ずかしい思いをしないように何とかしなければと、よりいっそう先輩らしい感情が働いてくるから不思議だ。
もし気に入って仲良くなれたら……とか、そんな妄想が全く飛び込んで来ない。そんな事を考えちゃいけないんじゃないかとさえ思ってしまう。それだけ、その女子は健気で、無邪気に見えた。
「あ、先輩にこれ」と、何か渡されて、見てみるとそれは何故か〝くまもん〟の付箋紙。
「こういうのが好きなの?」
「いえ。アユが、沢村先輩がこれを気に入ってるって言うので」
「いや……違うから」
ここは言っておかないと、万が一〝くまもん〟が売るほど集まったらマズいぞ
「あ、それならいいです。返してもらって」と、女子が手を伸ばしてきたので、「あ、もらっとくよ」と、そのまま〝くまもん〟を握っていた俺と手がぶつかってしまった。それにかなり動揺したのか、女子はフルートを落としてしまう。ゴチンと、見た目と違って、かなり重厚な音がした。
「ゲ、壊れてない!?」
焦って、思わず拾って、「わ、これは凄いな」と、その予想外の重さに驚いた。
「大丈夫です。そんなにヤワじゃないんですよ、このコ」
楽器もだろうが、この女子も見た目ほどヤワではない、と推察。
「こんな重いの、大変じゃない?」
「左右の手で力の掛け方が違うんです。だから左手首ばっかり、すごく疲れちゃいます」
左手を振って見せた。
俺史上、初めて手に取る楽器を、見よう見真似で、「こう?」と構えてみせたら、何故か女子は、ますます顔を真っ赤にして、「せ、先輩っ。それはフルートなので横向きです」と、言われてハッと気付く。
俺はまるで縦笛のように真っ直ぐに構えていたのだ。「ゲ。あ、そうか」
骨が震えるほど恥ずかしい。周りに誰も居なくてよかった。(特に、重森。)
「浅枝にはチクらないように」
冗談っぽく睨んで見せると、「はい」と、女子は1度素直に返事をしたものの、「すみません。後で思い出して笑ってしまいそうです」と、もう薄っすら笑ってるじゃないか。ぐだぐだ。ぐだぐだ。
女子に楽器を返した。
「ありがとう」
色々と、込めたつもりである。女子がそれに応えて、「いえ」と、言ったか言わないか。
その時、突然扉が開いて、中から楽器の音が大量に漏れてきた。女子が慌てて背中を向けて向こうに歩きだし、俺も咄嗟に掲示板のポスターに見入った振りをする。ぞろぞろと、練習を終えたらしい集団が出てきた。さっきの女子がどこに紛れて消えたのか、もう分からない。
あの体格であれほどの重さの楽器は、やっぱり大変だろうなと、その境遇を思いやった。そして、吹奏楽部に居たら、表だって俺の話なんか出来ないだろうなと、その境遇をも思いやる。
浅枝がこっそり聞き役になっているんだろう。そこで、ふと思った。
あの子に、背丈と名前以外、俺のツボは何処にあるのかと……聞いとくんだった。
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