God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
やっと〝普通に友達〟と言う舞台に上がる事が出来た。
3時半。
それが右川に、何かのタイムリミットが働くらしい。
「あ、3時半だ」と、右川は立ち上がる。「じゃ、帰るね♪」と来るので、今日は俺もそれに乗じて、「それじゃ俺は部活に行くよ」と、残った雑用を浅枝に頼んで、右川と一緒に生徒会室を出た。
1階の出入り口に差し掛かると、体操服の生徒があちこちから飛び出してきて、それぞれの場所に忙しそうに向かっていく。抱えている段ボール、巻き込んだ大きな模造紙、ユニフォーム……放課後は、それぞれの自由に忙しい。まるでカオスだ。
「そういや、おまえって中学ん時、何か部活やってた?」
「ちょっとだけ。卓球部だった」
「それってどうなの。いい感じ?」
「全くダメ。ボールが邪魔なんだもん」
思わず吹き出した。
右川の運動神経は切れている。それを本人も認めた(?)。
「バレーとかバスケとかは体育で、ちょっとはやるじゃん?だから何とかイケるんだけど」
あれでも?
ここでその自惚れを上からブッ潰してケンカになるのも何だと思い、「1度も関わらない競技って、勝手が違って難しいよな」と気休め位は言ってやるか。
そんな話の延長で、いつだったか吹奏楽女子の前で俺がやらかしてしまったフルートの恥ずかしい一件を右川に話して聞かせた所、「ぶぅわはッ!」と、人間とは思えない音を発して、「すげー!ちょーウケる!」と、手を叩いて大ウケ。急に恥ずかしくなってきて、「もう頭ん中が、トランペットとかサックスとか、そういうイメージで浮かんじゃったからさ」って、言い訳ぐらいさせろ。
「あんたの口から初めて聞いた気がするよ。ツマんなくない話」
何て言い種だ。
「うわ!ヤバいよヤバいよ。笛とか、そういうの見たら思い出すじゃん」
右川は、ツボにはまったそれがどうにも我慢ができないと、笑い続けた。
「笑い過ぎだろ」
「もうさ、人前でペットボトルのラッパ飲みとかしないでくれる?ヤバいよヤバいよ。無理無理」
「言うなって。俺が普通に飲めなくなるだろ」
結構ドツボで、こっちも笑いが止まらない。
思えば……右川とこんな風に、何でもない事で自然に笑い合う事なんか、今まで無かった。いつもと違って険の無い表情、進藤のような女子と自然に仲良くやっている姿が、何の抵抗もなくすんなりと浮かんでくる。
グラウンド横に差し掛かった時、短距離でタイムを争う同輩を見つけた。
「あいつら中学ん時から陸上部で、やたら競争してるんだけど、まだ決着つかないのかな」
黙りこむのもツマんないだろうと思って、そんなエピソードを右川に話して聞かせた所、これには、「ふーん」と全く興味のない様子。大ハズレ。右川のツボが、いまいち分からん。
「俺らも競争する?」
「は?今度は走るの?あたし、そういう系は無理だから。無理無理無理無理」
「じゃなくて。浅枝と一緒で、どっちが早く先に相手を見つけるか、みたいな」
彼氏とか出来たら、くだらない過去の色々なんか、どうでもよくなるだろ?
「あたし、すぐ見つかるよ」
「マジで?!」
純粋に驚いて、普通に大きな声を上げてしまった。すぐ側を通りがかった美術部男子も一緒に驚いてイーゼルを転がす。
右川は、「なーんて、ウソ♪」と歌って、
「あたし、しばらくは見つからないと思う。だから、そんな負ける競争、最初からやんないって」
まるで、いつかは見つかる宛てがあるとでも言ったような口ぶりだった。
「ちょっとあそこ寄って行くから」と、右川は水場を示して、「じゃあね」と、駆け出す。その背中を呼びとめると、「もう、何?明日じゃダメ?」
「阿木の事だけどさ」「てゆうか、あんた勝ったんだよね?早く決めてよ。気持ち悪いんだけど。どうすんの?」「いや、それはまだ全然」って、取りあえず乗っかったけど、また話そらしたな。
阿木に関して、突っ込まれたくない何かがある。これはもう、確信に近い。右川はリュックを開いて荷物を探り始めた。またギョウザが飛び出すのか。今日の俺は、そんな物じゃ誤魔化されないぞ。
「はいよ♪」
手渡されて見たそれは……映画のチケットが2枚。
〝パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊〟
誤魔化されてやってもいいかもしれない。これには、うっかり乗ってしまいそうになる。
「まさか、俺と2人で行こうとか思ってんの?」
受け取った2枚のチケットを、ひらひらと泳がせた。
「んな訳ないでしょ」 右川は力一杯、全否定して、「〝兄に愛されすぎて困ってます〟だったら、松倉と一緒に行こうかな。ドリンクもポップコーンも2人分、あんたのオゴリでね」
「冗談やめろ」と、今度はこっちが全否定である。
「これは、ま、何ていうか迷惑料って事で♪」とか言い出した。
「迷惑料?」
「いつかの……1年前のあれだけどさ。あたしは許すっていうか、もういいっていうか。こっちもしつこく言い過ぎたなって反省してるし。だから、それの迷惑料。だから、もうこれで終わりにしない?」
まるで初めて見る。
ちゃんと真面目に、真剣に、真っ直ぐ、向き合っていると感じた。
「あたしも、ちゃんと忘れたいから」
今度は小さな封筒を寄越してくる。開けてみると、お金が入っていて、1000円札が2枚。「これはアクエリアスの方で」「おつりは?」「いいよ、それは」と、それに似たやり取りの後、「これで弁償も終わり。ということで、全部終わりっ」 右川はポンと手を叩いた。
「うん。決着だな。賭けの戦利品以外は」
大団円に水を差したら、右川は苦虫を噛み潰したような顔をする。ゴチャ混ぜにして終わらせようと企んだのが、見え見え。まーそっちも、俺的には、もういい気もするけど。
不意に、右川がにっこり笑った。見ていると何となくホッとして、こっちも笑い返す。右川と……かつて、これほどまでに友好的な瞬間があっただろうか。
やっと〝普通に友達〟と言う舞台に上がる事が出来た。
少なくとも、俺はそう感じた。
右川は、ふぅと一息ついて、
「今日みたいにアギングに呼び出されない限り、あたしが生徒会室に行くことは無いから安心しなよ。ノリくんとはクラスメートだから、その場の雰囲気で話したりするかもしれないけど、あんたが嫌だって言うなら距離も取るし。基本、選択授業以外で、あんたと顔を合わせる事って無いよね。さっそく、のぞみちゃんに頼んで、また席替えしてもらおっか。あたしチビだから全然前でいいし。ゲッ!そういや前にはカネ森がいるじゃん。ま、口利かないから、いいか♪」
「結論、あんたとも口利かなきゃいいって話なんだよね」と、笑いながら蛇口を捻った。もうさっそくいつものようにジャブジャブと豪快な音を立てて、何やらを洗い始める。
俺は……その途中から、どうしても頷けなくなった。
そこまでするのか。
そこまでとことん、か。
結論、俺は重森と同類に扱われ、今まで以上に素っ気ない態度に出るという事だろう。あんな事をされたら、そんな男子の顔なんか見たくもないし、口も利きたくないと思うのが普通だ。だから、それには頷ける。
だがそれは俺がどんなに反省して土下座して拝み倒して、もう何をやっても無理だと、そこまで徹底的に決め付ける程の深刻な罪なのだろうか。
さっきまで、あれほど仲良く話していたのに。
そこで、気が付いた。俺は、いまだ右川にあの事を謝っていない。謝るどころか、絶対に謝らないと断言してしまった。もしかしたら、そこから間違ってしまったのかもしれない。
「その、いつかの事だけど……ごめん。謝る。マジで」
右川の手が止まった。
蛇口から流れる水音をしばらく聞いていたかと思うと、キュッと蛇口を捻って水を止める。
「だーかーらー、あたしは忘れるって言ったんだから、もういいじゃん。さっさと部活に行きなよ」
俺ではなく、目の前の蛇口に向かって、訥々と言い聞かせていた。
「俺としては、ちゃんと許してもらいたいんだけど」
「そうなの?じゃ、許す」
「なんだよ、その投げやりな言い方」
右川は溜め息をついて、
「だーかーらー、そう来たらまたケンカになっちゃうでしょうが」
右川は面倒くさそうに振り返って、「あのさ」と、両手の泡を軽く払った。
「あたしらってさ、高校に入学して1年経ったよね」
唐突に、何を言うのか。
「あんたさ、同級生でまだ1度も喋ってない女子とか居る?」
「そりゃ居るよ」と、答えた。
「明日から、あたしの事、そういう女子だと思ってくんない?」
「……」
「あんたとは違う種類のグループに居て、たまに顔は見るけど何処のクラスかな?みたいな女子。いるでしょ?そういう子ってさ、下手すると3年間口利かないままって事もある訳じゃん」
「……」
「1度も喋らないんだから、元から何かある訳がない。許すも何も存在しないって事。そう考えたら、すっきりしない?忘れようとするより楽ちんだよ」
俺は確信した。
納得できないのは、許されていないからではない。
一年前のあれも、数々のバトルも、ここで俺が謝った事も、さっきあれほど仲良く話して笑い合った事も、全てをまるで無かった事にされてしまう。そこがどうしても頷けないのだ。
またケンカになる事を避けたいと、そう言えば聞こえはいいが、その実、これからは一切関わらないという事である。許されるかどうか以前に、挽回のチャンスも与えられていない。そこまで、とことん。
何を突っ込んでも心が折れないとは、よくも言ってくれたものだ。
再び、右川は洗い物を始めた。俺が背後から静かに近づくと、手元が陰になって気配を感じたのか、右川が振り返る。俺を見上げたその表情が、見る見るうちに、不安の様子を帯びてきた。
息を飲み、手にしていた洗濯物を思わず落とし、その肩が震え始める。
俺には、手に取るように分かった。
1年前のように、ここでまた同じ事が繰り返されると怯えているのだ。
こっちが一歩近づくと、「ひッ」と、悲鳴を上げて、泡の付いた両手で顔を庇った。
「勘違いすんな。んな訳ねーだろ」
右川のもじゃもじゃ頭に2枚の映画チケットを差し込んだ。
俺はその場を後にする。
あいつがどういう様子でいたのか分からない。流れの変わらない水音が、背後でずっと続いている。
ふと振り返ると、浅枝がちょうど水場を通りがかって右川に捕まっていた。
右川はヘラヘラと……まるでもう何事も無かったように。
忘れるより楽ちん、か。
俺は真っすぐ部活に出た。
それが右川に、何かのタイムリミットが働くらしい。
「あ、3時半だ」と、右川は立ち上がる。「じゃ、帰るね♪」と来るので、今日は俺もそれに乗じて、「それじゃ俺は部活に行くよ」と、残った雑用を浅枝に頼んで、右川と一緒に生徒会室を出た。
1階の出入り口に差し掛かると、体操服の生徒があちこちから飛び出してきて、それぞれの場所に忙しそうに向かっていく。抱えている段ボール、巻き込んだ大きな模造紙、ユニフォーム……放課後は、それぞれの自由に忙しい。まるでカオスだ。
「そういや、おまえって中学ん時、何か部活やってた?」
「ちょっとだけ。卓球部だった」
「それってどうなの。いい感じ?」
「全くダメ。ボールが邪魔なんだもん」
思わず吹き出した。
右川の運動神経は切れている。それを本人も認めた(?)。
「バレーとかバスケとかは体育で、ちょっとはやるじゃん?だから何とかイケるんだけど」
あれでも?
ここでその自惚れを上からブッ潰してケンカになるのも何だと思い、「1度も関わらない競技って、勝手が違って難しいよな」と気休め位は言ってやるか。
そんな話の延長で、いつだったか吹奏楽女子の前で俺がやらかしてしまったフルートの恥ずかしい一件を右川に話して聞かせた所、「ぶぅわはッ!」と、人間とは思えない音を発して、「すげー!ちょーウケる!」と、手を叩いて大ウケ。急に恥ずかしくなってきて、「もう頭ん中が、トランペットとかサックスとか、そういうイメージで浮かんじゃったからさ」って、言い訳ぐらいさせろ。
「あんたの口から初めて聞いた気がするよ。ツマんなくない話」
何て言い種だ。
「うわ!ヤバいよヤバいよ。笛とか、そういうの見たら思い出すじゃん」
右川は、ツボにはまったそれがどうにも我慢ができないと、笑い続けた。
「笑い過ぎだろ」
「もうさ、人前でペットボトルのラッパ飲みとかしないでくれる?ヤバいよヤバいよ。無理無理」
「言うなって。俺が普通に飲めなくなるだろ」
結構ドツボで、こっちも笑いが止まらない。
思えば……右川とこんな風に、何でもない事で自然に笑い合う事なんか、今まで無かった。いつもと違って険の無い表情、進藤のような女子と自然に仲良くやっている姿が、何の抵抗もなくすんなりと浮かんでくる。
グラウンド横に差し掛かった時、短距離でタイムを争う同輩を見つけた。
「あいつら中学ん時から陸上部で、やたら競争してるんだけど、まだ決着つかないのかな」
黙りこむのもツマんないだろうと思って、そんなエピソードを右川に話して聞かせた所、これには、「ふーん」と全く興味のない様子。大ハズレ。右川のツボが、いまいち分からん。
「俺らも競争する?」
「は?今度は走るの?あたし、そういう系は無理だから。無理無理無理無理」
「じゃなくて。浅枝と一緒で、どっちが早く先に相手を見つけるか、みたいな」
彼氏とか出来たら、くだらない過去の色々なんか、どうでもよくなるだろ?
「あたし、すぐ見つかるよ」
「マジで?!」
純粋に驚いて、普通に大きな声を上げてしまった。すぐ側を通りがかった美術部男子も一緒に驚いてイーゼルを転がす。
右川は、「なーんて、ウソ♪」と歌って、
「あたし、しばらくは見つからないと思う。だから、そんな負ける競争、最初からやんないって」
まるで、いつかは見つかる宛てがあるとでも言ったような口ぶりだった。
「ちょっとあそこ寄って行くから」と、右川は水場を示して、「じゃあね」と、駆け出す。その背中を呼びとめると、「もう、何?明日じゃダメ?」
「阿木の事だけどさ」「てゆうか、あんた勝ったんだよね?早く決めてよ。気持ち悪いんだけど。どうすんの?」「いや、それはまだ全然」って、取りあえず乗っかったけど、また話そらしたな。
阿木に関して、突っ込まれたくない何かがある。これはもう、確信に近い。右川はリュックを開いて荷物を探り始めた。またギョウザが飛び出すのか。今日の俺は、そんな物じゃ誤魔化されないぞ。
「はいよ♪」
手渡されて見たそれは……映画のチケットが2枚。
〝パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊〟
誤魔化されてやってもいいかもしれない。これには、うっかり乗ってしまいそうになる。
「まさか、俺と2人で行こうとか思ってんの?」
受け取った2枚のチケットを、ひらひらと泳がせた。
「んな訳ないでしょ」 右川は力一杯、全否定して、「〝兄に愛されすぎて困ってます〟だったら、松倉と一緒に行こうかな。ドリンクもポップコーンも2人分、あんたのオゴリでね」
「冗談やめろ」と、今度はこっちが全否定である。
「これは、ま、何ていうか迷惑料って事で♪」とか言い出した。
「迷惑料?」
「いつかの……1年前のあれだけどさ。あたしは許すっていうか、もういいっていうか。こっちもしつこく言い過ぎたなって反省してるし。だから、それの迷惑料。だから、もうこれで終わりにしない?」
まるで初めて見る。
ちゃんと真面目に、真剣に、真っ直ぐ、向き合っていると感じた。
「あたしも、ちゃんと忘れたいから」
今度は小さな封筒を寄越してくる。開けてみると、お金が入っていて、1000円札が2枚。「これはアクエリアスの方で」「おつりは?」「いいよ、それは」と、それに似たやり取りの後、「これで弁償も終わり。ということで、全部終わりっ」 右川はポンと手を叩いた。
「うん。決着だな。賭けの戦利品以外は」
大団円に水を差したら、右川は苦虫を噛み潰したような顔をする。ゴチャ混ぜにして終わらせようと企んだのが、見え見え。まーそっちも、俺的には、もういい気もするけど。
不意に、右川がにっこり笑った。見ていると何となくホッとして、こっちも笑い返す。右川と……かつて、これほどまでに友好的な瞬間があっただろうか。
やっと〝普通に友達〟と言う舞台に上がる事が出来た。
少なくとも、俺はそう感じた。
右川は、ふぅと一息ついて、
「今日みたいにアギングに呼び出されない限り、あたしが生徒会室に行くことは無いから安心しなよ。ノリくんとはクラスメートだから、その場の雰囲気で話したりするかもしれないけど、あんたが嫌だって言うなら距離も取るし。基本、選択授業以外で、あんたと顔を合わせる事って無いよね。さっそく、のぞみちゃんに頼んで、また席替えしてもらおっか。あたしチビだから全然前でいいし。ゲッ!そういや前にはカネ森がいるじゃん。ま、口利かないから、いいか♪」
「結論、あんたとも口利かなきゃいいって話なんだよね」と、笑いながら蛇口を捻った。もうさっそくいつものようにジャブジャブと豪快な音を立てて、何やらを洗い始める。
俺は……その途中から、どうしても頷けなくなった。
そこまでするのか。
そこまでとことん、か。
結論、俺は重森と同類に扱われ、今まで以上に素っ気ない態度に出るという事だろう。あんな事をされたら、そんな男子の顔なんか見たくもないし、口も利きたくないと思うのが普通だ。だから、それには頷ける。
だがそれは俺がどんなに反省して土下座して拝み倒して、もう何をやっても無理だと、そこまで徹底的に決め付ける程の深刻な罪なのだろうか。
さっきまで、あれほど仲良く話していたのに。
そこで、気が付いた。俺は、いまだ右川にあの事を謝っていない。謝るどころか、絶対に謝らないと断言してしまった。もしかしたら、そこから間違ってしまったのかもしれない。
「その、いつかの事だけど……ごめん。謝る。マジで」
右川の手が止まった。
蛇口から流れる水音をしばらく聞いていたかと思うと、キュッと蛇口を捻って水を止める。
「だーかーらー、あたしは忘れるって言ったんだから、もういいじゃん。さっさと部活に行きなよ」
俺ではなく、目の前の蛇口に向かって、訥々と言い聞かせていた。
「俺としては、ちゃんと許してもらいたいんだけど」
「そうなの?じゃ、許す」
「なんだよ、その投げやりな言い方」
右川は溜め息をついて、
「だーかーらー、そう来たらまたケンカになっちゃうでしょうが」
右川は面倒くさそうに振り返って、「あのさ」と、両手の泡を軽く払った。
「あたしらってさ、高校に入学して1年経ったよね」
唐突に、何を言うのか。
「あんたさ、同級生でまだ1度も喋ってない女子とか居る?」
「そりゃ居るよ」と、答えた。
「明日から、あたしの事、そういう女子だと思ってくんない?」
「……」
「あんたとは違う種類のグループに居て、たまに顔は見るけど何処のクラスかな?みたいな女子。いるでしょ?そういう子ってさ、下手すると3年間口利かないままって事もある訳じゃん」
「……」
「1度も喋らないんだから、元から何かある訳がない。許すも何も存在しないって事。そう考えたら、すっきりしない?忘れようとするより楽ちんだよ」
俺は確信した。
納得できないのは、許されていないからではない。
一年前のあれも、数々のバトルも、ここで俺が謝った事も、さっきあれほど仲良く話して笑い合った事も、全てをまるで無かった事にされてしまう。そこがどうしても頷けないのだ。
またケンカになる事を避けたいと、そう言えば聞こえはいいが、その実、これからは一切関わらないという事である。許されるかどうか以前に、挽回のチャンスも与えられていない。そこまで、とことん。
何を突っ込んでも心が折れないとは、よくも言ってくれたものだ。
再び、右川は洗い物を始めた。俺が背後から静かに近づくと、手元が陰になって気配を感じたのか、右川が振り返る。俺を見上げたその表情が、見る見るうちに、不安の様子を帯びてきた。
息を飲み、手にしていた洗濯物を思わず落とし、その肩が震え始める。
俺には、手に取るように分かった。
1年前のように、ここでまた同じ事が繰り返されると怯えているのだ。
こっちが一歩近づくと、「ひッ」と、悲鳴を上げて、泡の付いた両手で顔を庇った。
「勘違いすんな。んな訳ねーだろ」
右川のもじゃもじゃ頭に2枚の映画チケットを差し込んだ。
俺はその場を後にする。
あいつがどういう様子でいたのか分からない。流れの変わらない水音が、背後でずっと続いている。
ふと振り返ると、浅枝がちょうど水場を通りがかって右川に捕まっていた。
右川はヘラヘラと……まるでもう何事も無かったように。
忘れるより楽ちん、か。
俺は真っすぐ部活に出た。