God bless you!~第3話「その価値、1386円なり」
「そんなだからムッツリって言われんだよ、おまえは」
そう言えば、
「ノリは?」
「5組って体育だったから、まだ着替えてんじゃない?」
そう言う事か。確かに、ノリも黒川も、5組の男子は誰も居なかった。
「女子は早く終わったから。さっそくお昼のパン買ってきちゃったし」
それで、か。
寝た子を起こすような事もしたくないと一切関わらずに居た訳だが、さっきからノリの前の席、右川が文字通り爆睡している。突っ伏した腕の辺りから、広げた課題が見えた。終わってるようだ。
一瞬、そこから覗くプリントの片隅、問5の余白に目を奪われた。……グラフ?
右川の物とも思えない、緻密な図形が描きこまれている。ここからでは、数式まではよく見えない。何かを説明するための矢印が、その図形に向かっていくつか伸びていた。方程式。傾き。垂直?
そこで、廊下で誰かが呼んでいると聞いて、吉森先生は一旦、教室を出た。
先生が居なくなった途端……まるでそのチャンスを狙ったように、会話の様相がガラリと変わる。
「沢村ってさ、朝比奈さんと付き合ってて、いつ頃ヤッた?」
肩を許しただけで、ギョッとするほど遠慮の無い質問だ。
咄嗟に教科書を閉じる女子も、突然スマホを仕舞う男子も、音楽プレーヤーを止めた女子も、近くで急に背中を向けた男子も、そして1番前の席で1度こちらを振り返り、睨み付け、興味のない様子で塾の課題に没頭している振りを決め込みながら……重森までもが、聞き耳を立てる。
「さぁ」
俺は無表情を崩さない。
「してないはずないよね?」
「さぁ」
「一回も?」
「さぁ」
「それってやっぱ、県道沿いのラブホ?インターチェンジの脇の?」
「もういい」
臨界点突破。心地よさと引き換えの我慢も、もう限界だ。
女子はズケズケと遠慮がない。背中で聞いているメンバー辺りと、俺の居ない所で話を膨らませて楽しむのだろう。どこまでも興味本位。大っぴらにカマしてくるその殆どは俺に向かった。朝比奈の方にヤッたのかヤッたのかと突っ込むことは無かったと思うけど、女ってのは。総じて、男子は奥ゆかしいな。
実際、ちゃんと付き合ってたんだから、それなりに色々あった。朝比奈は少なくともそんな事を周りに振れ回ったりは無かったと思う。親しい子には話したかもしれないが、ちゃんと選んでくれたと思うし、その辺は信用できる女の子だった。
答える意志はないと、これ見よがし課題の余白に、意味の無い文字をズラズラと書いてみる。
「いつ頃やったかどうか、だけでいいからさ」と、懲りてない。
「そうゆうこと聞いたからって、どうなの」
「最近、彼氏ができてさ。みんな、どうなんだろって、ちょっと聞いてみただけなんだけど」
思わず手が止まった。
「それで俺とどっか行こうとかよく言えるな」
唖然とした。彼氏に悪いとかって思わないのか。
「こいつの事情は参考にならねーぞ」と、そこに黒川が戻って来た。奥ゆかしいとは無縁の男子だ。
女子は黒川を一切無視して、「いや、そうじゃなくてさ」と、再び肩を叩き始める。(機嫌取り?)
「知り合いに沢村が写ったショット見せたら、気に入ったみたいで。今度紹介するって事になってさ」
それで、どっか行こうと。そういう事か。
「いいよ。そういうの」
「マジ?そしたらさっそく今日の放課後、マックで待ち合わせね」
「都合良く誤解すんな。そうじゃなくて。要らないって事」
「まさか、まだあの子と続いてんの?」
そうやって不躾に踏み込んで来られると、さすがにイラッとくる。
「そうじゃないけど」
少々不機嫌な振りもしてみせたが、女子は勢い衰えない。
「この子、割りと可愛いよ。生駒みたいなボブでさ、バレーやってるし。見る?」とスマホを取り出した。聞いてると少々心が動いたが、「ちょっと今は時間に余裕が無いっていうか。だからいいよ」
例え気に入って仲良くなれたとしても、塾とか部活とか、あ、浅枝も……放課後は既に飽和状態だ。
何こいつ、遊べなーい、チョーつまんなーい……が、目に見えている。
「だったらオレにくれ」と、黒川が割り込んだ。その女子のスマホを奪って、「どれ?」と探し始める。
突然、そう突然右川が起き上がった。
「どれ?どれ?」と、速攻、黒川に喰い付く。寝た振り、決定!奥ゆかしいとは最長の距離を置く人種だ。こういう時こそ!とばかりに結託。黒川と2人仲良く一緒になって画面を覗きこんでいる。
「マジ可愛いじゃ~ん♪」
「あ?」と、黒川が怪訝そうに画面をじっくり眺め、そこで右川と目を合わせて、ニヤリと笑った。いつの間に、そんなに仲良くなったのか。
2人で何を企んでいるのか。アラーム発動。
「目がクリッとしてさ。生駒っていうより、剛力っぽいよ。この白いお洋服が清楚で初々し~♪」
「オレもそう思う。マジ可愛い。そこら辺のアイドルに負けてない」
女子が、黒川からスマホを取り返した。そこに一瞬、妙な間が生まれる。
「……本当だ。ミウちゃんって、こんなに可愛いかったっけ?」
もう我慢できないとスマホを引っ手繰ると、そこに写っていたのは……犬。
瞬間、周囲が猛爆発、転げ回って大笑い。
ゴールデン・リトリーバー。メス。3歳。ミウちゃん。白い服でコスプレ。
そんな事だろうと思った。
断じて!女の子に興味が湧いたからではない。バカバカしいやり取りを、早く終わらせたかっただけ。
「そんなだからムッツリって言われんだよ、おまえは」
「言われた事ねーよ!」
「とかいって。あんた、シャツの隙間から、この辺り覗いたでしょ。ゲスが」
(少々、動揺)「んなもん覗くか!」
「とかいって。こいつ、いつも後ろからヨリコのブラ線、探ってんだよ。地味にヤらしくね?」
「ヨリコ?」
俺の前の席は、進藤という女子が座っている。机を借りた女子だ。確かにちょっと胸が……。
「探ってねーよ!」
「わ!ムキになった。怪しい」と、ますます疑われ、「ヤバい。ブラ線、気をつけよ」と、右川はワザとらしく胸の辺りを隠して見せた。
「おまえにそんな装備が必要なのか。胸なんか影も形も無いくせに」
「だったら、あんたにパンツは必要なのか。とっくに理性は無いみたいだけど」
黒川が、ブッ!吹き出した。女子も釣られてクスクスと笑う。
カチンと来て、
「人聞きの悪いこと言うな!」
「だって、あれってそういう事でしょ!」
〝あれ〟またしても〝あれ〟
周りは一切知らない事とはいえ、一体いつまで言われ続けるのか。
すると前の席、重森がスッと立ち上がると、くるりとこちらを振り向いて、
「オレ、静かなとこ行く」
プイと教室を出て行った。吉森先生とすれ違い様に、「もう授業始めるよ」と聞いても、「具合悪いです」と、憮然と切り返して、廊下のその先を行く。誰とも噛み合わない、重森。
頭の良さで一部の同輩には一目置かれる存在ではあるものの、女子にはそれほど評判が良いとは言えない。あの〝上から目線〟が原因だろうな。2年になって、永田のように急に後輩女子のツボにハマってモテはやされるヤツらも多く出てくる中、重森に限っては、そんな話は1度も聞かない。
恐らく、彼女居ない歴17年目。
周囲が浮かれて盛り上がる話にも、どこか乗れずにいるようだ。
例えば永田など、彼女が出来て薄っすら落ちついたのか、或いは彼女の前で恥ずかしい事はしたくないと自重しているのか、以前に比べて大暴れはグンと減っている。
重森も、もしそんな相手が出来れば、少しは柔軟に変われるのかもしれない。
「体操服が濡れたぐらいでハァハァってさ、欲望仕上がってるよ、それ」
恐らく、彼氏居ない歴17年目。
知ったような口ぶりで下ネタに浮かれ、黒川を相手に盛り上がるチビもいるっていうのに。
いつもこの時間にはぺチャンコの右川リュックが、今日はかなり大きく膨らんでいるのを不思議に眺めていた所、「マジ始めるよ」と先生が教壇に立つ。同時に、ノリが慌てて教室に入ってきた。
開口一番、「課題、見せてくれるかな」と、右川に迫る。
「声が大きい。せめて罪悪感ぐらいは持ちなさい……って、のぞみちゃんが目で言ってるよ♪」
確かにそういう目で、先生に睨まれていた。ノリだけが原因か?先生に向かって、ちゃん呼ばわりはどうなんだ?常識というには程遠いが、わずかながら空気を読むという思いやりは、チビにも有るのかもしれないけど。
この時間、俺達は吉森先生に次々と当てられた。俺は、1番自信の無かった問5にブチ当たってしまう。しどろもどろで、お話にならない。
「狙ってくれたなー……」
授業の終わりと同時に、ぐったり……俺は机に潰れるのだ。
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