Powder  Snow
 安っぽいケチャップが口の中に広がった。だからモスが良かったのにと内心で啓一を罵倒しながら、遠矢は注文を終え戻ってくる啓一を待っていた。
 先にバーガーを口にしたのはマナー違反だったかもしれないが、今更そんなことで文句を言い合う間柄ではない。
 ポケットに入っている携帯を見ると、11時を過ぎていた。
 朝ごはんには遅いが、昼ごはんには少し早い。啓一との待ち合わせは、11時に駅前のファーストフード店だった。
「お待たせ」
 バーガーとジュースを持った啓一が、遠矢の向かいの席に座った。チーズバーガー。チーズの好きな啓一らしい注文だと、遠矢は思った。
「で、何?話っつーのはっ」
 遠矢が尋ねた。
「この後で千秋も来るんだけどさ、あ、浩輔はさすがに試験前だからパスだって。付き合いが悪いよね、全く」
「いや、浩輔はいいから。で、俺と、千秋を呼びつけたわけはなんだよ。また思い出作りか?」
「んにゃ、違うよ。っていうかさ、俺が呼び出す前に、お前からなんかあっていいんじゃないの?」
「俺から?」
 啓一はバーガーを口に運んだ。もぐもぐと口を動かし、ジュースでそれを飲み込んだ。
「だから、高塚美紀だよ」
「あ…ああ」
 そのことか。遠矢の顔が曇る。
「ああ、じゃないよ。なんだよ、それ。お前、千秋はどーしたんだよ?俺の前で泣いてまで見せたのに、あれは嘘泣きか?」
「泣いてねぇよ!」
「まぁ、それはいい。じゃなくて、高塚だよ。なんで急にそんな話になってるんだ?」
 啓一は真っ直ぐに遠矢を見た。
 いつかはきちんと説明しなくてはと思っていたが、こうも急では返答に困った。
 遠矢は瞼を伏せ、静かに成り行きを説明した。
 少し支離滅裂になってしまった部分は、まだ、自分でもわかっていない部分だったからだ。遠矢自身、美紀との交際に疑問を持っている箇所はある。
 千秋を好きなまま美紀と付き合って、何の意味があるのか?
 わからない。わからないけれど、付き合いが始まってしまったので見逃していた。
「―――つまり、高塚が千秋を好きでもいいから付き合ってっつってきて、お前は了承したわけね。で、お前はお前でなんでそこで高塚で手を打ったわけ?千秋に知られるのなんて、あっという間だぞ。そしたら誤解されるじゃないか。それでいいの?」
「よくはないけど、さ。誤解されても、いいじゃねぇか。どうせ、俺のこと、好きじゃないんだし」
「万に一つってこともあるだろ。これで可能性がゼロになっちゃったじゃないか。どうするんだ、高塚のこと。好きになる見込みがないなら、傷を抉るだけだぞ」
「そこまでは、考えてなかったけど…」
「もうすぐ千秋が来るから、そしたらちゃんと言うんだぞ。試しに付き合ってるだけだって。そんで、高塚にはできるだけ早く別れを切り出しなよ。伸ばせば伸ばすほど、傷つくのは彼女なんだから」
「やっぱり、そうなるのかな…」
 弱気な遠矢に対し、啓一はいつも以上に強気だった。
「当然だね。お前がどれほど千秋が好きか、高塚はわかってないんだよ。付き合っちゃえばこっちのもんだと思ったかもしれないけど、お前のバカに一途なところは、俺が一番よく知ってるよ」
「バカ一途って言うのは、どうなんだろうな。俺もよくはわかんねぇけど、高塚と付き合ってて、嫌なことは何もないんだ。むしろ安らぐって言うか…自分でも不思議なんだけど、付き合ってメリットはないのに、デメリットよりも彼女といる方を選らんじまった。ずっと千秋しか見てこなかったのに、変な話なんだけど」
「高塚に情が移っただけだろ。気にするなよ」
「前の彼女は、千秋を好きになって別れたんだ。だから、情だけってわけでもないんじゃないかって、最近は思う」
「好きになっちゃったってこと?」
「いや、それはない!俺は、千秋が好きなのは、変わらないし!」
「じゃあなんだよ」
「それは…わかんねぇけど」
 結局、わからないのだ。
 わからないけれど、美紀と過ごしたこの数週間は、意外と楽しいものだった。
 美紀の提案で強引に始まった交際だったけれど、美紀との会話も、美紀とのメールも、美紀とのデートも、思っていたよりも悪いものではなかった。
 むしろ居心地もよく、安心感があった。
 だからといって、千秋を忘れたことは一度もない。
 これが浮気男の心境なのかと暗くなっていると、啓一が遠矢の方を見て手を振った。
 不思議に思い振り返ると、ガラス越しに千秋が立っていた。
 啓一は千秋に「こっちこっち!」と手招きをした。
「とにかく、もう千秋の耳にも届いてるはずだから、誤解されたくないなら否定しときなよ。どちらにしろ、遠矢は千秋が好きなんだろ?じゃあ優先するのはこっちでしょ」
 その通りなので遠矢は頷いた。
 すると、注文を済ませた千秋がテーブルにやってきた。啓一の隣に座る。
「やっほー。なになに、急に。最近啓ちゃん寂しがりんぼう?」
「違うけど、まぁ、いいじゃないの。千秋ちゃん、どーせ今日も暇でしょ?」
「え、ひっどーい。勝手に決め付けないで下さーい」
「じゃあ今日、何か予定あったの?独り身で寂しい千秋ちゃん?」
「どーっせ、彼氏なんていたことありませんよっ。ずっと独りだから別に寂しくないもんねぇー」
「負け惜しみー?」
「そーだけど、悪いー?」
 目の前で繰り広げられる千秋と啓一の会話に、遠矢は入っていくことができなかった。啓一の口の悪さは女の子にはキツイと思っていたが、千秋はいつも普通に返答していた。さすがとしか言いようがない。
「遠矢もさー何か言ってやりなよ。お前ひとりだけ、独り身脱出なんだから」
 急に啓一に振られ、遠矢は心の準備ができていないまま、千秋の視線を浴びた。
 千秋は「あ!そうだった!」と、遠矢に好奇心満々な瞳を見せた。
「美紀ちゃんと付き合い始めたんでしょー?聞いたよ、後輩から!」
「いや、えっと…」
「なんでもラブラブらしいじゃない!今日、詳しく訊こうと思ってたんだっ」
 やはり既に千秋の耳にも遠矢のお付き合いの話は届いていたようで、遠矢の交際話に興味津々だった。苦い顔をする遠矢とは対照的に、千秋の瞳はキラキラ輝いている。
「で、どっちからなの?」
「向こうから、かな…」
「いつからいつから?休み中に?」
「いや、始業式の日に…」
「え、カラオケいった日?既に付き合ってたの?」
「いや、そのカラオケで、ちょっと…」
「えーっ!いついつ?いつの間に?だってずっと部屋にいたじゃんっ!」
「トイレに一回行ったんだけど、そのとき、向こうも丁度部屋の外にいて、それで…」
「全然気づかなかったぁ!ねぇ、知ってた?啓ちゃん」
 千秋に振られ、啓一は胡散臭い笑顔を作り。
「いや、俺もさっき遠矢に聞いてさ。驚いてたところ」
 あくまでも、啓一は第三者的ポジションにいるつもりらしい。
 早く誤解を解きたい遠矢だったが、啓一は助けてくれないのだとわかり、気を引き締めた。
「あのさ、千秋。千秋には、ちゃんと言っとこうと思うんだけど…」
「うん、何?」
「高塚とは、その、一応付き合うって形になったけど、俺、別に好きじゃないんだ。だから、その…次会ったとき、別れるよ」
「えっ?」
 千秋は険しい顔のまま、遠矢を見た。
「それって、どういう意味?………遊びってこと?」
 千秋は遠矢が美紀を遊びで付き合ったのだと思い、眉と眉にシワを寄せたまま遠矢を睨み付けた。遠矢は必死に否定した。
「違うよ。違う。好きだって言われたことは嬉しかったから、OKしたんだ。でも、やっぱり好きにはなれそうにないから、これ以上高塚を傷つける前に、別れようと思ったんだ」
「そう、それなら…」
 しょうがないねと、千秋もホッとした表情を浮かべた。一番ホッと胸を撫で下ろしたのは、遠矢だったが。
「恋愛は、難しいよ」
 遠矢が深い息をしながら、零した。
 その様子を見て、千秋はくすりと笑った。
「遠矢も少し大人になったんじゃないの?そういう意味では、今回のお付き合いも無駄じゃなかったんだよ」
「そうなのかな。そうだといいけど…」
「恋愛なんて、上手くいかない方が多いんだよ。だからあたしは未だに彼氏もいないんだし」
「得意げに言うなよ」
「だって、そうじゃん。でもあたしはいつも明るく元気だよん。ね、啓ちゃん」
 千秋は隣に座る啓一の肩に手を置いた。
 遠矢と千秋の会話を黙って聞いていた啓一は、ふっと笑顔になった。
「いいんじゃないの?いまどきの高校生は恋愛至上主義みたいなのばっかだけど、たまには友情至上主義みたいなのもいて」
「だよねだよね。男女の友情はないなんて嘘だよね。こうしてちゃあんと成立してるとこもあるもんね」
 啓一は笑顔を崩さないまま「そうだね」と、千秋に言った。
 千秋は嬉しそうに微笑んだ。
 男女の友情。
 千秋にとって、自分もその対象なのだと言われた気がして、遠矢の胸に鋭いものが刺さった。
 わかっていたことだったのに、ひどく心に滲みた。
 そこにはもう、いくつもの傷があったせいかもしれない。
 『恋愛は、難しいよ』
 自分の吐いた言葉に、また、傷が抉られていた。
 いつもと変わらず千秋の笑顔は可愛らしく、遠矢の胸を焦がした。千秋と話をしていると、心臓の奥が熱くなった。
 いくら傷ついても、千秋への気持ちは消えそうになかった。

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