Powder Snow
正月休みも終わり、部活が始まった。遠矢は教師に頼まれていた日にちだけ、部活に顔を出した。もうすぐ試合が近いせいもあって、後輩たちの熱気は凄かった。
少し前まで自分もこの中にいたのにと思うと、感慨深いものがあった。
あと数ヶ月で高校生活も終わってしまう。
遠矢は長いようであっという間だった3年間を振り返っていた。千秋、啓一、浩輔。よく4人でバカをやっては、騒いでいた気がする。自分たちにも、この後輩たちのようにガムシャラだったときがあるのだ。
遠矢は手に持っていた笛を吹いた。
「10分休憩!水分とっとけよー」
「はーい」
部員たちは遠矢の号令で、体育館の隅に置いてあるペットボトルや水筒で喉を潤した。タオルで汗を拭きながら、体力を回復させていた。
遠矢も少し休もうかと体育館の壁によりかかったとき、体育館の入り口に目がいった。そこには、美紀が立っていた。
遠矢は駆け足で近寄ると、美紀は小さく手を振った。
「どうしたの、急に」
「うん、部活の後で話せればいいなと思って、体育館覗いてたの」
「えーと、今、休憩中なんだ。少しなら話せる。屋上行かないか?」
「うん」
美紀は笑顔で頷いた。
遠矢は突然会いに来た美紀の真意がわからないまま、屋上への道を急いだ。美紀もその後についていく。体育館は1階だったので、屋上までの道のりは長かった。しかし、ふたりは無言だった。
「うわぁ、寒ぃ」
屋上の扉を開けると、外気の寒い空気が飛び込んできた。遠矢は一度開けた戸を閉め、後ろにいる美紀に尋ねた。
「どうする?さすがにコートなしじゃキツイか。ここで話す?」
「ううん、大丈夫。外で話しましょう」
「そう?」と言いながら、遠矢は再度屋上の扉を開け、外に出た。屋上には雪が積もっていたが、高校生2人が立って話せるくらいのスペースはあった。
「休み中、どうだった?」
遠矢が訊いた。美紀は口元を緩ませた。
「大学の合格通知が届いた。報告したかったけど、会って話そうと思って」
「そう、よかったな。おめでとう。晴れてお互い大学生だな」
「うん、これでもう心置きなく遊べるね」
その言葉に、遠矢はツバを飲み込んだ。『遊べるね』という言葉は、深読みすれば、遠矢と一緒に遊べるという意味も含まれていたからだ。
遠矢はこのままではいけないと言い聞かせ、ゆっくりと、美紀を見た。
「高塚」
遠矢はドキドキと煩い心臓の音を沈めさせ、静かに口を開いた。
「ずっと、話さなきゃと思ってたことがある」
「うん」
美紀は真剣な表情で遠矢を見つめた。
「俺は、高塚に酷いことをしたのかもしれない。最初は、告白が嬉しかったし、千秋が好きでも構わないって言ってくれた高塚の言葉に甘えて、それを許してくれるなら付き合ってもいいと思って、高塚の告白を受け入れた」
「間違ってないよ。あたしがそれでいいって言ったの。しかも、お試しにっていう提案にも、ちゃんと承諾した」
「でもそれは、結果的に高塚を傷つけることになる。俺は…」
「千秋が好きだって?」
遠矢は頬を紅潮させた。美紀は瞼を伏せた。
「知ってたのよ、ずっと前から。瀬名くんの視線の先にいるのは、いつも千秋ちゃんだって。だから私、努力したの。真っ黒でそのままの髪を茶色にしたり…」
「髪?」
「中学1年のときは真っ黒だったのよ」
美紀は自身の髪をつまみ、遠矢に見せた。
遠矢はそこで初めて、美紀が千秋に似た明るい茶色の髪をしていることに気がついた。
「嫌になっちゃう。どんなに千秋ちゃんのマネしても、瀬名くんは、千秋ちゃんしか見てないんだもんね。春名くんですら、気づいたのに」
「啓一が?」
「言われたわ。『コピーがオリジナルには勝てないんだよ』って」
「え、啓一が?」
疑問符を浮かべる遠矢に、美紀は微笑した。
「あたし、特に目立たなかったんだけど、バレーだけは好きでね、中学からバレー部に入ったの。でもバレー部ってバリバリの体育会系で、ちょっと苦手だったの。それでも3年生になってレギュラーになって、少しだけ自信がついたの。努力が、実ったんだと思った。でもね、中学最後の大会で、私のせいでチームが負けてしまった。誰も責めなかったけど、無言で『お前のせいだ』って言われてる気がして、苦しくて、悲しくて、高校ではバレー部に入らないって思った。それでね、最後にバレーボールに触っておこうと思って体育館に行ったら、瀬名くんがいたの。中学3年の、秋」
「3年の、秋…?」
「前の時間が体育だったって瀬名くんは言ってたわ。その日はたまたま全校生徒が下校する日で、部活がなかった。体育館で、ふたりだけだった」
遠矢は記憶を辿った。
中学3年生の秋、体育館で美紀と話をしたことを、なんとか思い出そうとした。
「―――あっ!」
遠矢は、あるワンシーンを思い出した。
「職員会議があった、あの日だ。部活も終わって、なまってた身体を動かそうと思って、体育館にひとりで残ってたんだ。そのとき、高塚が…」
「『久しぶり、覚えてる?』って声をかけたのよ。瀬名くんはこの間みたいに誰だかわからない顔をしながら、一応、頷いてはいた。『覚えてるよ』って。嘘だってバレバレなのに」
「あー…そういえば、そんなこともあった、かも…」
「そのとき、私、瀬名くんにバスケ部は続けるの?って訊いたの。同じ体育館で練習してたから、瀬名くんは知らなくても、私は瀬名くんがバスケ部だってのは知ってたから」
遠矢は苦笑いを浮かべた。何も言えない。
美紀は遠矢の目を見て、静かに微笑んだ。
「そのとき、瀬名くんは、もちろん続けるって言い切ったの。バスケが好きだからって」
「え?」
「ショックを受けたの。同じ体育館で、ずっと頑張ってきたのに、あたしと瀬名くんはどうしてこうも違うんだろうって。瀬名くんは、にっこりと笑ってバスケが好きだって言い切ったのに。―――眩しかった」
美紀はその場にしゃがみ込むと、足元の雪を丸め始めた。
「そのときから、あたしの中で瀬名くんは特別になった。高校に上がって、バレー部に入ったのも、瀬名くんの言葉があったから。もう一度頑張ってみようって思ったの」
「高塚…」
美紀は立ち上がり、手の中の雪を遠矢に渡した。遠矢の手に冷たい感触が広がった。
「ずっと見てた。あのときの言葉通り、大好きなバスケに一生懸命だった瀬名くんを。ずっと…」
美紀は誤解していると、遠矢は思った。
高校生になってバスケ部に入った決定的な理由は、千秋がバスケ部のマネージャーをすると聞いたからだ。そんな、かっこいいものじゃない。むしろ、とても情けない理由だ。
美紀に想われる資格などない、どうしようもない男なのだ。
「高塚…」
遠矢の手の中の雪が、水になっていく。
「なにもかも、ごめん」
真実なんて言えないけど、せめて。
「ごめん」
誠心誠意謝ろうと思った。
遠矢は頭を下げた。
「あたしこそ、結局嫌な気持ちにさせちゃってごめんなさい。これからは友人として、宜しくね」
「………ああ」
遠矢は頭を下げたままだった。
美紀の吐く白い息が、遠矢の頭にかかる。
遠矢が美紀と向き合った、初めての瞬間だった。
「じゃ、行くね。練習、頑張って…」
最後まで顔を上げられないまま、美紀が屋上の扉を閉めるのを確認した。美紀の顔を、見ることができないまま。
「だせぇな…」
遠矢は吐き捨てた。
自分の足元に、やるせない気持ちと一緒に。
少し前まで自分もこの中にいたのにと思うと、感慨深いものがあった。
あと数ヶ月で高校生活も終わってしまう。
遠矢は長いようであっという間だった3年間を振り返っていた。千秋、啓一、浩輔。よく4人でバカをやっては、騒いでいた気がする。自分たちにも、この後輩たちのようにガムシャラだったときがあるのだ。
遠矢は手に持っていた笛を吹いた。
「10分休憩!水分とっとけよー」
「はーい」
部員たちは遠矢の号令で、体育館の隅に置いてあるペットボトルや水筒で喉を潤した。タオルで汗を拭きながら、体力を回復させていた。
遠矢も少し休もうかと体育館の壁によりかかったとき、体育館の入り口に目がいった。そこには、美紀が立っていた。
遠矢は駆け足で近寄ると、美紀は小さく手を振った。
「どうしたの、急に」
「うん、部活の後で話せればいいなと思って、体育館覗いてたの」
「えーと、今、休憩中なんだ。少しなら話せる。屋上行かないか?」
「うん」
美紀は笑顔で頷いた。
遠矢は突然会いに来た美紀の真意がわからないまま、屋上への道を急いだ。美紀もその後についていく。体育館は1階だったので、屋上までの道のりは長かった。しかし、ふたりは無言だった。
「うわぁ、寒ぃ」
屋上の扉を開けると、外気の寒い空気が飛び込んできた。遠矢は一度開けた戸を閉め、後ろにいる美紀に尋ねた。
「どうする?さすがにコートなしじゃキツイか。ここで話す?」
「ううん、大丈夫。外で話しましょう」
「そう?」と言いながら、遠矢は再度屋上の扉を開け、外に出た。屋上には雪が積もっていたが、高校生2人が立って話せるくらいのスペースはあった。
「休み中、どうだった?」
遠矢が訊いた。美紀は口元を緩ませた。
「大学の合格通知が届いた。報告したかったけど、会って話そうと思って」
「そう、よかったな。おめでとう。晴れてお互い大学生だな」
「うん、これでもう心置きなく遊べるね」
その言葉に、遠矢はツバを飲み込んだ。『遊べるね』という言葉は、深読みすれば、遠矢と一緒に遊べるという意味も含まれていたからだ。
遠矢はこのままではいけないと言い聞かせ、ゆっくりと、美紀を見た。
「高塚」
遠矢はドキドキと煩い心臓の音を沈めさせ、静かに口を開いた。
「ずっと、話さなきゃと思ってたことがある」
「うん」
美紀は真剣な表情で遠矢を見つめた。
「俺は、高塚に酷いことをしたのかもしれない。最初は、告白が嬉しかったし、千秋が好きでも構わないって言ってくれた高塚の言葉に甘えて、それを許してくれるなら付き合ってもいいと思って、高塚の告白を受け入れた」
「間違ってないよ。あたしがそれでいいって言ったの。しかも、お試しにっていう提案にも、ちゃんと承諾した」
「でもそれは、結果的に高塚を傷つけることになる。俺は…」
「千秋が好きだって?」
遠矢は頬を紅潮させた。美紀は瞼を伏せた。
「知ってたのよ、ずっと前から。瀬名くんの視線の先にいるのは、いつも千秋ちゃんだって。だから私、努力したの。真っ黒でそのままの髪を茶色にしたり…」
「髪?」
「中学1年のときは真っ黒だったのよ」
美紀は自身の髪をつまみ、遠矢に見せた。
遠矢はそこで初めて、美紀が千秋に似た明るい茶色の髪をしていることに気がついた。
「嫌になっちゃう。どんなに千秋ちゃんのマネしても、瀬名くんは、千秋ちゃんしか見てないんだもんね。春名くんですら、気づいたのに」
「啓一が?」
「言われたわ。『コピーがオリジナルには勝てないんだよ』って」
「え、啓一が?」
疑問符を浮かべる遠矢に、美紀は微笑した。
「あたし、特に目立たなかったんだけど、バレーだけは好きでね、中学からバレー部に入ったの。でもバレー部ってバリバリの体育会系で、ちょっと苦手だったの。それでも3年生になってレギュラーになって、少しだけ自信がついたの。努力が、実ったんだと思った。でもね、中学最後の大会で、私のせいでチームが負けてしまった。誰も責めなかったけど、無言で『お前のせいだ』って言われてる気がして、苦しくて、悲しくて、高校ではバレー部に入らないって思った。それでね、最後にバレーボールに触っておこうと思って体育館に行ったら、瀬名くんがいたの。中学3年の、秋」
「3年の、秋…?」
「前の時間が体育だったって瀬名くんは言ってたわ。その日はたまたま全校生徒が下校する日で、部活がなかった。体育館で、ふたりだけだった」
遠矢は記憶を辿った。
中学3年生の秋、体育館で美紀と話をしたことを、なんとか思い出そうとした。
「―――あっ!」
遠矢は、あるワンシーンを思い出した。
「職員会議があった、あの日だ。部活も終わって、なまってた身体を動かそうと思って、体育館にひとりで残ってたんだ。そのとき、高塚が…」
「『久しぶり、覚えてる?』って声をかけたのよ。瀬名くんはこの間みたいに誰だかわからない顔をしながら、一応、頷いてはいた。『覚えてるよ』って。嘘だってバレバレなのに」
「あー…そういえば、そんなこともあった、かも…」
「そのとき、私、瀬名くんにバスケ部は続けるの?って訊いたの。同じ体育館で練習してたから、瀬名くんは知らなくても、私は瀬名くんがバスケ部だってのは知ってたから」
遠矢は苦笑いを浮かべた。何も言えない。
美紀は遠矢の目を見て、静かに微笑んだ。
「そのとき、瀬名くんは、もちろん続けるって言い切ったの。バスケが好きだからって」
「え?」
「ショックを受けたの。同じ体育館で、ずっと頑張ってきたのに、あたしと瀬名くんはどうしてこうも違うんだろうって。瀬名くんは、にっこりと笑ってバスケが好きだって言い切ったのに。―――眩しかった」
美紀はその場にしゃがみ込むと、足元の雪を丸め始めた。
「そのときから、あたしの中で瀬名くんは特別になった。高校に上がって、バレー部に入ったのも、瀬名くんの言葉があったから。もう一度頑張ってみようって思ったの」
「高塚…」
美紀は立ち上がり、手の中の雪を遠矢に渡した。遠矢の手に冷たい感触が広がった。
「ずっと見てた。あのときの言葉通り、大好きなバスケに一生懸命だった瀬名くんを。ずっと…」
美紀は誤解していると、遠矢は思った。
高校生になってバスケ部に入った決定的な理由は、千秋がバスケ部のマネージャーをすると聞いたからだ。そんな、かっこいいものじゃない。むしろ、とても情けない理由だ。
美紀に想われる資格などない、どうしようもない男なのだ。
「高塚…」
遠矢の手の中の雪が、水になっていく。
「なにもかも、ごめん」
真実なんて言えないけど、せめて。
「ごめん」
誠心誠意謝ろうと思った。
遠矢は頭を下げた。
「あたしこそ、結局嫌な気持ちにさせちゃってごめんなさい。これからは友人として、宜しくね」
「………ああ」
遠矢は頭を下げたままだった。
美紀の吐く白い息が、遠矢の頭にかかる。
遠矢が美紀と向き合った、初めての瞬間だった。
「じゃ、行くね。練習、頑張って…」
最後まで顔を上げられないまま、美紀が屋上の扉を閉めるのを確認した。美紀の顔を、見ることができないまま。
「だせぇな…」
遠矢は吐き捨てた。
自分の足元に、やるせない気持ちと一緒に。