Powder Snow
中学の三年間と、高校の三年間。
君と過ごした、青春の日々。
君の笑顔の数だけ、思い出がある。
残された日は、あと少し。
それぞれ別の大学に行くからといって、最後のお別れではない。しかし、この学園を一歩外にでれば、各々違う世界が広がる。
瀬名遠矢(せなとおや)はひとり学校の屋上にいた。冬休みまであと少しだというこの日、札幌の屋外は上着を着なければいられないほど寒かった。
ポケットから崩れたマルボロを取り出すと、ライターで火をつけ、寒い空気の中に白い息を流した。受験のため我慢していたニコチンの味が、遠矢の胸を穏やかにした。
遠矢は成績も良く、表向きの素行も悪くなかったので、先日、某有名大学の推薦をもらっていた。受験に必要な書類と面接を見事パスし、無事に大学生への切符を手にしていた。
仲間内では一番乗りで、周りはまだ受験モードだ。教室では参考書を開き、ご飯を食べている者もいるだろう。変に気を使われるのも嫌なので、遠矢は昼休み、この屋上で過ごすことが多かった。わざわざ寒いところへいく必要もないが、寒いおかげで屋上は貸切状態だし、タバコも吸えた。誰に気兼ねしなくてもいいこの時間は、遠矢にとって悪いものではなかった。
遠矢がボーっと空を見上げていると、背後から誰かが屋上へ登ってくる音がした。ヤバイと思い、タバコを屋上の柵に擦ると、それを投げつけた。タバコは誰もいないグラウンドに落ちた。
「お、いたいた。ここじゃないかと思ったー」
屋上へ上がってきたのは、春名啓一(はるなけいいち)だった。
色素が薄く中性的な美貌のクラスメートで、中学一年生のときから遠矢とつるんでいた。キレイな顔立ちとは裏腹に、どこかつかめないところがあって、長年一緒にいた遠矢でさえ、啓一の考えていることを読むことは難しかった。
啓一は制服の上に派手なマフラーをしていた。奇抜なデザインのそれは、啓一の顔によく映えた。
「なんだ、お前かよ。慌ててタバコ捨てちまっただろ。もったいないことしたなぁ」
「それは残念だったね。でも足音を聞いて、俺だってわからなかった遠矢が悪いんだよ。友達甲斐のないやつだね」
「無茶言うなよ。お前の足音なんてわかるかっ」
啓一は遠矢の横に並ぶと、自分のポケットからマルボロを取り出した。一本だけ出して、遠矢に「はい」とタバコを向けた。
「ああ、サンキュ」
「いーえ」
遠矢はタバコを受け取ると、それに火をつけた。再び遠矢の口から白い息が漏れた。
「お前、進路どうすんの?担任が騒いでたぞ」
不意に、遠矢は口を開いた。
今朝も泡を吹いていた担任教師の顔を思い浮かべ、啓一の方を向いた。
啓一は『進路希望』の用紙にまだ何も書いていないらしい。進路先が決まっていなくても、ほとんどの人間が進路に向けての準備は行っていた。
少なくとも、どこへ向かうかの道は決めていた。
そんな中、成績が良く内申も悪くない啓一の『進路希望』の用紙は未だ白紙なのだ。担任教師の慌てる気持ちもわかる。
なのに、当の本人は飄々として焦っている様子はない。
「俺はね、何をしよーとか考えてないの。なるようになるでしょ、きっと」
啓一はにっこりと笑った。
どこにそんな自信があるのか疑問だが、本人がそう言っているのでは他人がどうこう言ってもしょうがない。
「まぁお前がいいならいいけどね。姉ちゃんとか、心配させるなよ」
啓一には姉がいた。遠矢も何度か会ったことがある。弟思いで、明るい女の人だ。啓一に似て、美人でキレイなひとだった。
先週遊びにいったとき、「啓一の進路とか聞いてる?」と相談されたのだ。もちろん聞いたことがなかった遠矢は「すみません、知りません」としか答えられなかった。
本人が納得していることをとやかく言う気はないが、啓一を心配しているひとたちには何か説明をしてあげた方がいいのではないかと遠矢は思った。
「姉貴はね、そのうち話すよ。どちらにしろ、家に迷惑をかける気はないし」
「それはよかった。啓一の姉ちゃん、心配してたから」
「ごめんねーうちの姉貴が。遠矢にまで訊いてるとは思わなかったから」
「それはいいけど…」
タバコの火がいつの間にか消えていた。寒い風が吹いていたせいかもしれない。遠矢はまたライターを取り出すと、タバコに火をつけた。
「タバコ、控えたほうがいいんじゃない?」
啓一は意味ありげな笑顔を見せた。
「俺に一本くれたのはお前だろ」
「うん、そうだけどさ」
「………何だよ」
啓一は、またにっこりと笑った。
「千秋ちゃんに嫌われちゃうよ?」
啓一が何を言っているのか、一瞬わからなかった。
わからなかったが、ひとつだけ、確かなことがあった。―――啓一の、顔だ。
啓一は、自信満々の笑みを浮かべていた。
「………気づいて、たのか?」
固まったままの遠矢に、啓一は言い放った。
「中学3年の夏くらいからかな。遠矢の千秋を見る目が、好きな子を見る目になってた」
「………」
思わず言葉を失った。
啓一は妙に勘が鋭いところがあったが、まさか、自分の秘めていた想いにまで気づいていたとは。―――遠矢はぎゅっと掌を握った。
「知ってるなら、この先もわかるよな。千秋は…」
「浩輔のことが好きだもんな」
「お前っ…!」
ケロリと悪びれもなく答える啓一に、遠矢は目を見開いた。
「知ってるよ、皮肉な三角関係だなぁって思ってたんだ。お前はずっと千秋を好きなのに、千秋は浩輔が大好きみたいだし」
ひたすら隠してきた。
自分の想いも、そして千秋の想いも。
千秋を好きだと気づいたとき、同時に、千秋の気持ちにも気がついた。初恋と一緒に失恋も経験したのだ。
ずっと誰にも言わなかった。
失恋を自覚して惨めになっていたわけじゃない。自分が千秋への想いを隠しているように、千秋もまた、自分の想いを隠していた。浩輔のことを、仲間と同じように扱った。
千秋がそうして自分の想いに蓋をしているのなら、自分も波風を立てたくはなかった。
「黙ってろよ、絶対…」
ずっと殺してきた想いが、そっと触れられた。
「ちっきしょー…」
どんなに好きでも、叶わない。
「ずっと、隠してきたのに…」
そうすることで、自分を保っていたのに。
啓一の前で、ひとつ、涙が頬を伝った。感情が高ぶってしまった。
悔しさと、やるせなさがこみ上げた。
「―――切ないね」
啓一は、ぽつりと科白を吐いた。それだけの言葉を残し、その場を離れていった。
泣き出してしまった遠矢に気を使ったのだろう。これ以上、友人に泣いている姿なんて見せたい男はいない。
啓一の残した「切ないね」という言葉が、遠矢の心に深く刻まれた。
切ないね。
バカにされたわけでも、慰められたわけでもない。
きっと、素直にそう思ったのだ。
切ないよ。切ないから、涙が出るのだ。
遠矢は手に残っていたタバコを潰すと、その場に捨てた。
寒さで、手の感触がわからなくなっていた。
君と過ごした、青春の日々。
君の笑顔の数だけ、思い出がある。
残された日は、あと少し。
それぞれ別の大学に行くからといって、最後のお別れではない。しかし、この学園を一歩外にでれば、各々違う世界が広がる。
瀬名遠矢(せなとおや)はひとり学校の屋上にいた。冬休みまであと少しだというこの日、札幌の屋外は上着を着なければいられないほど寒かった。
ポケットから崩れたマルボロを取り出すと、ライターで火をつけ、寒い空気の中に白い息を流した。受験のため我慢していたニコチンの味が、遠矢の胸を穏やかにした。
遠矢は成績も良く、表向きの素行も悪くなかったので、先日、某有名大学の推薦をもらっていた。受験に必要な書類と面接を見事パスし、無事に大学生への切符を手にしていた。
仲間内では一番乗りで、周りはまだ受験モードだ。教室では参考書を開き、ご飯を食べている者もいるだろう。変に気を使われるのも嫌なので、遠矢は昼休み、この屋上で過ごすことが多かった。わざわざ寒いところへいく必要もないが、寒いおかげで屋上は貸切状態だし、タバコも吸えた。誰に気兼ねしなくてもいいこの時間は、遠矢にとって悪いものではなかった。
遠矢がボーっと空を見上げていると、背後から誰かが屋上へ登ってくる音がした。ヤバイと思い、タバコを屋上の柵に擦ると、それを投げつけた。タバコは誰もいないグラウンドに落ちた。
「お、いたいた。ここじゃないかと思ったー」
屋上へ上がってきたのは、春名啓一(はるなけいいち)だった。
色素が薄く中性的な美貌のクラスメートで、中学一年生のときから遠矢とつるんでいた。キレイな顔立ちとは裏腹に、どこかつかめないところがあって、長年一緒にいた遠矢でさえ、啓一の考えていることを読むことは難しかった。
啓一は制服の上に派手なマフラーをしていた。奇抜なデザインのそれは、啓一の顔によく映えた。
「なんだ、お前かよ。慌ててタバコ捨てちまっただろ。もったいないことしたなぁ」
「それは残念だったね。でも足音を聞いて、俺だってわからなかった遠矢が悪いんだよ。友達甲斐のないやつだね」
「無茶言うなよ。お前の足音なんてわかるかっ」
啓一は遠矢の横に並ぶと、自分のポケットからマルボロを取り出した。一本だけ出して、遠矢に「はい」とタバコを向けた。
「ああ、サンキュ」
「いーえ」
遠矢はタバコを受け取ると、それに火をつけた。再び遠矢の口から白い息が漏れた。
「お前、進路どうすんの?担任が騒いでたぞ」
不意に、遠矢は口を開いた。
今朝も泡を吹いていた担任教師の顔を思い浮かべ、啓一の方を向いた。
啓一は『進路希望』の用紙にまだ何も書いていないらしい。進路先が決まっていなくても、ほとんどの人間が進路に向けての準備は行っていた。
少なくとも、どこへ向かうかの道は決めていた。
そんな中、成績が良く内申も悪くない啓一の『進路希望』の用紙は未だ白紙なのだ。担任教師の慌てる気持ちもわかる。
なのに、当の本人は飄々として焦っている様子はない。
「俺はね、何をしよーとか考えてないの。なるようになるでしょ、きっと」
啓一はにっこりと笑った。
どこにそんな自信があるのか疑問だが、本人がそう言っているのでは他人がどうこう言ってもしょうがない。
「まぁお前がいいならいいけどね。姉ちゃんとか、心配させるなよ」
啓一には姉がいた。遠矢も何度か会ったことがある。弟思いで、明るい女の人だ。啓一に似て、美人でキレイなひとだった。
先週遊びにいったとき、「啓一の進路とか聞いてる?」と相談されたのだ。もちろん聞いたことがなかった遠矢は「すみません、知りません」としか答えられなかった。
本人が納得していることをとやかく言う気はないが、啓一を心配しているひとたちには何か説明をしてあげた方がいいのではないかと遠矢は思った。
「姉貴はね、そのうち話すよ。どちらにしろ、家に迷惑をかける気はないし」
「それはよかった。啓一の姉ちゃん、心配してたから」
「ごめんねーうちの姉貴が。遠矢にまで訊いてるとは思わなかったから」
「それはいいけど…」
タバコの火がいつの間にか消えていた。寒い風が吹いていたせいかもしれない。遠矢はまたライターを取り出すと、タバコに火をつけた。
「タバコ、控えたほうがいいんじゃない?」
啓一は意味ありげな笑顔を見せた。
「俺に一本くれたのはお前だろ」
「うん、そうだけどさ」
「………何だよ」
啓一は、またにっこりと笑った。
「千秋ちゃんに嫌われちゃうよ?」
啓一が何を言っているのか、一瞬わからなかった。
わからなかったが、ひとつだけ、確かなことがあった。―――啓一の、顔だ。
啓一は、自信満々の笑みを浮かべていた。
「………気づいて、たのか?」
固まったままの遠矢に、啓一は言い放った。
「中学3年の夏くらいからかな。遠矢の千秋を見る目が、好きな子を見る目になってた」
「………」
思わず言葉を失った。
啓一は妙に勘が鋭いところがあったが、まさか、自分の秘めていた想いにまで気づいていたとは。―――遠矢はぎゅっと掌を握った。
「知ってるなら、この先もわかるよな。千秋は…」
「浩輔のことが好きだもんな」
「お前っ…!」
ケロリと悪びれもなく答える啓一に、遠矢は目を見開いた。
「知ってるよ、皮肉な三角関係だなぁって思ってたんだ。お前はずっと千秋を好きなのに、千秋は浩輔が大好きみたいだし」
ひたすら隠してきた。
自分の想いも、そして千秋の想いも。
千秋を好きだと気づいたとき、同時に、千秋の気持ちにも気がついた。初恋と一緒に失恋も経験したのだ。
ずっと誰にも言わなかった。
失恋を自覚して惨めになっていたわけじゃない。自分が千秋への想いを隠しているように、千秋もまた、自分の想いを隠していた。浩輔のことを、仲間と同じように扱った。
千秋がそうして自分の想いに蓋をしているのなら、自分も波風を立てたくはなかった。
「黙ってろよ、絶対…」
ずっと殺してきた想いが、そっと触れられた。
「ちっきしょー…」
どんなに好きでも、叶わない。
「ずっと、隠してきたのに…」
そうすることで、自分を保っていたのに。
啓一の前で、ひとつ、涙が頬を伝った。感情が高ぶってしまった。
悔しさと、やるせなさがこみ上げた。
「―――切ないね」
啓一は、ぽつりと科白を吐いた。それだけの言葉を残し、その場を離れていった。
泣き出してしまった遠矢に気を使ったのだろう。これ以上、友人に泣いている姿なんて見せたい男はいない。
啓一の残した「切ないね」という言葉が、遠矢の心に深く刻まれた。
切ないね。
バカにされたわけでも、慰められたわけでもない。
きっと、素直にそう思ったのだ。
切ないよ。切ないから、涙が出るのだ。
遠矢は手に残っていたタバコを潰すと、その場に捨てた。
寒さで、手の感触がわからなくなっていた。