Powder Snow
用事を済ませた遠矢は、すぐに自分の部屋へ戻っていった。途中、バスケ部の友人の部屋があったが、一度顔を出すとなかなか解放されない気がしたので、通り過ぎた。
510番。
部屋の番号が見えたので、ドアの取っ手に手を伸ばそうとした。そのとき、イキナリ背中の服を引っ張られた。遠矢は腰を沿って、倒れそうになった身体のバランスをなんとか保った。
「いっ―――誰だっ!」
遠矢は激昂して振り返ると、背後に立っていたのは見覚えのある女子生徒だった。
「えっと…」
「高塚美紀。中学1年のとき、同じクラスだったでしょ」
「ああ、高塚ねぇ…」
遠矢は戸惑いを隠せなかった。名前と顔は一致したが、目の前のこの元クラスメートの印象が出てこなかった。
高塚、高塚、高塚…遠矢は記憶を中学1年にまで遡り、必死に『高塚美紀』を思い出そうとした。
「その顔だと、何にも覚えてないって感じね」
「え、いやぁ…」
遠矢が嘘を隠すように頭を振ると、美紀は瞼を伏せ、小さく息を吐いた。
「瀬名くん、千秋ちゃんのことばっかり見てたもんね。他の女の子なんて覚えてないかぁ。本当に、大好きだったもんね、千秋ちゃんのこと」
「なっ…!」
千秋の名前を出され、遠矢は驚愕した。
啓一のように、自分の近くにいた人間に気づかれたならまだわかる。しかし、目の前の元クラスメート―――美紀とは、こうして話をするのも何年ぶりになるというくらいだった。むしろほぼ初めてに近いのではないだろうか。
そこまで露骨に千秋を見ていたとは思っていないし、千秋を意識しだしたのは中学3年生のときだ。美紀と同じクラスになったのは中学1年生のときだけなので、遠矢が千秋を見ていた現場を目撃するのは難しいはずだった。
驚きで言葉を失ってしまった遠矢に、美紀は説明するように言った。
「あたしバレー部だったの。だから、バスケ部の様子とかよく見れたのよ。瀬名くんは目立ってたから練習中もよく見かけてね、で、不意にどこかを見るときがあって、そんなときは決まって千秋ちゃんのことを見てたから、ああ、好きなのかなって思ったの」
「違ぇよ、たまたまだろ!偶然だって!」
遠矢は必死に否定した。
しかし。
「いいのよ、知ってるから、隠さなくても。実はね、この前、屋上で瀬名くんと春名くんが話してるのも聞いちゃったの。ドアの裏にいたんだけど、気づかなかったみたいだから隠れちゃった」
冷や汗が出た。まさか、あの場面を見ていた人間がいたとは。
「それって………全部聞いてたってことか?」
「うん、最初から最後までねん。だ、か、ら、隠しても無駄なのよ」
「お前…楽しんでないか?」
満面の笑みを浮かべる美紀に、遠矢はげんなりとしていた。
「だって、あの、瀬名遠矢のトップシークレットを知っちゃったわけだからね。楽しくもなるわ」
「………そんな奴だったか、お前」
疲れが倍増した遠矢に、美紀は極め付きの一言を放った。
「瀬名くんがあたしのこと知らなすぎなだけよ。いい機会だし、ね、ちょっと付き合ってみない?」
「はっ?」
「だから、お付き合い。男女交際」
「はぁあ?」
目を丸くして驚く遠矢に、美紀はにっこりと笑った。
「はい、決定。瀬名くんが千秋ちゃんを好きでも構わないし、高校3年の最後に何か思い出もあった方がいいでしょ」
「思い出って…」
「バラされたくなかったら、はい、携帯だして」
遠矢は言われるまま携帯を出すと、美紀はそれを取り上げた。「おい!」という遠矢の抗議の声など無視し、自身の携帯と遠矢の携帯をくっ付け、赤外線送信を始めた。
「これ、あたしの連絡先。帰ったらメールするね」
携帯を返され、遠矢は混乱していた。
美紀とはほとんど会話もしたことがない。ずっと記憶を辿っているが、遠矢の脳裏には美紀との思い出は残っていなかった。
そんな相手と、本当に付き合うことになるのだろうか。
「あのさ、高塚」
「なぁに?」
「最後って言うんなら、何も俺じゃなくても…本当に好きなやつに誤解されてもいいのか?」
遠矢の真面目な顔に、美紀もさっきまでの愉快犯のような顔をやめ、真っ直ぐに遠矢を見つめ口を開いた。
「遠矢くんって呼びたいな。憧れてたの、そーいうの」
「憧れ…?」
「一世一代の大勝負だったの。二度とこんな機会ないと思って、勇気を振り絞って瀬名くんの服を引っ張ったの。―――誤解して困ること、ないでしょ?」
「えっと…それって…」
「ずっと、瀬名くんが好きだったの。千秋ちゃんを好きでもいいの。ねぇ、付き合って?」
しっかりと遠矢の目を見て、美紀は言った。
からかわれているのだと思っていた遠矢は驚いたが、これが真面目な告白だと気づき、瞼を落とした。
いつもなら即座に断るところなのだが、今日は何かが違っていた。
千秋を好きな遠矢でいいと、美紀は言ったのだ。
そこまで言わせて、すぐに断ることなど、遠矢にはできなかった。
それは遠矢が、千秋相手に何度も思ったことと、同じだったからだ。
『浩輔を好きでも構わないから、付き合ってほしい』
何度も口に出しそうになった。出しそうになって、芯が強い千秋がそんな申し出をOKするわけがないと、我に返った。
愛しくて、愛しくて、どんな形でも手に入れたいと思う気持ちは、遠矢にもよくわかった。
わかってしまったせいだろう。
遠矢は瞼をあげると、静かに微笑んだ。
「とりあえず、この休みの間ってことで、いいかな」
「えっ?いいの?」
美紀は驚いていた。遠矢にも、この気持ちがなんなのか、わかっていなかった。
ただ、美紀もまた、自分と同じ気持ちだということだけで、美紀を救いたいと思ったのだ。
「お試し期間っていうのかな。今時、そういうのはないのかもしれないけど。でも、俺は高塚のことよく知らないし、すぐに付き合おうとは言えないよ。自慢じゃないけど、俺、最後に付き合ったの、中学3年のときだからね。意外と真面目なんだ」
「知ってる。千秋ちゃんを好きだと気づいて、別れたのよね」
「全部お見通しってわけね。ま、いいや。帰ったらメールするよ」
「うん、宜しく」
美紀は笑顔だった。
ただ共感しただけでここまで気持ちが動いたことに、遠矢自身驚いている。それでも、美紀が本当に嬉しそうに笑っていることが、遠矢にはなんとも言えない達成感を得たような気にさせた。
遠矢は「じゃあ部屋にもどるから」と言って、美紀と別れた。
美紀も自分の部屋にもどっていったようで、その背中を見つめながら、遠矢は思った。
恋愛とは、どうしてこう上手くいかないのかと。
遠矢が部屋にもどると、千秋が浩輔の歌にうっとりとした顔をしていた。
胸が、ズキンと痛かった。
510番。
部屋の番号が見えたので、ドアの取っ手に手を伸ばそうとした。そのとき、イキナリ背中の服を引っ張られた。遠矢は腰を沿って、倒れそうになった身体のバランスをなんとか保った。
「いっ―――誰だっ!」
遠矢は激昂して振り返ると、背後に立っていたのは見覚えのある女子生徒だった。
「えっと…」
「高塚美紀。中学1年のとき、同じクラスだったでしょ」
「ああ、高塚ねぇ…」
遠矢は戸惑いを隠せなかった。名前と顔は一致したが、目の前のこの元クラスメートの印象が出てこなかった。
高塚、高塚、高塚…遠矢は記憶を中学1年にまで遡り、必死に『高塚美紀』を思い出そうとした。
「その顔だと、何にも覚えてないって感じね」
「え、いやぁ…」
遠矢が嘘を隠すように頭を振ると、美紀は瞼を伏せ、小さく息を吐いた。
「瀬名くん、千秋ちゃんのことばっかり見てたもんね。他の女の子なんて覚えてないかぁ。本当に、大好きだったもんね、千秋ちゃんのこと」
「なっ…!」
千秋の名前を出され、遠矢は驚愕した。
啓一のように、自分の近くにいた人間に気づかれたならまだわかる。しかし、目の前の元クラスメート―――美紀とは、こうして話をするのも何年ぶりになるというくらいだった。むしろほぼ初めてに近いのではないだろうか。
そこまで露骨に千秋を見ていたとは思っていないし、千秋を意識しだしたのは中学3年生のときだ。美紀と同じクラスになったのは中学1年生のときだけなので、遠矢が千秋を見ていた現場を目撃するのは難しいはずだった。
驚きで言葉を失ってしまった遠矢に、美紀は説明するように言った。
「あたしバレー部だったの。だから、バスケ部の様子とかよく見れたのよ。瀬名くんは目立ってたから練習中もよく見かけてね、で、不意にどこかを見るときがあって、そんなときは決まって千秋ちゃんのことを見てたから、ああ、好きなのかなって思ったの」
「違ぇよ、たまたまだろ!偶然だって!」
遠矢は必死に否定した。
しかし。
「いいのよ、知ってるから、隠さなくても。実はね、この前、屋上で瀬名くんと春名くんが話してるのも聞いちゃったの。ドアの裏にいたんだけど、気づかなかったみたいだから隠れちゃった」
冷や汗が出た。まさか、あの場面を見ていた人間がいたとは。
「それって………全部聞いてたってことか?」
「うん、最初から最後までねん。だ、か、ら、隠しても無駄なのよ」
「お前…楽しんでないか?」
満面の笑みを浮かべる美紀に、遠矢はげんなりとしていた。
「だって、あの、瀬名遠矢のトップシークレットを知っちゃったわけだからね。楽しくもなるわ」
「………そんな奴だったか、お前」
疲れが倍増した遠矢に、美紀は極め付きの一言を放った。
「瀬名くんがあたしのこと知らなすぎなだけよ。いい機会だし、ね、ちょっと付き合ってみない?」
「はっ?」
「だから、お付き合い。男女交際」
「はぁあ?」
目を丸くして驚く遠矢に、美紀はにっこりと笑った。
「はい、決定。瀬名くんが千秋ちゃんを好きでも構わないし、高校3年の最後に何か思い出もあった方がいいでしょ」
「思い出って…」
「バラされたくなかったら、はい、携帯だして」
遠矢は言われるまま携帯を出すと、美紀はそれを取り上げた。「おい!」という遠矢の抗議の声など無視し、自身の携帯と遠矢の携帯をくっ付け、赤外線送信を始めた。
「これ、あたしの連絡先。帰ったらメールするね」
携帯を返され、遠矢は混乱していた。
美紀とはほとんど会話もしたことがない。ずっと記憶を辿っているが、遠矢の脳裏には美紀との思い出は残っていなかった。
そんな相手と、本当に付き合うことになるのだろうか。
「あのさ、高塚」
「なぁに?」
「最後って言うんなら、何も俺じゃなくても…本当に好きなやつに誤解されてもいいのか?」
遠矢の真面目な顔に、美紀もさっきまでの愉快犯のような顔をやめ、真っ直ぐに遠矢を見つめ口を開いた。
「遠矢くんって呼びたいな。憧れてたの、そーいうの」
「憧れ…?」
「一世一代の大勝負だったの。二度とこんな機会ないと思って、勇気を振り絞って瀬名くんの服を引っ張ったの。―――誤解して困ること、ないでしょ?」
「えっと…それって…」
「ずっと、瀬名くんが好きだったの。千秋ちゃんを好きでもいいの。ねぇ、付き合って?」
しっかりと遠矢の目を見て、美紀は言った。
からかわれているのだと思っていた遠矢は驚いたが、これが真面目な告白だと気づき、瞼を落とした。
いつもなら即座に断るところなのだが、今日は何かが違っていた。
千秋を好きな遠矢でいいと、美紀は言ったのだ。
そこまで言わせて、すぐに断ることなど、遠矢にはできなかった。
それは遠矢が、千秋相手に何度も思ったことと、同じだったからだ。
『浩輔を好きでも構わないから、付き合ってほしい』
何度も口に出しそうになった。出しそうになって、芯が強い千秋がそんな申し出をOKするわけがないと、我に返った。
愛しくて、愛しくて、どんな形でも手に入れたいと思う気持ちは、遠矢にもよくわかった。
わかってしまったせいだろう。
遠矢は瞼をあげると、静かに微笑んだ。
「とりあえず、この休みの間ってことで、いいかな」
「えっ?いいの?」
美紀は驚いていた。遠矢にも、この気持ちがなんなのか、わかっていなかった。
ただ、美紀もまた、自分と同じ気持ちだということだけで、美紀を救いたいと思ったのだ。
「お試し期間っていうのかな。今時、そういうのはないのかもしれないけど。でも、俺は高塚のことよく知らないし、すぐに付き合おうとは言えないよ。自慢じゃないけど、俺、最後に付き合ったの、中学3年のときだからね。意外と真面目なんだ」
「知ってる。千秋ちゃんを好きだと気づいて、別れたのよね」
「全部お見通しってわけね。ま、いいや。帰ったらメールするよ」
「うん、宜しく」
美紀は笑顔だった。
ただ共感しただけでここまで気持ちが動いたことに、遠矢自身驚いている。それでも、美紀が本当に嬉しそうに笑っていることが、遠矢にはなんとも言えない達成感を得たような気にさせた。
遠矢は「じゃあ部屋にもどるから」と言って、美紀と別れた。
美紀も自分の部屋にもどっていったようで、その背中を見つめながら、遠矢は思った。
恋愛とは、どうしてこう上手くいかないのかと。
遠矢が部屋にもどると、千秋が浩輔の歌にうっとりとした顔をしていた。
胸が、ズキンと痛かった。