魔法あります

静代さんの話

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、こんにちはー」

 いつものように武内さんとアイスを食べながら「たまや」の店先にいると、昨日の少年・幸太が、以前話したことがあるあのおばあさんと一緒にやってきた。

「幸太くんがお世話になりました」
「魔法、大成功だったよ!」

 ペコリとおじぎをするおばあさんの横で、幸太は満面の笑みでピースをした。昨日の生意気の見本のような様子ではなく、年相応の無邪気な感じに俺もつられて笑った。

「直ってよかったな。幸太とおばあさん、知り合いだったんですね」
「僕のおじいちゃんおばあちゃんとヤエさんが仲良しなんだ」
「そうなの。だから私と幸太くんもお友達」

 幸太とヤエさんと呼ばれたおばあさんは「ねー」と言って顔を見合わせた。

「ヤエさんに魔法のことを教えてもらったときは嘘じゃないかって思ったんだけど、信じてみてよかった。信じるものは救われるんだね」

 幸太は小さな腕を一丁前に組んで、うんうんと頷いてみせた。
 その仕草の背伸びした感じが微笑ましくて、ヤエさんと武内さんは堪えきれずクスクス笑っていた。
「おじいちゃん、まだ元気ないから今日はアイスを買って帰ろうと思うんだ。固くて冷たいアイスを食べるのに夢中になったら、悲しみってものを一時的にでも追いやれるかなって」

 そう言って幸太は、肩から提げた保冷バッグをかかげてみせた。
 長く連れ添った伴侶を亡くすことは辛いけれど、元気になってほしいと健気に願う孫がいて、幸太のおじいちゃんは幸せだと思う。

「幸太くんは良い子ですね」
「坊やだって良い子よ。坊やの彼女も」

 武内さんと一緒にキャッキャとはしゃぎながらアイスを選ぶ幸太を見ながら言うとわヤエさんが眩しそうに目を細めて俺を見ていた。
 俺が幸太を見て子供だなぁ幼いなぁと思う以上に、ヤエさんの目には俺たちみんなが小さいものに見えているのだと思うと、ちょっとくすぐったくなる。

「じゃあ、溶けないうちに帰るから。またねー」

 ヤエさんとのやりとりに照れて、「司です。あとあの子は彼女じゃないです」「あらそうなの。可愛い子だから早く捕まえておきなさい」「いや、そういうんじゃないんです」なんて会話をしているうちに、幸太はアイスを選びおえたらしく颯爽と坂道を下っていった。
 その元気な後ろ姿を見送りながら、「藤雄さんは早く元気にならないとね」と、ヤエさんが小さく言った。そして続けて「自分より若い人を送るのは本当に嫌ね。この年になれば、あとは自分が見送られるのみだって思っていたのに」と呟いた。
 薄く微笑んではいるけれど、その声があまりにも寂しそうで心配になる。
 お年寄りというものは若い人より死というものに敏感で、近しい人が亡くなるなんてことがあれば、たちまち弱ってしまうものなのだと母さんが言っていた。
 ヤエさんのことはそんなに知っているわけではないけれど、弱ってほしくないなと思った。初めて会った武内さんもそう思ったらしく、俺は学校でのくだらない出来事を話したり、武内さんは撮りためた写真を見せたりした。

「あなたたち、本当に良い子ね……ありがとう。私が弱っていちゃダメだってわかってはいるんだけど、やっぱり古くからの友人を亡くすのは辛いわ。でも、こうして励ましてくれる人のためにも、いつまでもしみったれてちゃいけないわね」

 俺たちを安心させるためか、ヤエさんは笑ってみせるけれど、お腹の底から元気になれないことは理解できた。

「あの、アイス食べませんか? タマさんがここ最近新作を次々作ってるんですよ。いちごチーズクリームがおすすめです。クリームチーズを使っているから、練乳だけのもよりやわらかめで食べやすいですよ」

 ヤエさんをしょんぼりしたまま帰らせてなるものかという勢いで、武内さんはアイスを勧めていた。武内さんの優しさは熱心すぎてちょっとお節介だなと思うけれど、弱っている人にはこのくらいの暑苦しさがいいのかもしれない。

「いいわね。いただこうかしら。食べながらおばあちゃんの昔話にでも付き合ってもらえたら、元気になれそう」

 武内さんの熱意に押されて、ヤエさんはゆったりとした足取りでアイスケースの前まで行った。決して足腰が弱っているふうではないけれど、心配なのか武内さんはどこに行くにも飼い主に付き従う忠犬のように、ヤエさんについて移動した。

「何から話そうかしら。何でもないときは思い出ってポロポロ浮かんでくるのに、いざ誰かに話そうって思うと悩んじゃうわね」
「何でもいいです。ヤエさんが今思い出したものでも、何でも」

 尻尾がついていたならパタパタと振っていそうだなと、武内さんを見て思った。そのパタパタは上機嫌のパタパタではなく、何とか飼い主を元気付けたいときに見せる気遣いのパタパタのほうだ。
 この子は困っている人や弱っている人に敏感で、初めて話したあの日、俺もそう見えていたのかと思うと複雑だけれど、その優しさには優しさで返してあげたくなる。
 それはヤエさんも同じらしく、アイスをかじりながら「どうしようかしらねぇ」なんて言って微笑んでいた。

「じゃあ、せっかく『たまや』にいるんだし、魔法を絡めて幸太くんのおばあちゃんと、おじいちゃんの話をしようかしらね」

 まるで今日のお話をはじめましょうか、とでも言うような口調でヤエさんは言った。それは物語のはじまりの合図。幼い頃読み聞かせをしてもらうときのワクワクに似た感じが胸に溢れた。
 ヤエさんは柔らかな声で、幸太のおばあちゃんの話をはじめた。
 おばあちゃんは静代さんといって、若いときはそれはそれは可愛いかったこと。けれど気が強くて男の子を泣かしてまわるから、町内でもお転婆娘で有名だったこと。
 小さな生き物が好きで、特に小鳥が大好きだったこと。小鳥に言葉を教えることもとても上手だったこと。

「好きな人との仲直りも、小鳥と魔法に手伝ってもらうくらい、静代さんは小鳥と仲良しだったのよ」
「小鳥? 魔法?」

 ヤエさんの語りがあまりにも上手くて、つい聞き入っていたけれど、少し息をついた隙に武内さんが歓喜の声をあげた。
 その声に応えるように、ヤエさんは再び語りはじめた。

「静代さんは年頃になってもお転婆は相変わらずで、そんなだから周りからは子供扱いされるような子だったんだけど、藤雄さん――幸太くんのおじいちゃんだけは、しずちゃんは良い子だ、しずちゃんは可愛いって言い続けていたの。そのうち好き同士になったんだけど、静代さんは真っ正面から可愛がられるのに慣れてないから、二人はしょっちゅう喧嘩してね……あるときすごく大きな喧嘩をしたことがあって、いつもは藤雄さんが折れてあげていたのに、そのときは頑として譲らなくて……それで静代さんは『たまや』を頼ったの。どんな呪文だったのか、どんな魔法だったのかはわからないけれど、『小鳥が私の気持ちを藤雄さんに届けてくれたの』って言っていたわ。それで無事仲直りして、それから二人は末長く仲良く暮らしたのよ」

 おとぎ話のように締めくくって、ヤエさんは「ふふ」と笑った。
 武内さんのほうを見ると、頬を少し上気させて目を潤ませていた。やっぱり、ロマンティックなものが好きらしい。
 そんな様子が可愛かったからか、「あらあら」と言ってヤエさんは武内さんの頭を撫でた。

「……素敵。あたしも小鳥を飼って、いざってときは想いを届けてもらおうかな」
「あら、ダメよ。静代さんと藤雄さんのお話は確かに素敵だけど、やっぱり大切なことはちゃんと顔を見て伝えるほうがいいの」

 ヤエさんはまた「ふふ」と笑って俺のほうを見た。「だから違うんですってば」と言いたかったけれど、何のこと? なんて武内さんに聞かれるのも気まずいから苦笑いをするにとどめておいた。

「あなたたちに話して気づいたけれど、私が幸太くんにこういう話をしてあげないとね。藤雄さんは照れて話さないだろうから。そのためには元気でいなくっちゃね」

 ヤエさんは両腕を力こぶを作るみたいなポーズをして、大きく笑った。
 まだちょっと空元気だなとは思うけれど、弱り切って消えてしまいそうなほどではない。

「元気になったかなぁ」
「大丈夫じゃないかな」
「ヤエさん、息切れしないね」
「めっちゃ俊敏に動くよ、あの人」
「ヤエさんみたいな元気なおばあちゃんになりたいな」
「じゃあ今からかなり頑張らないとね」
「何よー」

 年齢を感じさせない力強い足取りで坂をくだっていくヤエさんを見送りながら、武内さんととりとめもない話をした。
 ヤエさんの話の余韻を楽しむためのような、何か話してないと途端に淋しくなってしまうからのような、自分の中でも判然としない理由から話つづけていた。

「あたしも、小鳥さん飼おうかなー」
「武内さんに飼われたらおしゃべりになりそうだな」
「いいじゃん可愛くて」
「ナニヨー」
「何それ?」

 親戚の家にいるオウムの声マネをすると思いの外ウケて、武内さんはしばらく笑い転げていた。
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