魔法あります
目覚める
「この辺りの日本家屋の写真をねぇ」
家に帰り、麦茶を出し、台所でそうめんを茹でながら、母さんは武内さんに色々と尋ねた。
「同級生です」とか「クラスは今年初めて一緒になりました」とかシンプルな受け答えがつづいていたのに、「デートなのに邪魔しちゃったみたいになってごめんなさいね」という言葉にだけ、「デートじゃなくて、この辺りの古い日本家屋の写真を撮りたくて案内してもらっていたんです」と丁寧に答えていた。
それを聞いてどんな顔をすればいいかわからなくて、俺はとりあえず目を細めて遠くを見た。
「さっきのカフェ、オーナーさんがずっと古い家を改装したお店をやりたかったらしくて、歩き回ってあの物件を見つけたんですって。内装もすごく凝ってて素敵だったわよ」
「町家カフェとか古民家カフェって流行ってますもんね」
「そうそう」
そうめんをすすりながら、母さんと武内さんは楽しそうに話している。
大正レトロがどうとか、アンティーク調の家具がどうとか、バナナシフォンケーキがどうとか、話題があっちこっちしながらも、最終的にはまた日本家屋の話に戻ってきた。
「この家もね、元々私が嫁ぐときに取り壊して更地にして売ろうって話が出たんだけど、お父さんが『俺はこういう家が好きなんだ』って言って、そのまま住むことになったのよ」
母さんの話を聞いて、じいちゃんと四人で暮らしていたのはそういうわけだったのかと納得がいった。俺が物心つく頃にはもうばあちゃんは死んでしまっていたけれど、五人で暮らしていたこともあるらしい。ということは、父さんはマスオさん状態だったのか。
「安達くんのお父さん、優しいんですね」
「そうよー。優しいから、こうして休みのたびに釣りに行っちゃうような人でも私は気にしないのよ」
そう言って母さんは幸せそうに「ふふ」と笑った。
釣りのとき、朝早く出て行く父さんに朝食を食べさせ、サンドウィッチを持たせるのは大変だなと思っていたけれど、母さんはそういうことも含めて父さんを好きでいるのだなとわかった。
「ブームに乗るわけじゃないけれど、うちも大事に手入れしながらこの家に長く住みたいわねぇ」
デザートにさっきの店のバナナシフォンケーキと水出しアイスティーを振る舞いながら、しみじみと母さんは言う。
「ブームって?」
「古民家ブームよ。田舎の茅葺き屋根とか鎌倉や京都の町家だけじゃなくて、ここら辺の家みたいな普通の家も手直しして住みたいって人たちがいるのよ」
「古民家再生自体が今注目を集めてて、地域ぐるみでプロジェクトに取り組んでるところもあるし、大学でやってるところもあるんだって」
「熱いのよ、古民家」
「安達くん、おっくれってるー」
俺を置いてけぼりにして、二人は古民家の話に花を咲かせる。
熱いのか、古民家。
遅れてるのか、俺。
普段この家では母さんが元気良くしゃべり、それを父さんと二人で相手する感じだ。だから元気にしゃべる人が二人に増えると、さばき方がわからない。
けれどそれは不快ではなくて、二人の話を黙って聞きながら、アイスティーをすするのも何だかいいなぁと思った。
目を閉じて、耳に届く音だけに集中してみる。
転がるような二人のおしゃべりと、庭で鳴く蝉の声と、チリリと揺れる風鈴の音。
今日みたいな日はエアコン要らずだ。扇風機と開け放した縁側から入る風だけで過ごすことができる。
「今日、カフェに行けなくてごめんな」
「ううん。そうめん美味しかったし、あのお店のケーキもいただけたし。あとね、おばさんとおしゃべりするのも楽しかったよ」
「そっか。ならよかった」
あのあと俺はいつの間にかうたた寝してしまい、二人はそのまま話し込み、気がつけば空の色がうっすらと変わりはじめていた。
暗くなるまでまだ時間があるけれど、女の子を一人で帰らせるなんて、ということで駅まで送ることになった。
少し遠回りになるけれど、「たまや」の前を通って行くことにした。
いつもの道を私服で歩くというのは、何だか不思議な感じがする。
「なくすのも壊すのもきっと簡単だけど、大切に守っていくのって、いいよね」
ほんのりオレンジに照らされて、武内さんがポツリと言う。
「古民家のこと?」
「うん。古民家もそうだし、『たまや』にある古い道具だとか、魔法とか」
こちらに向き直った武内さんの髪が、ふわりと揺れる。髪を結っているウサ耳みたいなリボンも一緒に揺れた。
「自分がいなくなったあとも、自分がいいなって思ったものを残していきたくて、あたしは写真を撮ってるのかも」
「そうなの?」
「……ううん、今思いついて言ってみただけ。でも、こういうカッコイイ台詞はひとつくらい持っておきたいかなって」
「何だそれ」
夕陽に照らされる武内さんが妙に大人びて見えて少しドキドキしていたから、そうやって面白いことを言ういつもの顔に戻ってホッとした。
「『たまや』開いてなくて残念だったね」
「土日に開けてたらタマさん休めないからな」
「そうだね。じゃあ、また明日」
改札の前で手を振って、武内さんは歩き出した。振り返ったときちゃんと手を振れるようにと背中を見守っていたけれど、ちょうどホームに電車が入ってきて、武内さんは小走りにそのまま乗り込んでいってしまった。
夕飯のあと、部屋のパソコンで古民家について調べてみた。
古民家、和風住宅、古風民家など呼び方は様々だったけれど、母さんと武内さんが言っていたように、古民家再生は注目されているようだった。
旅館やカフェに生まれ変わったものや、新たな住宅になったもの。再生前と再生後の写真を見比べると、人の手が加わることで再び命が吹き込まれたのを感じる。
そうやって再生事例の写真や活動記録を見ているうちに、自分がかなり古民家に興味を持ちはじめているのに気がついた。
不動産会社や設計事務所のリノベーション例を見ながら、俺の住むこの家を改修するならどんなふうにしようなんて考えるのは楽しい。
武内さんが言っていた、大学のゼミで古民家再生に取り組んでいる人たちのことも知ることができた。
そうか、大学ってこういうことを学ぶ場所だったのか――と目からウロコが落ちた気がした。
学びたいことを学べる場所。その当たり前のことが、今更になってストンと胸に来た。
やりたいことも進むべき道も、今まで何も見えていなかったけれど、こういうちょっとした興味を膨らませていけばいいとわかり、いきなり世界が開けた。
ああ、こんなふうにみんな、やりたいことを見つけていくのか――そう思うと、急いで今までの遅れを取り戻したくて、がむしゃらに走るみたいに大学の資料を請求した。
何となく、今のこの高揚感を武内さんに知らせたくて、メールを打ってみる。
今日は楽しかったということ、古民家に興味がわいたこと、建築学科がある大学へ行こうかと考えていること。
全部打つとかなりの長文になったけれど、そのまま送った。
返事はなかなか来なくて、明日の課外の予習をしていたのかとか、らしくない熱い様子に引かれたのかとか、考えると不安になった。
でも、しばらく待って、「あたしも楽しかった。明日、そういう話いっぱいしたいな」という返事が返ってきて、その内容が嬉しくて、俺は温かい気持ちのままベッドにダイブした。
家に帰り、麦茶を出し、台所でそうめんを茹でながら、母さんは武内さんに色々と尋ねた。
「同級生です」とか「クラスは今年初めて一緒になりました」とかシンプルな受け答えがつづいていたのに、「デートなのに邪魔しちゃったみたいになってごめんなさいね」という言葉にだけ、「デートじゃなくて、この辺りの古い日本家屋の写真を撮りたくて案内してもらっていたんです」と丁寧に答えていた。
それを聞いてどんな顔をすればいいかわからなくて、俺はとりあえず目を細めて遠くを見た。
「さっきのカフェ、オーナーさんがずっと古い家を改装したお店をやりたかったらしくて、歩き回ってあの物件を見つけたんですって。内装もすごく凝ってて素敵だったわよ」
「町家カフェとか古民家カフェって流行ってますもんね」
「そうそう」
そうめんをすすりながら、母さんと武内さんは楽しそうに話している。
大正レトロがどうとか、アンティーク調の家具がどうとか、バナナシフォンケーキがどうとか、話題があっちこっちしながらも、最終的にはまた日本家屋の話に戻ってきた。
「この家もね、元々私が嫁ぐときに取り壊して更地にして売ろうって話が出たんだけど、お父さんが『俺はこういう家が好きなんだ』って言って、そのまま住むことになったのよ」
母さんの話を聞いて、じいちゃんと四人で暮らしていたのはそういうわけだったのかと納得がいった。俺が物心つく頃にはもうばあちゃんは死んでしまっていたけれど、五人で暮らしていたこともあるらしい。ということは、父さんはマスオさん状態だったのか。
「安達くんのお父さん、優しいんですね」
「そうよー。優しいから、こうして休みのたびに釣りに行っちゃうような人でも私は気にしないのよ」
そう言って母さんは幸せそうに「ふふ」と笑った。
釣りのとき、朝早く出て行く父さんに朝食を食べさせ、サンドウィッチを持たせるのは大変だなと思っていたけれど、母さんはそういうことも含めて父さんを好きでいるのだなとわかった。
「ブームに乗るわけじゃないけれど、うちも大事に手入れしながらこの家に長く住みたいわねぇ」
デザートにさっきの店のバナナシフォンケーキと水出しアイスティーを振る舞いながら、しみじみと母さんは言う。
「ブームって?」
「古民家ブームよ。田舎の茅葺き屋根とか鎌倉や京都の町家だけじゃなくて、ここら辺の家みたいな普通の家も手直しして住みたいって人たちがいるのよ」
「古民家再生自体が今注目を集めてて、地域ぐるみでプロジェクトに取り組んでるところもあるし、大学でやってるところもあるんだって」
「熱いのよ、古民家」
「安達くん、おっくれってるー」
俺を置いてけぼりにして、二人は古民家の話に花を咲かせる。
熱いのか、古民家。
遅れてるのか、俺。
普段この家では母さんが元気良くしゃべり、それを父さんと二人で相手する感じだ。だから元気にしゃべる人が二人に増えると、さばき方がわからない。
けれどそれは不快ではなくて、二人の話を黙って聞きながら、アイスティーをすするのも何だかいいなぁと思った。
目を閉じて、耳に届く音だけに集中してみる。
転がるような二人のおしゃべりと、庭で鳴く蝉の声と、チリリと揺れる風鈴の音。
今日みたいな日はエアコン要らずだ。扇風機と開け放した縁側から入る風だけで過ごすことができる。
「今日、カフェに行けなくてごめんな」
「ううん。そうめん美味しかったし、あのお店のケーキもいただけたし。あとね、おばさんとおしゃべりするのも楽しかったよ」
「そっか。ならよかった」
あのあと俺はいつの間にかうたた寝してしまい、二人はそのまま話し込み、気がつけば空の色がうっすらと変わりはじめていた。
暗くなるまでまだ時間があるけれど、女の子を一人で帰らせるなんて、ということで駅まで送ることになった。
少し遠回りになるけれど、「たまや」の前を通って行くことにした。
いつもの道を私服で歩くというのは、何だか不思議な感じがする。
「なくすのも壊すのもきっと簡単だけど、大切に守っていくのって、いいよね」
ほんのりオレンジに照らされて、武内さんがポツリと言う。
「古民家のこと?」
「うん。古民家もそうだし、『たまや』にある古い道具だとか、魔法とか」
こちらに向き直った武内さんの髪が、ふわりと揺れる。髪を結っているウサ耳みたいなリボンも一緒に揺れた。
「自分がいなくなったあとも、自分がいいなって思ったものを残していきたくて、あたしは写真を撮ってるのかも」
「そうなの?」
「……ううん、今思いついて言ってみただけ。でも、こういうカッコイイ台詞はひとつくらい持っておきたいかなって」
「何だそれ」
夕陽に照らされる武内さんが妙に大人びて見えて少しドキドキしていたから、そうやって面白いことを言ういつもの顔に戻ってホッとした。
「『たまや』開いてなくて残念だったね」
「土日に開けてたらタマさん休めないからな」
「そうだね。じゃあ、また明日」
改札の前で手を振って、武内さんは歩き出した。振り返ったときちゃんと手を振れるようにと背中を見守っていたけれど、ちょうどホームに電車が入ってきて、武内さんは小走りにそのまま乗り込んでいってしまった。
夕飯のあと、部屋のパソコンで古民家について調べてみた。
古民家、和風住宅、古風民家など呼び方は様々だったけれど、母さんと武内さんが言っていたように、古民家再生は注目されているようだった。
旅館やカフェに生まれ変わったものや、新たな住宅になったもの。再生前と再生後の写真を見比べると、人の手が加わることで再び命が吹き込まれたのを感じる。
そうやって再生事例の写真や活動記録を見ているうちに、自分がかなり古民家に興味を持ちはじめているのに気がついた。
不動産会社や設計事務所のリノベーション例を見ながら、俺の住むこの家を改修するならどんなふうにしようなんて考えるのは楽しい。
武内さんが言っていた、大学のゼミで古民家再生に取り組んでいる人たちのことも知ることができた。
そうか、大学ってこういうことを学ぶ場所だったのか――と目からウロコが落ちた気がした。
学びたいことを学べる場所。その当たり前のことが、今更になってストンと胸に来た。
やりたいことも進むべき道も、今まで何も見えていなかったけれど、こういうちょっとした興味を膨らませていけばいいとわかり、いきなり世界が開けた。
ああ、こんなふうにみんな、やりたいことを見つけていくのか――そう思うと、急いで今までの遅れを取り戻したくて、がむしゃらに走るみたいに大学の資料を請求した。
何となく、今のこの高揚感を武内さんに知らせたくて、メールを打ってみる。
今日は楽しかったということ、古民家に興味がわいたこと、建築学科がある大学へ行こうかと考えていること。
全部打つとかなりの長文になったけれど、そのまま送った。
返事はなかなか来なくて、明日の課外の予習をしていたのかとか、らしくない熱い様子に引かれたのかとか、考えると不安になった。
でも、しばらく待って、「あたしも楽しかった。明日、そういう話いっぱいしたいな」という返事が返ってきて、その内容が嬉しくて、俺は温かい気持ちのままベッドにダイブした。