魔法あります

心配なんだよ

 いつもの坂道をズンズンと上っていると、少し先にゆったりとした足取りのおじいさんが目に入った。
 この道で誰かと会うということは、大体が行き先は一緒だろうと思い、追い越し際に確認すると、やっぱり見知った人だった。

「こんにちは、藤雄さん」
「これはこれは、いつぞやの。こんにちは。今日も暑いね」
「ええ、本当に」

 藤雄さんに合わせながら隣を歩く。
 こうして言葉を交わしてみて初めて、自分が今すごく誰かと話したかったのだと気がついた。

「今日、幸太くんは?」
「あの子はろくに夏休みの宿題をやっていなかったことが判明してね。お母さんに叱られながら今やってるんだ」
「なるほど」
「だからね、アイスを買ってきてやろうと思ってね」

 言いながら、藤雄さんは肩から提げた保冷バッグを指差した。その仕草が幸太のものと似ていて、やっぱり祖父と孫なのだなと思う。

「それとね、今日は道具も返さなきゃならんからね」

 そう言って、ヒョイとカバンから取り出したものをこちらに差し出した。受け取ると、それは昔のビデオカメラで、オモチャの銃を思わせるフォルムなのに意外と重さがあった。

「これ、『たまや』にあったんですか?」
「そうだよ。昔、若い頃にこのカメラの魔法を教えてもらったのを思い出して、また借りてみたんだ」

 俺はカメラを藤雄さんに返しながら尋ねた。

「どんな魔法なんですか?」
「土地の記憶を映す魔法っていうのかね……撮影者の見たい過去の映像を映すことができるんだよ。私は静代との思い出の場所を撮って幸太に見せたかったんだ」
「すごい魔法ですね」

 話しながら「たまや」に到着した。そのままベンチに腰かける。

「このカメラのフィルムは一本で三分ちょっとしか撮影できないから、まぁ大したものは撮れないけれどね。でも、思い出の欠片を拾い集めるような感覚であちこち撮って回るのも楽しいもんなんだ」

 ニコニコしながら藤雄さんは、カメラを構えるポーズをとる。

「何が映ってるんですか?」
「それは現像してみないとわからないね。これから帰ったら早速やってみるつもりだよ」
「自宅で現像するんですか?」
「そうだよ。お金がかかる趣味だと静代には散々言われたけど、八ミリフィルムを現像できるところが減った今、カメラの心得があってよかったと思ってるよ」

 もしここに武内さんがいたら、きっと目を輝かせて藤雄さんの話を聞いただろうなと思う。カメラの話は本当に好きだから。
 その姿が目に浮かぶほど一緒にいたのに、今ここにいないということがすごく淋しい。

「――その目に映せ、過去の残影を」
「え?」
「呪文だよ。君も何か撮ってみるといい。現像なら私がやってあげるから」

 そう言うと藤雄さんは俺の手にカメラを渡して立ち上がった。

「一度座ると根が生えていけないね。でも、アイスを買って帰らないと」

 孫の好みをわかっているのか、リクエストを聞いていたのか、藤雄さんはサッとアイスを選び帰っていった。

「『その目に映せ、過去の残影を』……ねぇ」

 教えてもらった呪文を呟いてみたけれど、藤雄さんが唱えたときのような格好良さはない。俺が言うと、中二病全開の痛い台詞みたいだ。
 今のところ、このカメラを必要とすることはなさそうだから、雑貨の山に戻しておく。
 藤雄さんがせっかく現像してくれるというのだから何か撮りたいとは思うけれど、見たい過去の映像とやらがパッと浮かばない。ということは、俺にとって今は必要なときではないのだろう。

「はぁ……」

 自分でも驚くくらいの大きな溜息が出た。ひとりになると、途端に淋しさがドッと体の内側から溢れ出してくるみたいだ。
 少し前まで誰とも口をきかず、ただここに座ってアイスを食べて帰ることがほとんどだったのに。
 誰かといる楽しさを知ると、ひとりはこんなにも辛いのか。
 “誰か”なんて曖昧な表現をしているけれど、頭に浮かぶのは一人だけだ。

「司くん、フられたの?」
「……タマさん。どっか行ってたんですか?」
「ちょっと噂のカフェにね。で、フられたの?」
「……フられてません」

 小物が入っていると思しき巾着を片手に、いつもしている白い前掛けを外したおでかけスタイルで、タマさんは坂道を上ってきた。一人でベンチに座る俺を見てニヤニヤしている。

「フられてないというより、まだ告白してないだけってとこ?」
「まぁ、そうですね……」
「あらぁ」

 口元に手をやっているけれど、ニタニタを隠しきれないままタマさんは俺の隣に腰を下ろした。

「今日は春香ちゃん、どうしちゃったの?」
「何か悩みがあるみたいで、先に帰りました」
「心配だね。で、告白しないの?」
「いや、悩んでる人間に告白って、タイミング的に最悪でしょ……」
「どうかなぁ。そうやって先延ばしにして逃したらどうするの?」

 ニヤニヤ笑いをやめて、突然真面目な口調で言われると、何も言い返せなかった。
 何となく、今の関係の居心地の良さに甘えていたい気持ちはある。
 けれど、このままただの友人の一人でいたら、踏み込めない領域があるのも、少しずつわかってきてはいるのだ。

「いっそのこと、告白するために悩みを聞いて解決してあげたらどう?」
「……そんな下心丸出しで嫌われません?」
「体の構成成分の半分以上が下心でできてるような男子高生って生き物が何言ってんだい!」

 タマさんは豪快に笑いながらバシバシ背中を叩いてくる。もうこうなると、真剣に励ましてくれているのか面白がられているのかわからない。

「今日すぐ告白しなとは言わないけど、心配してるって気持ちは伝えておきなね。触れないことが優しさってこともあるけど、それは『放っておいて』って言われたとき考えたらいいんだよ」
「……そういうものですか」
「そういうもんよ」

 自信満々な顔で言われると、そうなのかという気になる。
 そうじゃなかったとしても、あんな顔をして帰った武内さんをそのままにしておくなんて、俺が平気じゃいられない。

「じゃあ、今すぐ帰って励ましのメールの文面でも考えます」

 そう言って立ち上がると、タマさんは困ったような顔をして薄く笑って、首を横に振った。

「司くん、励ますとか考えなくていいの。ただ一言『心配してる』って伝えればいいの。いつでも春香ちゃんの話を聞く準備ができてるってことが伝わればいいんだよ」

 優しく諭すように言われて、俺はただ頷くしかできなかった。
『心配してる』――たったそれだけのことでも、どう伝えようかと考えてしまう。そのまま言えばいいのか、遠回りして他の話題を挟みながらのほうがいいのか。
 大切に思うからこそ、ややこしくなる。
 傷つけたくないし、傷つきたくないから。
 好きって、こんなに面倒臭かったのか――悪い意味ではなくそう思って、俺は足早に坂道を下った。


< 22 / 28 >

この作品をシェア

pagetop