魔法あります
ハッちゃんとラムネ
「安達、今日どっか寄って帰らねぇ?」
課外が終わり、大急ぎで荷物を片付けて教室を出ようとしたところを、橋本に声をかけられた。
夏休みに入ってからは当たり前の光景になりつつあった、はにかみながら橋本の隣に立つ松野さんの姿が今日はない。
「どうした?」
「いや、今日は美緒が友達と遊びに行くっていうからさ」
「なるほど、それで俺は松野さんの代わりか」
「ちげーよ。俺もダチとの仲を深めようって思っただけだよ」
そうか、お前は松野さんのことを美緒って呼ぶのか! そうか、お前の夏は眩しいな! ――そんなことを考えたら、じゃれてくる橋本の背中を叩く手に力がこもってしまう。
でも、今日はその眩しさから目を背けなくても大丈夫な気がする。
「わかってるって。でもごめん。このあと俺も予定があるんだ」
そう言って、手を振って俺は歩き出した。
廊下の窓から見える空はよく晴れていて、ギラギラと太陽が照っている。
朝、学校に来る途中の道のいろんなところに水溜りを発見したから、ハッちゃんたちは変身に困らないだろう。
あの子が今日あの魔法を使うかも、今日「たまや」に来るかもわからないけれど、俺の足は自然と坂道を目指していた。
「タマさーん、来たよー」
坂道をズンズン登っている間に何だか気持ちが高まってしまって、「たまや」に到着したとき、俺は大きな声でタマさんを呼んでいた。
小学生が友達の家に行って「遊ぼう」と叫ぶときみたいに、何か大声で言いたくなるような、うずうずする衝動に支配されていたのだ。
「はいはーい。司くん、どうしたの? 元気いっぱいで」
クスクス笑いを忍ばせて、奥の方からタマさんが出てきた。
そうやって大人の女の人に笑われるのは恥ずかしいけれど、そんなことより今は、内側に留めておけない気持ちを発散させたかった。
「ハッちゃん、来てないかなって」
ちょっと息切れしながら俺は言う。そんな俺を見て、タマさんはまた笑う。
「来てるよ。ハッちゃん、出ておいで」
タマさんの呼びかけに応えるように、奥の座敷のほうから駆けてくる足音がした。それは猫の軽い足音ではなく、ある程度重さのあるものだ。
ススっと音がして、襖が少し開いた。
そしてそこからおそるおそる覗く、女の子の顔。その子の前髪は、真ん中でパックリと分かれている。そう、猫のハチワレ模様のように。さらに頭には、人間には似つかわしくない三角の耳が生えていた。
「……ハッちゃん?」
俺が尋ねると、その子はコクリと頷いて、意を決したように襖を開けて飛び出してきた。
「耳、消えなかったけど、しっぽも消えなかったけど、魔法、できたよ!」
俺の出身中学の制服を着たその子は、嬉しくてたまらないといった様子でその場でパタパタとジャンプを繰り返した。そのたび翻るスカートから、確かにしっぽが揺れている。
「何で中学の制服? 耳と尻尾は失敗?」
「会いたい人がいて、その人たぶん学校にいると思ったから制服に変身したの。耳としっぽはわかんない!」
「そっか! わかんないのか!」
俺もハッちゃんのハイテンションにつられてしまって、いつのまにか二人手を取り合ってグルグルとその場を回っていた。楽しい。明確な理由はわからないけれど、すごく楽しい。
「ハッちゃん、会いたい人には会えた?」
「ううん。今日は司くんに会いにきた!」
「えっ?」
ハッちゃんは、極上の笑顔でそう言った。
白黒猫だからか、色白の肌に黒髪がよく映えている。目は形の良い大きなアーモンド型で、そんな目でくるりと上目遣いに見られると、元は猫だとわかっていてもドキドキしてしまう。
「司くん、ラムネちょーだい! ラムネ、もう一回飲みたかったの!」
「あ、ラムネ……ラムネね。よーし、わかった! ハッちゃんが人間になったお祝いにご馳走してやろう!」
ちょっとこれはもしかして、ラブコメ的展開なのか? ――そんなことを考えていたのが恥ずかしくなる。でも、「ラムネっラムネー!」と歌い踊るハッちゃんを見ると、そんなことはどうだってよくなった。
「ハッちゃん、蓋は自分で開けてみる?」
冷蔵ケースからラムネを二本取り出して一本差し出すと、ハッちゃんは一瞬不思議そうにして、意味がわかったのか首をブンブン横に振った。
「違う違う! このまえと同じようにして! 司くんと一緒に飲むの!」
そう言うやいなや、ハッちゃんはその場でくるりとターンすると猫の姿に戻ってしまった。
「司くんからもらったラムネがよっぽど嬉しかったんだね」
タマさんがクスクス笑って言って、それに答えるようにハッちゃんは「ニャー」と鳴いた。
だから俺はカバンからペットボトルを取り出して、蓋にラムネを注いでハッちゃんの前に差し出したのだった。
課外が終わり、大急ぎで荷物を片付けて教室を出ようとしたところを、橋本に声をかけられた。
夏休みに入ってからは当たり前の光景になりつつあった、はにかみながら橋本の隣に立つ松野さんの姿が今日はない。
「どうした?」
「いや、今日は美緒が友達と遊びに行くっていうからさ」
「なるほど、それで俺は松野さんの代わりか」
「ちげーよ。俺もダチとの仲を深めようって思っただけだよ」
そうか、お前は松野さんのことを美緒って呼ぶのか! そうか、お前の夏は眩しいな! ――そんなことを考えたら、じゃれてくる橋本の背中を叩く手に力がこもってしまう。
でも、今日はその眩しさから目を背けなくても大丈夫な気がする。
「わかってるって。でもごめん。このあと俺も予定があるんだ」
そう言って、手を振って俺は歩き出した。
廊下の窓から見える空はよく晴れていて、ギラギラと太陽が照っている。
朝、学校に来る途中の道のいろんなところに水溜りを発見したから、ハッちゃんたちは変身に困らないだろう。
あの子が今日あの魔法を使うかも、今日「たまや」に来るかもわからないけれど、俺の足は自然と坂道を目指していた。
「タマさーん、来たよー」
坂道をズンズン登っている間に何だか気持ちが高まってしまって、「たまや」に到着したとき、俺は大きな声でタマさんを呼んでいた。
小学生が友達の家に行って「遊ぼう」と叫ぶときみたいに、何か大声で言いたくなるような、うずうずする衝動に支配されていたのだ。
「はいはーい。司くん、どうしたの? 元気いっぱいで」
クスクス笑いを忍ばせて、奥の方からタマさんが出てきた。
そうやって大人の女の人に笑われるのは恥ずかしいけれど、そんなことより今は、内側に留めておけない気持ちを発散させたかった。
「ハッちゃん、来てないかなって」
ちょっと息切れしながら俺は言う。そんな俺を見て、タマさんはまた笑う。
「来てるよ。ハッちゃん、出ておいで」
タマさんの呼びかけに応えるように、奥の座敷のほうから駆けてくる足音がした。それは猫の軽い足音ではなく、ある程度重さのあるものだ。
ススっと音がして、襖が少し開いた。
そしてそこからおそるおそる覗く、女の子の顔。その子の前髪は、真ん中でパックリと分かれている。そう、猫のハチワレ模様のように。さらに頭には、人間には似つかわしくない三角の耳が生えていた。
「……ハッちゃん?」
俺が尋ねると、その子はコクリと頷いて、意を決したように襖を開けて飛び出してきた。
「耳、消えなかったけど、しっぽも消えなかったけど、魔法、できたよ!」
俺の出身中学の制服を着たその子は、嬉しくてたまらないといった様子でその場でパタパタとジャンプを繰り返した。そのたび翻るスカートから、確かにしっぽが揺れている。
「何で中学の制服? 耳と尻尾は失敗?」
「会いたい人がいて、その人たぶん学校にいると思ったから制服に変身したの。耳としっぽはわかんない!」
「そっか! わかんないのか!」
俺もハッちゃんのハイテンションにつられてしまって、いつのまにか二人手を取り合ってグルグルとその場を回っていた。楽しい。明確な理由はわからないけれど、すごく楽しい。
「ハッちゃん、会いたい人には会えた?」
「ううん。今日は司くんに会いにきた!」
「えっ?」
ハッちゃんは、極上の笑顔でそう言った。
白黒猫だからか、色白の肌に黒髪がよく映えている。目は形の良い大きなアーモンド型で、そんな目でくるりと上目遣いに見られると、元は猫だとわかっていてもドキドキしてしまう。
「司くん、ラムネちょーだい! ラムネ、もう一回飲みたかったの!」
「あ、ラムネ……ラムネね。よーし、わかった! ハッちゃんが人間になったお祝いにご馳走してやろう!」
ちょっとこれはもしかして、ラブコメ的展開なのか? ――そんなことを考えていたのが恥ずかしくなる。でも、「ラムネっラムネー!」と歌い踊るハッちゃんを見ると、そんなことはどうだってよくなった。
「ハッちゃん、蓋は自分で開けてみる?」
冷蔵ケースからラムネを二本取り出して一本差し出すと、ハッちゃんは一瞬不思議そうにして、意味がわかったのか首をブンブン横に振った。
「違う違う! このまえと同じようにして! 司くんと一緒に飲むの!」
そう言うやいなや、ハッちゃんはその場でくるりとターンすると猫の姿に戻ってしまった。
「司くんからもらったラムネがよっぽど嬉しかったんだね」
タマさんがクスクス笑って言って、それに答えるようにハッちゃんは「ニャー」と鳴いた。
だから俺はカバンからペットボトルを取り出して、蓋にラムネを注いでハッちゃんの前に差し出したのだった。