最後の恋のお相手は
厨房内から顔を出して、こっそりとふたりの様子をみつめる。日向さんは、彼女を指定席へと案内した。私は、座ることができない指定席へと……。

でも、まだ傷が浅く済んで良かった。もし一緒に野球を観に行ったりして、仲良くなった後なら、もっとショックが大きかったやろう。

「ごちそうさまでした」

「あ、はい! ありがとうございました」

他の客から、食器を返されてハッとした。まだ仕事は終わっていない、と、すぐに仕事スイッチをオンにした。戻された食器を洗いながら、さっきのことはシャボンの泡で流せばいいと思った。

「ごちそうさま」

しばらくすると日向さんの大きな声が、厨房内に届いた。無視はできない。厨房内から顔を出した。

「ありがとうございました」

さっきの女性はいない。日向さんひとりだ。いつものように、自然な笑みでお礼を言った。

「今度、野球を観に行こう」

小さな声で言った、日向さん。

「あ、はい! ぜひお願いします」

この間、『名前を教えて?』と言いながら、名前を聞いてくれなかった。きっと社交辞令なんやわ。それに、あんなに綺麗な彼女がいてるしな。そう思いながらも、元気良く返事をした。

「ほな、都合のいい日に誘うから、ね? 北方さん」

え? 今、私の名前を呼んだ?

「ありがとうございます」

とりあえずお礼を言うと、日向さんは社員食堂を後にした。どうしようもないほど、胸のドキドキが早くて強い。

なんで? なんで私の名前を知っているんやろうか。まさか、ガールズバーで働いていることがバレている? でも、ガールズバーでは『キララちゃん』やから、本名はわからない。

もう姿がない出入口に視線を送ったまま、しばらく動けない自分がいた。



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