臆病者で何が悪い!
浴室から水音が消える。身体にさらに緊張が走る。白いTシャツを着て、タオルを首にかけた生田が浴室から出て来た。まだ乾ききっていない濡れた髪に、ドキンと胸が跳ねる。
「……逃げなかったんだな。最後のチャンスをやったのに」
「え?」
ベッドに腰掛ける私の前に、生田が立つ。
「だけど……、コート着たまま」
フッと生田が笑った。
「あっ、そうだね。忘れてた」
慌ててコートを脱ごうとした私を、生田がふわりと抱きしめた。そして、すぐにその腕に力が入る。
「……コート脱いだら、俺、多分、止められないよ?」
耳元を掠る生田の吐息に、身体がぴくりと跳ねた。石鹸の香りが私の身体を包み込む。
「大丈夫」
知らないからなって、言ったのに。ここまで連れて来たくせに。どこまでも優しい生田に、私の心はただ真っ直ぐ、彼へと向けられる。
「……俺とこういうことするの、本当は怖かったんだろう?」
生田、気付いていたんだーー。
優しく抱きしめてくれるから、頑なだった私の心を溶かして行く。あんなにも感じていた一歩を踏み出す恐怖が、少しずつ消えて行くような気がして。素直に、自分の気持ちを生田にぶつけたい。そう思った。
「……うん。怖かった。怖くて。生田と向き合えなかった」
生田の手のひらが、私の背中を優しく撫でる。大丈夫だって、あやすように。ゆっくり、何度も。
「普通の男は、私を女としては見てくれないから。もう、傷付くのが嫌で。昔の自分ばかり、思い出しちゃって」
いろんなことを思い出す。思い出すこと全部、心で泣いたことばかり。誰かを好きになる度、傷付いて流した涙ばかりだ。誰かを好きになることは、私にとって自分の傷を抉ること。だから、怖くて仕方がなかった。
「内野――」
私の目線に合わせるように、生田が真っ直ぐに私を見つめる。大きな手のひらが、私の頬を包んだ。濡れた前髪を伝う雫が、生田の頬に落ちた。
「普通ってなんだ? 他の男のことなんて関係ない。あんたの目の前にいる男は誰だ? 前の男か? 同期の男か、大学時代の友人か? 田崎さんか? 」
生田の眼差しが私の心までも貫く。真っ直ぐに向けられた眼差しから目を逸らすことが出来なかった。
「今、あんたの目の前にいる男は、あんたのことが心かき乱されるほど好きで、どうしようもないほど欲しいって思ってる。だから、ちゃんと俺を見てくれ」
そうだよね。そうだったのに。生田じゃなくて、過去ばかりを見ていた。
「……ごめんなさい。ごめ――」
生田の唇が私の声を飲み込む。零れる涙は、哀しいからじゃない。いろんな感情がないまぜになって溢れ出たもの。頬にあった手のひらが私の首筋に触れる。それと同時に離れた生田の唇が、吐息を零す。いつの間にか、コートは肩から滑り落ちていた。
「あんたの哀しい過去は、俺が全部上書きする。だから、もう怖がるな」
止まらない涙を、生田の長い指が何度も拭う。
「大切に抱くから。全部、俺に委ねて……」
何かが弾けて。涙も感情も、すべてが身体中をうごめく。生田の眼差しが視界から消えたら、優しい腕の温もりが私の身体を覆うから。ドキドキも緊張も、全部幸せに変わる。