臆病者で何が悪い!
「ほら、女の人って、あれの時、あんまり男に触られたくないって言うだろ」
あれの時――?
「ああ……」
生理の時ってことか。でも、なんで生田がそんなことを知っているんだ?
前の彼女とか……?
また、前の彼女のこと考えたりして。このマイナス思考はどこかに行ってほしい。
「俺の姉貴がそんなようなことを喚いていたから」
「お姉さん? 生田、お姉さんいるの?」
そう言えば、生田の家族について話を聞いたことはなかった。
「言ってなかったか? うるさい姉が一人いるよ」
思い出し笑いのように、苦笑して生田が言った。
「そうだったんだ。でも、私は大丈夫。生田に抱き締められてると、凄く、安心するから」
「……なんだか、えらく今日は素直だな。ちょっと調子が狂う」
生田の大きな手のひらが私の背中をゆっくりとさする。その温かさと、すぐ傍にある生田の胸が、いつもの私の殻を破り素のままで甘えてしまいたくなるから困るのだ。
やばい。どんどん、タガが外れて行く。
「私も、自分でも調子が狂うよ。こんな風にいつもと違う自分になっちゃって、後戻り出来るのかなって。怖いのに、そんな自分も心地よくて、もう全部放り投げて甘えたくなる」
こんな風に自分から、男の人の胸に甘えるように顔を埋めたりして。こんなの私じゃないって、もう一人の私が叫んでいるのに、その声も無視したくなる。
「いいよ。俺の前でそんな殻かぶっててもしょうがないだろ。こんなに近くにいるんだ。そんなもの無意味だ」
生田の匂い。温かな胸も大きな手のひらも、全部私を解いて行く。
「俺は、おまえにもっと甘えてほしいって思ってる。いつも、もどかしく思ってるよ」
ほんの少し生田の腕に力が込められた。
「いつも、強がってばかりでごめん。何年も、物心ついてからこうやって生きて来ちゃったから、なかなか変われないんだ……」
止まることのない背中をさする手のひらが、私の心の奥底を引きずり出そうとする。
私の、鉛のように沈み込んでいる過去の記憶を、生田に聞いてもらいたいって思い始めてる。身体を繋ぐわけでもなく、激しい感情のまま抱き合っているわけでもない。この穏やかで優しい抱擁が、私の強張った心を溶かして行く。
「物心ついた時から、自分は普通の女の子とは違うんだって思ってた。恋とかそういうの、私にとっては無縁で。バカやって。汚れ役買って出て。誰に頼まれたわけでもないから、誰のせいでもない。全部自分のためにやったこと。それなのに、自分だけが女の子として見てもらえない現実を目の当たりにすると、いっちょまえに傷付いたりするの。笑っちゃうでしょ?」
重い話にならないように、出来るだけ明るく喋った。こうして生田の腕の中でなら、安心していられる。
「もう傷つくのはいやで。大人になってからの傷は、きっと、もっと深くなるーー」
だから、田崎さんのことも恋にならないようにしていた。それでも、結局私はバカな女で。もう、二度と同じ過ちは犯したくないと、余計に心にバリアを張ろうとした。生田の胸に身体ひとつで飛び込む勇気が持てずにいた。
「期待したり何かを願ったり、そういうの自分に許して来なかったから、生田に大事にされても素直にそれを受け取れなくて。こんな風に扱ってもらえたことがないから、どうしたらいいのか知らないんだ。だから、生田は何も悪くない。全部、私のせい――」
ずっと黙って聞いていてくれた生田が私の頭を手のひらで包み、そのまま強く自分の胸に押し当てた。
「――もっと前に、沙都に出会いたかった。そんな風に傷付く前に」
生田の声の振動が、胸から伝わる。
「俺だけがおまえを嫌ってほど女扱いしてやって、無理矢理俺の彼女にした」
「そんなの、あり得ないよ。生田は知らないから。あの頃の私のこと」
私が笑っても、生田は腕の力を緩めなかった。
「俺には分かるんだ。いつ出会っていたとしても、絶対おまえを好きになるって」
「どうして、そんなこと……」
これまでにいくつも刺さって来た心の棘を、抜き取ろうとする。生田の言葉が、棘だらけの心を包み込もうとして来る。
「だって、どれもおまえには違いない。その本質は変わらないだろうから。俺の目に狂いはないさ」
「そんな適当なこと言って……。それでも」
生田の胸にしがみつく。溢れてしまいそうな涙を誤魔化すために、その胸に顔を隠した。
「それでも、嬉しい」
涙が零れてしまわないように、わざと笑った。それでも溢れてしまう。
こんなに優しく見ていてくれた生田に、私はずっと向かい合おうとして来なかったんだーー。
「愛され方を知らない女で、ごめん」
笑っているつもりでも、気付けば口元が歪んで行く。
「少しずつでいいから、俺を信じてくれ。信じてさえくれれば、俺の想いをそのまま受け取れるはずだ」
生田の指が私の目元を滑る。ああ。バレてしまったみたいだ。でも、生田はこの涙の意味を聞きはしなかった。
「おまえに出会った日から、俺の中で、沙都だけは違ったんだ。他の誰ともーー」
髪を撫でていたはずの手のひらがいつの間にか髪の間に差し入れられていて、ぐいっと持ち上げられると、そのまま唇を塞がれた。唇が熱くて、すぐに頭がふわふわとする。すべて飲み込まれてしまうかのような口付けに、気付けば夢中になっていた。ただ唇が繋がっているだけなのに、身体中が熱くなる。何度も何度も与えられるキスが、私を女に変えていく。もう、生田の前では女でいたいって身体中が叫んでる。
生田への想いが募っていく。
どんな姿も、表情も、受け止めて――。