臆病者で何が悪い!
6. 俺だけが知る彼女の顔 ―side眞―
その日一日、上手く過ごせるかどうか。
それは、始まりにかかっていると思う。
それに、朝の静かなオフィスは落ち着く。
早いスタートを切ることで仕事も余裕をもって取り掛かることが出来る。
だから、残業続きでよっぽど眠い日ではない限り、早めに出勤することが多い。
学生時代、何よりも睡眠を優先させて来た自分にとって、これが社会人になってからの大きな変化だったかもしれない。
月曜日の朝だ。
やはり、職場には早くに着いた。
「生田、おはおう」
執務室に足を踏み入れると、昨日も見た顔がこちらに笑顔を向けてくれた。
「おはよう。早いな……」
自分の席に鞄を置いて、沙都の席へと近付く。
「うん。早めに目が覚めたから……」
短い髪からのぞく首筋が目に入る。
ホント、その首筋、色っぽ過ぎる。
でも、あまりに見過ぎると、朝から、それも職場でおかしな気分になっても困るので、視線を逸らした。
「あ……。してくれてんだな」
逸らした視線の先に、パソコンのキーボードに置いた沙都の手首が見え、ブレスレットが揺れていた。
「ああ、うん。凄く、素敵で。気分も上がるよ」
はにかんだように見上げて来る。
自分が贈ったものを身に着けてくれている。
それだけで、こんなに嬉しいものなんだな。
それに――。
それはまるで、俺の女だっていう顕示欲のようなもので。
どれだけ独占欲が強いんだか。
自分がこんなにも誰かに執着するような人間だったなんて、27年間生きて来て初めて知った。
「俺も、おまえからもらったネクタイピン早速して来た」
「それは、どうも……」
その顔は、照れてるな……。
いつもは誰に対してもサバサバとしているくせに、こういう時の対応は本当に初々しい。
だから、いつも苛めたくなるのだ。
苛めたくなるほどに可愛い存在が、一日の大半自分の近くにいるというこの現状は、幸せなことでもあり、そしてまた、やっかいでもある。
「――生田、昇任おめでと」
係内会議を午後一から始める予定になっていたから、昼休みを早めに切り上げて準備のため会議室のセッティングをしていた。
「田崎さん……。俺に、何か?」
いつの間にいたのか、会議室の扉付近にもたれ、腕を組んで俺を見ていた。
「何かって、『おめでとう』って言ってるんじゃないか。仕事の用件がなきゃおまえに話し掛けちゃいけないの?」
俺はずっと、なんとなく田崎さんが苦手だった。沙都が好きだった相手だというのもある。でも、それを抜きにしても、あの笑顔が俺にはどうにも胡散臭く見えて。
腹の中に、何かを持っている。
そんな気がしてならない。
「いえ。ただ、世間話をするような関係でもないかと」
あれだけ人当りの良さを前面に出している田崎さんが、俺にだけはあまり声を掛けてきたことはなかった。
特に、二人きりの時は。
「相変わらず素っ気ない奴だな。可愛い後輩が係長になるっていうんだ。同じ若手として、先輩として、お祝いの飲み会をしようと思ってさ」
ああ――。沙都が言っていた話か。
まったく。本当に、何を考えているのか分からない。
「田崎さんもいろいろとお忙しいでしょうから、そのお気持ちだけで」
そう告げると、俺は止めていた手を再びデスクのセッティングに戻した。
「――だから。こういうことに、おまえの意思なんて関係ないんだよ。行きたい行きたくないの問題じゃない。先輩から飲み会をすると言われたら返事一つで来るのがおまえの義務だ。後輩としての礼儀だろ。それくらい社会人の常識だ」
その目だ。この人のその目が、いつも何か含みを持っている。
可愛いと言われるほどの付き合いなんてしていない。
一体、何を企んでるーー?
「……まあ、いいか。内野さんにも来てもらうから。そうすれば、放っておいてもおまえは絶対に来るだろ」
え――?
田崎さんの、いつもは穏やかに見せているその目が妖しく光る。
沙都の名前に、思わず田崎さんに視線を向けてしまった。
「どういう、意味ですか……?」
人の好さそうな微笑みはどこへやら、その笑みはニヤリとした嫌味なものだった。
「どういう意味かって? そのままの意味だよ。内野さんが来るなら、おまえは絶対に来るだろ?」
もしかして、この人は――?
嫌な予感が頭を過り言葉を出せずにいると、田崎さんが一歩一歩俺へと近付いて来た。