臆病者で何が悪い!
沙都の元いた席を見てみると、出されている食事にほとんど手が付けられていない。
食べる暇もない……か。
年功序列の社会で、下っ端が料理を味わって食べる時間なんてないのも分かるけれど、それにしてもだ。いつものこととは言え、気になってしまう。
さりげなく、俺が代わってやるか――。
上司に笑顔を振りまくなんて、面倒以外の何ものでもないが、あいつのためなら仕方ない。
そう思って立ち上がろうとした時、嫌な顔が視界に入り込んで来た。
上司たちが並ぶ席であれやこれやと動き回っていた沙都に、田崎が何やら声を掛けている。
それも、沙都に耳打ちするように。その距離感に、あやうく声を出しそうになった。
衝動的にそこへ向かおうとした俺を引き留めるような声が背後からした。
「生田さん、お酒、空ですよ?」
宮前さんだ。
徳利を手にいつの間にか空いていた俺の隣の席に座っている。
「どうぞ」
綺麗に指が添えられた徳利を、有無を言わさず突き出して来た。
「……どうも」
仕方なく中途半端に浮いた腰を下ろし、お猪口を出す。
「たくさん、飲んでくださいね」
綺麗にラインが縁どられた目が弓なりになり、満面の笑みを向けて来た。
「……それくらいで」
そう言わずに――なんて言ってお猪口すれすれまで日本酒を注いで来やがった。
俺は俺で、宮前さんに構っている場合ではない。向こうの方で不必要に沙都に接近している田崎の野郎が気になって仕方がないのだ。
早いところ飲んで、宮前さんとのやり取りを片付けたい。
「あのぉ、生田さんって、係長になったらやっぱり転勤しちゃうんですよね?」
「え? あ、ああ。まあ、そうでしょうね。そういうものですから」
お猪口になみなみと注がれた日本酒を一気に飲み干す。
「内野さん、そろそろ菊池さん連れて来てよーっ」
上司たちが座る場所でお酌して回っている沙都に、うちの課でナンバースリーくらいの役職に就いている酔っ払い上司が声を上げた。
あいつは、毎回悪酔いする田代企画官ーー。
完全にセクハラだろ。中年になると、酔うとああもみっともなくなるものだろうか。
「もう、菊池さんが若くて綺麗だからって! もう少し私で我慢してくださいよ」
沙都は表情一つ変えずに笑顔で受け流している。
遠くの席にいて完全に嫌がっている菊池さんの方に目配せをしながら、その上司に答えていた。
「内野さん? 君は、菊池さんが来てくれるまでのつなぎだろ? 早く、連れて来てー」
「つなぎだなんて失礼ですー。さあさあ、誰に注がれてもお酒はお酒ですから」
「いや! 同じじゃない! 味が変わる――」
いい加減にしろ、このハゲが――。
「企画官、そろそろ僕の後輩を解放していただけますか? それに大事な同僚をつなぎなんて言ったら怒りますよ? ああ、お酒、あいてるじゃないですか」
我慢ならなくなった俺が立ち上がるより先に、田崎が沙都から徳利を奪い、朗らかな笑みでその上司に酌をしている。
「怒りますよ」なんて言って怒り何て微塵も感じさせない柔らかで丁寧な物腰。
当然その場の雰囲気が悪くなるようなものでもなく、いい感じに収まっている。
「そうかぁ、そりゃあ怒られちゃうなぁ。あはは」
「それより企画官、もう一杯。いい飲みっぷりですね」
企画官は上機嫌に酒を飲んでいる。
沙都はその間にそこから離れていた。
完全に田崎に助けられていた――。