臆病者で何が悪い!

官庁街の外れにある日比谷公園。
夕焼けで空が異様に赤かった夕暮れ時。

内々定の手続きだか何かで、役所に呼ばれた帰りだった。
夏の夕方にしては涼しい風が吹いていた。

だからだったかな。
公園を横切って帰ろ うと思ったのだ。

公園の中央に位置する噴水のある広場。人も多く行き交う場所のベンチに座る一人の女が視界に入った。

夕方だから、本当にたくさんの人がいた。
ただ通り過ぎていくだけの人、ベンチに腰掛けている人。

それなのに、その姿だけは何故か目に留まったのだ。
明らかに就職活動中の女子大生と分かるスーツ姿。
いくら涼しい風が吹いていたとは言え、まだまだ残暑厳しい時期だった。
スーツの上着を脱ぐこともなく、ただじっと俯いたままの姿が不思議に思えたのかもしれない。

忙しなく人が行き交う中で、その女子大生の周りだけは時が止まっているように見えた。
そしてすぐに、その女子大生が泣いているのだと分かった。

都会のど真ん中でこんなにも人がいるというのに、誰も彼女に目を留めない。
赤の他人なのだから当たり前なのだけれど、どうしてだかその光景に不意に寂しさを感じたのだ。

そんな自分が不思議だった。

そんな情緒的なことを感じるタイプの人間ではない。

東京に出て来て4年、こんなもんだと思って生活して来たつもりでも、実は心の奥底で都会で暮らすことの孤独を感じていたということだったのか。

それとも、彼女だったから気になったのか――。

もしかしたら、その異様な夕焼けがよけいに俺を情緒的にしたのかもしれない。

どうしてもそのまま取り過ぎる気にはなれなくなって。

どうせ俺も赤の他人だ。
二度と会うこともない。ただ通りすがりの人間だ。
なら、ほんの少し関わったところで大した意味もない……。

拭うこともせずに泣きじゃくる彼女に、ハンカチを差し出した。

「す、すみません……っ」

驚いたように、怯えるようにその彼女から声が上がった。もしかしたらそっとしておいてほしかったのかもしれない。そう思いもして少し後悔もしたけれど、それでも彼女はそのハンカチを受け取った。

泣いている顔を見られたくなかったのだろう。彼女は顔を上げなかった。

俯いて泣きじゃくっていた彼女は、俺のハンカチを遠慮がちに受け取りはしたものの汚してはまずいと思ったのか、そのハンカチを握りしめただけで、少しして「ありがとうございます」と俺に返して来た。
その時、少し顔を上げて。
視線を俺に合わせる事はなかったけれど、俺は涙に濡れたその顔を見た。

「本当に、ありがとうございます。ほんとに……」

しっかりとした声で礼を言っていたのに、また言葉に詰まらせて。
その肩を震えさせた。
その姿に、無意識に胸が痛んだ。

こんなところでこんなに泣いてしまうのは、泣ける場所がないからなのか。
そして、こんなにも泣かずにはいられないほど悲しいことがあったのか。

その涙の理由は四年後に知ることになるわけだけれど。

その彼女に、数か月後に再会した。
それも、同じ職場の同期として。

そんな偶然があるのかと思った。
彼女の方は全然分かっていなかったけれど――。

「変わってるで片付けられるほど、俺の気持ちは軽くねーよ」

不思議そうにしている沙都を抱きしめる。

俺にとっての沙都は、サバサバしている姉御肌でも、三枚目キャラでも女を捨ててる奴でもない。あの夕焼けの空の下で一人泣いていた姿だ。

なのに、もう一度俺の前に現れた彼女は、別人のように笑っていた。
笑っているどころじゃない。人を笑わせ、世話を焼き、バカ騒ぎをして盛り上げて。

だから、俺はその姿から目を離せなくなったんだ。

その笑顔の裏で、また泣いていたりするのかと。

「だから、どうして私なんかにそんなに――」

「おまえが考えている以上に、俺はおまえを見てたんだよ」

ただ、遠くから見ていただけ。勝手に見守っていただけだ。
最初は、ただそれだけだった。
異性としての特別な感情から始まったものではない。
でも、沙都を見ていれば見ているほどに、目が離せなくなった。
そしていつしか、これが恋だと認めざるを得なくなった。
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